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チャンスの掴み方

四中工に入学して1年が経ち進級できました。

ある程度の余裕ができた。
自分が2年になることで先輩からの目も少なくなり、よりサッカーにと思っていた。
走りも1年間でかなり成長した。2年生になった頃には120人いた部員の中でも半分より上になるくらいの体力はついていた。
しかし、1年目は走りに少し枯渇しすぎたところもあり、技術的なところであまり成長がなかったことも事実だった。そこで自分のストロングとウィークをはっきりさせようと考えた。
自分のウィークはフィジカル的な弱さ。大舞台でのメンタルの弱さ。とたくさん出てくる。
ただストロングは?と聞かれた時になにか飛び抜けている能力がぼくにはなかった。
なぜか。中学時代に思い知らされた技術のなさを克服するために、あれもこれもと平均値を上げることばかりになっていた。確かにそれも大事。
ただいざ勝負の場面でなにもできなかった。
そしてなにより、1番ネックだったのがポジションが定まっていなかったことだ。両サイドサイドハーフ、トップ下、FWと平均値だけでただミスを減らすことだけを考えてプレーしていた。ただそれは良さにならない。
1年間で唯一取り組んでいたのがシュートだった。
それがストロングというよりそれしかなかった。
その時思い返すと、確かに小学校の頃からキックは好きだった。

もうあとは貪欲にトレーニングすることで、大一番で結果を残す。それしか考えていなかった。
なにも持っていなかったぼくは全体練習後にグランドでひたすらシュートをやって、走りは必ず3位までには入る。とか自分でちょっと頑張ったらできそうな目標を少しずつたててやると朝練は寮生の中でも1.2を争うレベルで早く行って、21時にナイターをきって帰る。そんな生活が続いた。ただ1人でやっていたわけでもない。シュートもキーパーをつけたり、パスを出してくれるやつがいたりと、寮生や自宅生も誘ってやっていた。そーゆーやつらには本当に感謝している。
こうした生活を続けていると、明確には覚えていないが、恐らく2年の夏終わりくらいにBチームに上がれた。
心が躍った。全体ミーティングで名前が呼ばれるまで時間が長かった。
あくまでも個人的な考え方だが、正直自分の中で四中工はA.Bチームとそれ以外みたいなチームの分け方がされているような感じだった。

そこからの時間もまた苦痛と化した。
年下で自分よりうまいやつ。もちろんキーパーのレベルも上がる。シュートが入らない。
そうこうしている間に3年生を迎えようとしていた。
実際のところ、2年生の記憶があまりない。
同じ生活をずっとしていて、階段を上るかのようにチームが上がっていった。ただそれだけだった。

ここからの続きはまた明日アップします。
いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。

横山史仁

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