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自由と内省

いたちごっこ対策

最近 ぼくの所属する部署では、スタッフルームとリビングとの間にカギが掛かっています。※カギとはいっても、どちら側にもサムターンがついていて誰でも開けられます。


ある認知症の利用者さんがウロウロと歩き回り、いろんなモノを持っていっちゃって、スタッフルームの大切な書類を勝手に捨ててしまったことがきっかけです。

「カギをかける対策」には賛否があったようですが 、自分はそのこと自体は、まぁ仕方がないのかなと思っています。

ずっと利用者さんに付き添ってばかりもいられないので…。

カギがかかってからしばらく経った今、こんどはキッチンの入り口に赤ちゃんフェンスを付けて 、つぎはトイレのパット入れに赤ちゃんロックを付けて、さらに、持ち上げると危ないってことで紐で固定しちゃいました。

そしたら最近は、スタッフの衣類が入ったロッカーから服を出してきてテーブルに積み上げてはります(笑 

ここからが本題です!

目的を超えた運用

カギをかける目的は「ずっと付き添ってはいられないから」だったけれど、 一度カギをかけると、ぼくは、そっちのほうがラクなことを体験します。

そして知らずしらず、付き添える状況のときでもカギをかけて作業をしてしまいます。付き添わなくても良いと、圧倒的に作業がスムーズなので…。

いつの間にやら
ほぼ無意識のうちに
目的を超えた運用がはじまります。


入居してすぐの頃、トイレットペーパーをいっぱい取っては、流してトイレをつまらせてしまうので、トイレットペーパーを撤去しました。今度はペーパータオルをトイレに流したので、ペーパータオルは手の届かないところへ移動しました。

そしたらスタッフルームの書類を便器に捨てていたので、 鍵が掛りました。

最近は廊下におしっこをすることが増えました。

「廊下におしっこ」までの一連に、因果関係があるのかどうかはわかりませんが、なんとなく最近、「てか介護っていったい何なんかな?」と疑問に思うことが増えてきました。

表面上はとりあえず優しい感じであろう、ぼくの笑顔と行動に、利用者さんは一体どんなことを感じているんやろなぁと、わからないながらに想像してみたりします。

介護ってそもそもなんやろな?


ちょっと脱線しますが「介護」っていう字を一文字ずつ分解すると、

「介」= 間でとりもつこと  
「護」= つきそって、あやまちのないように大切にする

って辞典に書いてありました(笑

それを組み合わせてみると、
介護とは利用者さんに付添い、あやまちのないよう大切に守り、利用者さんと利用者さんが向き合っている対象となる人やモノとの間をとりもつことになるのかなと思いました。そのままですが(汗

本題にもどります。

とはいえ、
利用者さんのものを取り上げたわけでもなく、まして虐待や拘束と言うほど大げさな話でもないし、(小さなスピーチロックは日常的にありますが…)

カギを掛ける・外すのどちらかの選択が、単純に正解と言えるわけでもないように思います。

けれども、
介護職としてなんとなく釈然としないところもあり、汚い表現をするなら二流のしごとのような感覚かも知れません。もともと二流ですが(笑

そして、
こうした「いたちごっこ対策」の延長線上にどんなことをやっても、介護職としてのやりがいや喜びは感じられないんじゃないかなぁと漠然と思ったりします。

まず、立ち止まって考えてみる

本当はぼくの部署のみなさんと語らいあえば良いのですが、正直それはぼくにとってハードルが高ずぎです(汗

そして「ただちに解決策が必要だ」と言いたい訳でもありません。

けれども、
こういった「なんとなくグレーっていう出来事」に対して、考えることを諦めてしまうと、介護職とはあまりにも生産性のない、しょうもない作業の繰り返しでしかない…ような気がしています。

製造業と介護職のちがい

ある先輩の言葉を借りるなら「それなら工場で働けばえぇやん」です。

別に工場と介護施設を比べなくてもいいのですが、ぼくも以前にライン工場に勤めたことがありました。しっかりと管理されたシステムのもと、サボる人もいないし(サボれないし)、何百人のスタッフがほぼ同じスピードと品質でアウトプットを繰り返します。

そこに「考える余地」はまずありません。

ひるがえって介護職には、良くも悪くも「高度な自由」が与えられているのかなって思いました。

特養という環境において、利用者さんを一人の人として尊重し続けるのは容易ではないし、サービスの品質を計る明確な尺度も存在しません。

言い換えると、自分たちの感覚を頼りに、手段の運用が「目的と一致しているか」ということを、絶えず意識し内省し続けなければいけない「高度な責任」を負っているのかも知れないと思いました。

自由と責任のバランスを見失うと、たちどころに、無意識のうちに、独りよがりなサービスが出来上がってしまいます。それほど介護職が持つ、利用者さんへの力は強大なのかもしれません。

とりとめないまとめ

ここまで書いてみて、あまりカッコをつけて、ないアタマで、ややこしく考えても仕方がないのかも知れないと気付きました(笑

月並みすぎて恥ずかしい気分ですが、まずは立ち止まって今しているしごとが気持ちが良いかどうかを素直に感じてみること。そして、ほかの人はどう感じているか語らいあってみること。

その先に、やはり気持ちが良くないと感じる「なにか」があるのなら、逃げずに、正直に小さな行動を起こす勇気を持つこと。それがいづれ、自分の身の回りの様々な「なんとなくの違和感」を解消し、ひいては理想の職場環境を作ってくれるのかなと、ぼんやりと思ったりしています。


※部署のなかにはいいところもたくさんあって、その利用者さんも毎日たくさん笑って過ごしてくれています。




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