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HIRAへ

今日は大学3年生です。

ぼくは大学3年目をびわこ成蹊スポーツ大学サッカー部 HIRAに所属することにした。
当時HIRAは関西リーグに所属しておりかなり魅力的なチームだった。
同じサッカー部のやつに同じ気持ちでサッカーがしたいと誘われて移籍することを決めた。
一度社会人チームに行くと基本的に1年間は社会人チームとして戦わなければならない。

シーズン前は試合に出れない日々が続いた。
完全にチームに順応する事ができていなかった。自分の持ち味を出せないことが1番の課題だった。
それはリーグ開幕までに少しずつ払拭することができたが、今の自分の1番の課題もそこだ。
リーグ開幕直後、チームとしても個人としてもかなりキレていた。そして連戦が続く6月。

連戦になる1発目の試合の開始15分で左膝の内側側副靭帯損傷という怪我をした。これまでのサッカー人生、怪我で途中交代したことなかったぼくはいつも通りベンチにはいけるとサインを出して試合を続行した。しかし膝に力が入らない。
前半での途中交代。チームにかなり迷惑をかけた。

そこから1ヶ月半のリハビリ生活。
精神的にかなりしんどい期間となり、多くの人に支えてもらいながらリハビリをした。ボールは蹴れないが必ず復帰してチームの力になると思っていた。課題も指摘され少しずつ克服した。
その中でもサッカー部のトレーナーにはかなり世話になった。
大学のアスリートリハビリテーションという組織にもお世話になった。
本当にありがとうございました。

そして復帰してすぐの夏にはアルテリーヴォ和歌山に練習参加。
この経験がぼくにとって大きな影響を与えた。
正直関西1部リーグのレベルをなめていた。本気でJFLを目指すチームに行きたかったのはあったが、元プロの選手やベテラン選手などたくさんいた。基本的に午前は練習、午後は仕事という1日のサイクルの中で各々がプレーしている。ぼくはアルテリーヴォ和歌山に練習生としても行ったが大学のインターンシップとしていかせてもらった。
1番衝撃を受けたのがベテラン勢や元プロの選手だった。練習の1時間前に来てストレッチや筋力トレーニングなど自分のやるべきことをしてから練習に入る。これは自分にとってかなり衝撃だった。プロでない選手が長く選手生命を維持できる秘訣はここにあった。圧倒的な自己管理だった。そして仕事場も覗かせてもらった。本当に努力の塊だった。圧倒された。
他にもここでは書ききれない程の学びがあった。
チームは良い人ばかりで、練習参加後トレーニングマッチもしていただいた。本当に楽しかった。
こういう舞台で自分もプレーしたいと思わせてくれ、新たな目標を作る良い機会だった。

アルテリーヴォ和歌山のみなさん本当にありがとうございました。

そしてチームに合流した。
気づけば降格争いをしていた。
これほどチームとして機能しないのは初めての経験で、自分がなにをするべきかわからなかったのも事実。リーグが終わって見ると7位。入れ替え戦となっていた。
後期は全く結果が出なかった。全員が同じ方向を向けていなかった。楽しくもなかった。
入れ替え戦に向けて準備あるのみ。

年が明け入れ替え戦の日。
西京極にはたくさんの応援団と観客。圧倒された。
かなりプレッシャーのかかった試合になり、個人として全く良さが出ず、本当になにもできなかった。
結果は綺麗な逆転負け。県リーグへ降格
現実を受け入れられなかった。しばらくモチベーションがなかった。初めてぐらい落ち込んだ。

ただ落ち込んでいても仕方ない。
次のシーズンに向けた準備をスタートさせなければいけなかったが、自分にのしかかった重りを中々下す事ができず、下すのにかなり時間がかかった。
絶対に自分が1年でチームを昇格させる。
そう誓った。当時の3年生は全員チームに残り、昇格へ精進すると決めて、新たにシーズンをスタートさせることになった。

3年生はかなり多くのことを経験した。
この経験を絶対に無駄にせず大学サッカー生活を終わらせたいと思っている。

横山史仁


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