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つい、にも意思はある

出張などで遠出した時に、出来る限りすることのひとつに「わが家へもお土産を買う」があります。

出来る限りと書いているのは、電車までの時間がタイトで買う時間が無いとか、持っている荷物が多すぎて、、ごめんなさいという時があるので、自分に負担がない範囲で行なっているという意味です。

話を戻して自宅へのお土産についてですが、長野へ行くと「みすず飴」を買って帰る率がとても高いです、私。
あれですね、お父さんが海外出張帰りに家族から、「またマカデミアナッツチョコ〜?バッグが良かった」と言われるみたいな感じの、私にとって定番なお土産です。

本当はもっといろいろなお土産を買いたいとは思っていて、駅前のお土産コーナーを見て回るのです。しかし、どれだったら喜んでくれるだろうと考えてるうちにタイムオーバーになって、ひとまずみすず飴だけはゲットして帰る。そんな動きになりやすいのです。

この「つい、選んでしまう」って、自分自身への気づきを高めるための重要な学びの教材というか、「どうして、その行動をしたのか」を振り返り紐解いていくことで、自分がどのような意思決定を瞬間的に行ったかということが明確になります。
ということで「今回もつい、みすず飴を買った」を振り返ってみると、

・まず単純に、家族全員が今のところは好きなお菓子なので、お土産としてはずれない。
・一箱に数がたくさん入っているので、ちょこっと友達にお裾分けしたいなどの対応もききやすい。
・以前通っていた学びのグループで行った「大人の修学旅行」で本店へ入ったりした、その旅行の思い出がものすごく楽しかった記憶があって、みすず飴を見る度に当時のことを思い出せて嬉しいから。

など

他にもあると思うのですが、今すぐ思い出せるのはこんなところです。

つまり、「つい」ってついじゃないというか、そこには何かしらの意思や意図が反映されてその行動を選択しているということで、その今までの行動が積み重ねられてきた蓄積の厚みがある習慣ほど瞬間的に行うので「つい」になるわけです。つまりはよくしている選択ほど「つい」になりやすいとも言えますよね。

その「つい」が自分にとって望ましい行動であれば嬉しいわけですが、「つい、やってしまった。。」と感じる選択をすることもままあるわけです。

その自分にとって望ましくない「つい」があった時、私たちは反省モードになって「やった行動を思い出して後悔する」という思考を繰り返しやすいのかなと思うのですが、その時に「どうしてその行動を選択したのか」ということを振り返っていく視点を持つことが出来れば、すこし我にかえることができます。

今長野で参加している信州ソーシャルイノベーション塾で学んでいることの中で私が1番好きな内容が「システム思考」というもので、詳しくは別の時に書きますが、何か望ましくない出来事が組織などに起きた時に「自分も相手も責めない。何か望ましくない結果につながる構造であった」という視点で物事を捉え、そこから解決策を探る考え方のことです。

このシステム思考がとても好きで、このように考えられたら日々がものすごく生きやすくなるなぁと感じているので、ただ今実践&検証中です。

そしてここまで書いて、ちょっと実験してみたいことが思い浮かんだので早速やってみたいと思います。やってみての結果は、また今度お伝えしますね。

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