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自分の人生を歩んでいい

静かに 深く呼吸をして また歩き出す

SuperflyさんのWildflowerという曲が好きです。荒野に咲く花のように、逞しく生きたいなぁという願いがあるからかもしれません。

人生の中で新しいことに挑戦する時、不安や恐怖から「普段の自分だったらしないのに」と感じるような、「通常の私」とは違う選択をすることがある、ということは誰しも経験があるのではないかと思います。

その選択の中には、時に後悔が生まれることもあるのでないかと思うのです。「いつもだったら、落ち着いて対応出来たはずなのに、、」と落ち込んだり、自分を責めてみたり。

私たちは一見自分にとって望ましくない結果になったと感じる時、それまでの選択を「間違えた」「悪かった」とジャッジする気持ちが生まれることがあります。それも自然な反応だと思います。

でもきっと、今までとは違う選択をしたからこそ、以前だったら当たり前に選んでいたルートから外れることが出来るということもあると思うのです。そしてそのことによって、新しい道のりを歩んでいけるということでもあるのかもしれない、と。

人という生き物にとって、ジャッジをするのはとても反射的に行えることなのだと思います。比較や評価をしてきたからこそ、ここまで生き残ってきたのだと。

ただジャッジによって責める気持ちが大きくなるのは、心地良く生きにくいなぁ・・と私自身は感じているので、「ジャッジはしてもいい、責めるところまでは進まないようにしよう」と、自分に約束をしています。守れない時もありますけれど。

記事のタイトルの「自分の人生を歩んでいい」は、リヴオンでつくられた『大切な人をなくした人のための権利条約』の1番最後、第7条の言葉です。


第7条 自分の人生を歩んでいい

自分の人生を生きること。 たのしい時間をもつこと。 時に亡くした人を忘れていること。 それは亡くした人を置いていくことではありません。 喪失した相手の存在とともに あなたの人生を 歩んでいくことはきっとできます。

〜書籍『大切な人をなくしたあなたへ』より〜


新たに歩み出した道のりの険しさで身がすくむ時に、やはり選ぶべきではなかったのだと自分を責める気持ちになった時に、この言葉たちに力づけられてここまでやって来ることができた。そう感じています。深く深く感謝しています。

そして今回もまた、しばらくこの言葉に力をいただくこととなりそうです。

私にもあなたにもひとりひとりの中にある、たったひとつしかない「自分の人生」を、歩んでいくことがしやすい世の中でありますように。

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