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セレクトA2009

昨日は中学時代だったので、今日は小学時代に受けた衝撃について書きたいと思います。

ぼくは小学5年生の時に、いわゆるトレセンとは違い、リーグ戦に参加しているチームから選ばれる選抜チームに行っていた。選出方法は各チームでコーチから選出され、その後選抜チームで選考される。

ぼくはその選抜チームに5年生ながら選ばれることになった。恐らくぼくは小学校の頃は今と違って、背も高く、キックは誰よりも早く習得していた。ある程度の身体能力は持っており、背が伸びるのが早かった。ただそれだけで選ばれていたのだと思う。

そして練習が行われる。メンバーはもちろん各チームから集まったうまいやつが来る。大阪から来ているやつもいた。
チームはジャグリングというトレーニングに力を入れていた。これはリフティングやボールフィーリングなど1人で練習してできるような内容だった。
リフティングも膝より下でやる。毎回練習でもジャグリングは必ずやっていた。

そこでぼくは衝撃を受けた。

練習のデモをやっている選手の質が違った。
うますぎたし、自分が思い描いていたレベルよりも遥かに高かった。

落とすまでリフティングしようと言われてもぼくはいつもかなり序盤で落とすし、うまいやつは永遠やってる。
悔しいというよりも危機感を覚えた。選抜チームに行くという経験が初めてだったぼくは少し満足していた。自分のチーム内でうまいと認められたことに優越感を感じていた。見ている世界が狭すぎた。

それからこの穴を埋めようとかなり練習した。
ただ周りも同じように練習するし、穴を埋めるというよりも追いつくことで精一杯だった。

ここで考えたことがひとつあった。
周りとは違うことをして評価してもらう。

徳島県に遠征に行った。これは選抜チームだけが集う大会でかなりレベルが高かった。
この大会の行きのバスでキャプテンを決めると監督から告げられた。ぼくはここでなぜか迷わず手をあげた。もちろんぼく以外に手をあげてる選手なんて1人もいない。この選抜チームで大会を優勝したいと思っていた。そして初めてやるキャプテン業務に戸惑いながら、大会は惜しくも準優勝で終わった。

その大会の表彰式で個人タイトルの表彰の際にぼくの名前が呼ばれた。
優秀選手賞。初めての個人タイトルに胸が躍った。プレーとキャプテンを並行してやることの難しさを感じながらもそれ以上にやりがいを感じた。小学生ながらぼくは達成感に浸っていた。

銀メダルと優秀選手賞の盾を持って家に帰る。

親に報告するのが楽しみだった。
それ以上に周りがぼくを認めてくれた。

その日からこの選抜の練習が楽しくて仕方なかった。

うまい人とプレーする楽しさを初めてここで実感した。地元の少年団でプレーしていることに満足していたぼくはここで初めて向上心がついた。

この選抜で共にプレーした選手と自チームに帰って対戦相手としてやる。その日のために毎日頑張っていた。

ただあの衝撃は今でも忘れられない。

横山史仁

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