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新・新約聖書の紹介(Introducing A New New Testament)

「新・新約聖書」の紹介

 さあ『新・新約聖書』の時が来ました。新約聖書は教会の内外を問わず、人々に興味と関与を前向きに学ばせるものであって、この本が意味するのは以下のことです。それは1世紀のキリスト教運動からの驚くべき新しい資料を含み、これまでの伝統的なテキストと並んで配置されています。その中には、女性を主人公とする新しい福音書、今まで知られることのなかった、神に捧げるキリスト者たちの声による賛歌集、イエスにさかのぼる50以上の新しい教えを含んだ福音書、すくなくとも70年以上前にエジプトの砂漠で発見された使徒パウロの祈り。
 この『新・新約聖書』は、単に一人の作者によるものではありません。新たに追加された10の文書はアメリカ国内において全国的に知られている霊的指導者たちによる評議会によって選択されたものです(p555~558参照)。司祭、ラビ、著名な作家、国立教会(national church)の指導者、そしてアフリカ系アメリカ人、ネイティブアメリカ人、およびヨーロッパ系アメリカ人といったような背景を持つ男女の折衷的な組み合わせによって、2世紀初頭からの多くの発見を精査しながら研究し、そのようにして10の新しい文書が選ばれました。
 こうした審議は何をもたらしたのか? そして、その審議はどこから起こったのか? 本書を読むのであれば、読者は『新・新約聖書』を読み進める前に何を知っておく必要があるのか?

これらの新しい文書はどこから来たのか?

 伝統的な新約聖書に含まれていない、キリスト教の最初の何世紀かの新しい文書が、どうして突然現れるのでしょうか? これらの文書はどこから来たのでしょうか? そして、どうしてこれらの文書が伝統的な新約聖書には含まれていないのでしょうか? こうした質問に対する簡単な答はありません。そして、これらはわたしたちの『新・新約聖書』を読み進める前に必要な問いではありません。そうした点については「『新・新約聖書』の導入(Companion);この新しい本書の基本的な歴史的背景について」の章で扱っています。
 しかし、ここで要約可能なこれらの重要な問いに対する簡単な答を示しましょう。過去100年の間にエジプトの砂漠の砂の中から、カイロの市場、古代の修道院の図書館といった場所から最初の数世紀からの多くの新しい作品が発見されました。いくつかのケースでは、学者たちは既にこれらの本の存在について知っていました。なぜなら、それらは他の古代の文書に言及されていたからです。他の場合には、これらの新しく発見されたキリスト教の始まりからの文書は、これまで全く聞いたことがありませんでした。さらに他の場合では、これらの「新しい」文書の中には、かなり長い間、実際に使われてきたけれども、無視されたり、抑圧されたり、あるいは学者だけが知っているものがありました。
 従って、ここで「トマス福音書」について考えてみましょう。この文書が伝統的な新約聖書にある「ヨハネ福音書」よりも、1世紀から2世紀の間に読まれたということはありません。確かに、古代世界では「トマス福音書」は広く配布され、少なくとも二つの言語に翻訳されていたことが分かっています。これらの新約聖書の正典に至らなかった初期のキリスト教文書は、その時代において、それぞれのキリスト教信仰を見出した作品としてすべてが同様のものとして理解されていたのです。それはイエスの誕生から少なくとも300年後まで、「承認の印(stamp of approval)」〔聖典としての承認〕はありませんでした。

ちょっと待って! 新約聖書は、イエスの直後に収集され、選ばれ、書かれたのですか?

 いいえ。新約聖書は、イエスの時代から少なくとも最初の300年から500年までは存在しませんでした。その本の中には、イエスの死後20~30年後に書かれたように思われるものもありますが、恐らく、イエスの死後、少なくとも140年間はかかれませんでした。

 キリスト教の最初期において、聖典とされるための手がかりとされた文献表では、福音書、手紙と黙示録といった読まれることを目的としたもので、異なるキリスト教共同体においては異なるリストがあり、そうしたリストと無関係なキリスト教共同体が数多く存在しました。イエスの死後、2世紀から4世紀には、そのように収集された初期のキリスト者たちによる教文書が実際に利用されていました。しかし、これらはどれも今日の伝統的な新約聖書とは異なっており、新約聖書のルーツと呼べるほどのものでもありませんでした。そのことは、本書の最後にある「新・新約聖書の案内(Companion to A New New Testament)」で詳細に説明されています。これらの新たな新約聖書へのこれらの文書の追加は、長年にわたり、わたしたちが知っている文書と並んでキリスト教の初期の時代においては重要なものとして、他に比較するものがないものとして長い時間、存在していました。そして、この『新・新約聖書』は、キリスト教の最初期に存在していたキリスト教文書を実に現実的な方法で『新約聖書』に取り込むことを実現しました。
 既存の新約聖書には、たとえばイエスについて真実でない事について編集を受けた文書が存在するという、その特権的な「仮定」があります。伝統的な新約聖書はイエスの召天後、神さまの元から下ってきたわけではありません。キリスト教の教会は、何世紀にもわたって議論と政治的なやり取りをし、どの文書を最も神聖なる文書として正典とするかを決めてきました。これはもちろん過去の記録が、その収集の過程において長期間にわたる複雑な人間の交渉によって生まれて来たことを意味するわけではありません。

それでは、初期のキリスト教の文書の収集されたものとして、新約聖書が1世紀に存在しなかったとしたら、伝統的な新約聖書とそれ以降のこれらすべての伝統的な新約聖書ではない文書は、一体どこから来たのでしょうか? また、それらは一体何時書かれたのでしょうか?

 『新・新約聖書』の各テキストの導入において、これらの文書が何時書かれたのかおよその年代を示してあります。しかし、実際にこれらの執筆年代を正確に知ることは困難です。これらの個々の文書はどれも、それらがいつ書かれたのかを記録しておらず、歴史研究家たちはその年代記において多くの無視できない記録を残しています。たとえば、「ガラテヤ人への手紙」「コリントの信徒への手紙」というパウロの手紙が西暦50年代に書かれたことは合理的に説明可能です。(注1)一方、「ルカによる福音書」は歴史研究家によっては西暦60年代から西暦140年の間のどこかで書かれた可能性があるとされ、研究者によって違いがあります。多くの大学研究者たちは、「トマスの福音書(伝統的な新約聖書には含まれていませんが、『新新約聖書』には含まれる)」はルカによる福音書より、はるかに早く書かれたと主張しています。後で、わたしたちは伝統的な新約聖書の内外の文書が書かれた年代特定の難しさと推定される近似値について、それぞれの古代のテキストについての個々の紹介と「新・新約聖書の案内(Companion to A New New Testament)」において詳しく紹介していきます。
 伝統的な『新約聖書』の内外の文書について、そこには書かれた状況についてほとんど明記されていませんが、時々そうした書かれたヒントになるもの、書かれた場所、歴史的な状況を考慮することによって、それらが特定の人々によって書かれたものであることは確かです。伝統的な『新約聖書』の個々の文書についての正確な起源は、多くの場合、この『新・新約聖書』への新たな文書の追加と同じくらい捉えにくいものです。
 これらの文書の起源については、これまで良く知られているものと全く新しいものとの、そうした両方の曖昧さ未知のものがあり、それはわたしたちにとって衝撃的なものとなるでしょう。しかしながら、個々の文書について、わたしたちが知っていることのより大きな全体像を見ることは、個々の文書についての特定の問いを考慮する時に大きな価値があると思います。なぜなら、これらの文書にはすべてにおいて共通する点が多いからです。たとえば、伝統的な『新約聖書』はどれも西暦175年以降に書かれたものはありません。そして、2012年に行われた評議会においても、西暦175年以降に書かれたことが確実である文書については、『新・新約聖書』に含めませんでした。いつ誰によって書かれ、そしてこれらの個々の文書が書かれたのかについては、実際問題としてほとんど確実性はありませんが、それらの文書すべてにおいて、いくつかの一般的な類似点があります。それは、これらの文書のすべてが、地中海沿岸のどこかで、西暦50年から175年の間に、当時の人々に読まれるために書かれたもので、それは伝統的なものでもあり、また新しいものでもあります。これらの文書はすべて、新約聖書が登場するずっと前から、独自の生活の場を持っていました。その意味において『新・新約聖書』は、新しい文書が追加されたという意味ではありません。

(注1)ーーー 伝統的な年代表記としての「AD」はラテン語の「Anno Domini」で示します。これは「主の年」を意味します。それに対して20世紀半ばから、最近では英語で「CE(西暦、Common Era)」という表記を使用しています。わたしはほとんどの大学で聖書学を研究する人々が好むように、「CE」という表記を選びました。なぜなら「AD」という表記は特にユダヤ教(「マタイによる福音書」では主イエスを殺した人々として理解される)に対して潜在的な辱めの意味があります。そのため、そうしたユダヤ教に対する偏見や、また一面においてキリスト教を特権的にすることのない「CE]を採用したのです。ーーー

なぜ、伝統的な新約聖書においては、そうした他の文書が含まれていないのですか?

 多くの人々は、『新約聖書』が人間によって書かれ、編集されたものであることを認めていますが、そこにある種の合理的な選定基準を仮定しています。どの文書が選ばれ、どの文書が選ばれなかったかを判断するためには、それらの文書は適切に配置されていなければなりません。そうした一般的な仮定は、『新約聖書』に選定された文書は、ある意味でもっとも真実であり、もっとも神聖なものとされ、あるいは歴史的にそうでなかった文書よりも正確であったという選定基準です。この『新・新約聖書』が目指す一つの目標は、そうした従来の選定基準を再評価することにあります。 たとえば、『新・新約聖書』には「真実の福音書」という文書が含まれています。そこには伝統的な『新約聖書』にも見られるイエスについての美しい詩が書かれています。また「トマスの福音書」には、伝統的な『新約聖書』のどこを見ても見つからない、イエスが直接語られた言葉にさかのぼる可能性を持つ、イエスのことわざを記録しています。「ソロモンの頌栄」では、初期のキリスト教礼拝についての多くの情報を、従来の『新約聖書』全体よりも多く提供しています。
 この『新・新約聖書』は多くの人々と聖書研究者に対して、既存の『新約聖書』に見られる、新しく発見された初期のキリスト教文書が正統的であるのか、それとも異端的であるのかを過度に単純化した聖書解釈を越えることを手助けすることを意味します。これは、わたしが大学で、教会における新しい文書と、既存の新約聖書を並行的に教えた経験に基づいており、このプロジェクトは、過去20年にわたって神学校で教えて来た、書記のキリスト教の遺産に属するものについての新しい考え方を具体化したものです。それは、この伝統的な『新約聖書』と新しく発見された初期キリスト教文書との融合が、精神的な探求、倫理的な問題、信仰の形態、そして社会的な慣行に対してそれらをどのように照らすものであるかを、読者に提示するものとなるでしょう。それは研究者や宗教的な指導者たちにとって、この新しい『新新約聖書』に対してどのように注意深く耳を傾けることになるのか、そのことを要求するでしょう。そして、そこに含まれる様々な文書が相互にどのように関係しているのか、また現代の世界においてどのように関係するのかを理解する方法について、新鮮かつ力強い信仰理解を提供することになるでしょう。

『新・新約聖書』とは何か?

 『新・新約聖書』は、キリスト教の初期の時代における37の文書を含んでいます。それは従来の慣れ親しんだ文書に新しい発見の場を与え、かつ、そうした読者への配慮として内容や形式によって6つの部分にグループ化しました。これらの文書には「福音書」「教え」「祈り」「予言」が含まれています。
 『新・新約聖書』には、それぞれ古代の文書についての重要な要約と紹介が書かれています。これらには、それぞれの文書に基づく議論を含んでおり、重要な歴史的な背景や、ここに収蔵されている他の文書に対するもの、テキストの用い方についての提案などが含まれています。そして、テキストを通じて精神的な状態についての理解をより深めるための潜在的な瞑想についても触れます。
 最後に、そうした古代の文書の終わりに、わたしたちは「新・新約聖書の案内(A Companion to A New New Testament)」において、「ヨハネの黙示録の秘密」を紹介しましょう。この文書に含まれる6つの章は、新しい文書がどのように発見されたのか、伝統的な新約聖書がどのように成立したのか、新しい文書が互いにどのように共通しているのか、そして20世紀、21世紀における学術研究が新しい文書について語ったこと、最近発見された文書と伝統的な文書とを一緒に読むことによって生み出される意味について、『新・新約聖書』の将来がどのようなものか、見ていきます。

この『新・新約聖書』はどのようにして生まれてきましたか?

 2世紀から8世紀にかけて、初期の公会議や教会会議においてしばしば重要な問題を解決するために、霊的指導者による集団が組織されました。(注2)このキリスト教の伝統に敬意を表して、わたしは北アメリカ各地(注3)の霊的指導者たちを招き、75冊以上にものぼる初期のキリスト教文書を集め、それによってどのように『新・新約聖書』を編纂するかの評議会を立ち上げました(注4)。
 そして、6ヵ月以上の準備期間を経て、2012年2月にニューオリンズで19人による集まりを持ちました。この時の非常に貴重な議論と意思決定のプロセスについて得た結論は、まさに今、あなたが手にしているものです。この時の評議会のメンバーの名前と略歴については、本書の後ろにリストに表示してあります。そして、この時の評議会の審議の過程についても、同様に、最後の「新・新約聖書の紹介(Companion to A New New Testament)」において説明されています。
 2012年に行われたニューオリンズでの評議会において、司教、作家、ラビ、そして学者たちは、彼らの仕事を終え、興奮のあまりうずうずしていました。彼らは、伝統的な新約聖書に付加された文書に対して自信を持っていました。何人かは、追加された新しい文書について、心配する者もいました。しかし、わたしたちは、今回のこの功績によって、より多くの議論が進み、様々なキリスト教の物語に触れる多くの機会を提供することになるであろうこと確信しました。願わくは、あなたがこの本を読むことを通じて、現在進行中の議論が助けを受け、それによって新しい可能性をもたらすようになることを期待します。

(注2)ーーー 皮肉なことに、最初の6世紀のうち、いくつかの地域における教会会議だけが、新約聖書に何を入れるべきかという問題を取り上げました。新約聖書に含まれる文書の最初の公式な宣言は、16世紀に行われたトレント教会会議でした。ーーー

(注3)--- わたしの経験では、聖書は異なる文化では異なることを意味しています。そのため、この最初の取り組みでは、文化的経験を共有した霊的指導者に、選択の範囲を限定することにしました。わたしは別の「新しい」新約聖書が国際的に集められることが可能であるかもしれないと思います。しかし、これにはわたしが自由に使えるよりも多くの知恵と予算が必要になります。ーーー

(注4)--- この本の後ろに掲載した「紹介(Companion)」の章で述べているように、一部の人々はこの『新・新約聖書』が伝統的な新約聖書における不快な本のいくつかを排除することを提案しました。しかし、わたし自身は新約聖書の中にそうした本が存在することを否定はしません。たとえば、わたしは「テモテへの手紙1」が特に女性に対する徹底的な攻撃を見せます。しかし、わたしたちの時代には、わたしたちの文化はそれらを排除するよりも、さらに新しい文書を追加することの必要性に重点を置く方が大切だと思えました。そうした理由で、わたしはこの状況において、誤解を与えないように注釈をつけることにしたのです。---

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