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「休んでもいい」いう許しとともに

学校へ通うようになって1ヶ月半が過ぎ、5月病的な影響もあるのか、日々身体の重さが増しているような感覚が続いています。

以前、無理をして動き回っていたらダウンして、しばらく社会生活が出来なくなったので気をつけたいなぁと思いつつも、なかなか有効なセルフケアがなくて、また倒れたらどうしよう、、という不安がじわじわと大きくなっています。

そんな気持ちの時も学校はありまして、そして今週は週末に仕事で欠席予定があるので休みたくはなく、しかし身体はたっぷり休みたーいと訴えていて、身体と心の合意形成までにはもうしばらくかかりそうな感触です。

それにしても面白いなぁと思うのは、仕事があることで学校が休めることに、ちょっとホッとしている自分がいるということ。

体調が落ちていて気持ちもちょっと落ちているからか、休んでいいという事実に安堵しているのだと思います。

けれど実はよく考えてみると、この「休んでいい」という考えは仕事のあるなしに関わらず持っていていいはずなのですよね。

自分の意思で学びに来ているのだから、学びを継続するのも辞めることも、そして時折休むことも本当はしていいことのはずなのです。

なのにどうしたわけか私たちは「学校は毎日通わなくてはいけないもの」という価値観をいつのまにやら刷り込まれているらしく、休むことに対して罪悪感が生まれてきやすいように感じています。

もちろん、これは私の感覚なので「全然そんな風に感じたことない」という人もいると思いますし、それって素敵なことだと思います。だってその人にはきっと、休みたくなった時に「休んでいいよ」って言ってくれたりする人がいたということでもあると思うので。

だから、病気とか用事とか明らかなる理由がなくても、本当に休みたい時に「休んでもいい」と、まずは自分が自分に許しを与えることって大切だなぁと感じました。

と書きつつ、今日も学校へ行ってきました。今日もがんばった〜。

明日に備えてゆっくり休みたいと思います。

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