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大川原化工機国賠訴訟で明らかになった警視庁公安部の稚拙な論理構成

1.滅菌、消毒、殺菌という言葉について
噴霧乾燥器の輸出規制要件(ハ)では「定置した状態で滅菌または殺菌ができるもの」というのがあります。
本事件で問題になっているのは「殺菌」という言葉です。
医療分野では「滅菌」「消毒」という言葉が用いられており、殺菌という言葉を耳にすることはありません。
殺菌と言う言葉のどこが問題なのかというと、滅菌や消毒は状態を示す言葉であるのに対して、殺菌はプロセスを示す言葉で、これらは本来並列に扱う言葉ではないからです。殺菌はプロセスを示す言葉ですから、例えば100万個の大腸菌があったとして、これを何らかの方法で90万個に減らしたら10万個の大腸菌を殺菌したことになります。
しかし、この行為で何か意味があることだと思いますか?病原性大腸菌は100個あれば感染が成立し、病気を引き起こすとされています。病気を引き起こさない、ということを目標にするのであれば、殺菌という言葉で表現するより、大腸菌を100個未満に減らす、ということを目標にしなければいけません。そして大腸菌の数を100個未満にするための「方法」を検討することになります。
また、可能であれば100個未満というより、0個の方が望ましくないですか?
医療行為(手術)などでは、細菌にさらされるリスクを可能な限り減らすために、メスやピンセット、針、糸などは滅菌されています。滅菌とはあらゆる微生物が存在しない状態を示しますので、これを達成する滅菌方法が複数存在し、その処理を行うのです。世の中のすべての物が滅菌できれば、病気を引き起こすリスクは減らせるように思えます。しかし現実としては滅菌できないものがたくさんあります。分かりやすいのは手術を受ける患者さんの皮膚です。滅菌は有毒ガスを用いるか、160℃〜190℃といった高圧蒸気を用いて行いますので、生きている患者さんを滅菌することは当然できないのです。すると、次の妥協案として「消毒」ということを目標にするのです。消毒の定義は感染を起こさない程度に細菌のリスクを減らすこと、つまり大腸菌で言えば、100個未満に減らすこと、ということになります。消毒は「毒を消す」とありますので、感染リスクを低減させることがその目的です。感染が成立するのに必要な菌数は、細菌の種類や感染経路によって異なり、一概に言えません。

2.なぜ、省令には「殺菌」という言葉が用いられたのか。
正確な理由は分かりませんが、滅菌、消毒という言葉の意味を正しく理解していない方が、「殺菌」という日常用語を法令に組み込んでしまったという法令作成過程のミスであると思います。補足すると省令の基礎となったオーストラリアグループのガイダンスでは、「disinfect」という用語が用いられており、これは通常「消毒」と訳されるからです。ちなみに「-infect」は感染を意味し、この頭に「Dis」がついているので、感染しない⇒消毒という意味であり、菌を殺すという意味ではありません。すなわち経済産業省の「誤訳」が原因です。
(注)除菌、抗菌など、殺菌同様に定義の不明確な民間用語は多数見られますので、皆さんの注意していただきたいですし、企業もイメージだけで変な言葉を作らないで欲しいです。経産省も警察もリテラシー低いので。

3.警察の立証論理の矛盾
警視庁公安部は「何らかの菌が死ねば、殺菌である」との独自解釈を打ち立て、これに批判的吟味をせずに捜査に突き進みました。でも少し考えてみると大きな矛盾が存在しています。
噴霧乾燥器が生物兵器として転用できると考えられる理由は、殺傷能力の高い細菌を細かく粒子化してばらまくことで、人の呼吸器系に細菌を侵入させ、殺傷することができる可能性があると考えられるからです。そのための条件を考えてみると2つあります。
①製造過程では細菌は死滅せず高い純度で粒子中に存在していなければならない。
②製造が終了したら、製造者は安全に装置に近づくことができなければならない。
省令の(ハ)の要件がまさに、②に必要な要件となるのです。
警視庁公安部は、噴霧乾燥器が高熱の空気を粒子に当てて瞬時に乾燥するという装置をしくみから「熱風を当てるのだから菌は死ぬだろう」と考えたようです。でもここで菌が死滅する(つまり製造工程で消毒)のであれば、そもそも製造された粉体は生物兵器にならないわけです。

4.実験法の問題点
本来は炭疽菌など生物兵器で使用される危険な菌を含む粉体が本当に製造できるのか、そして本当に滅菌、消毒できるのかを検証すべきですが、菌自体が入手できないうえ、実験には大きなリスクを伴うので直接的証明はできません。
そのため警視庁公安部は噴霧乾燥器内部の温度分布を測定し、○℃以上になれば菌は殺せる、という仮設に基づき、証明を試みました。(この根拠も研究分野も怪しい研究者から得た発言のみです)

彼らの論理は以下の通りです。
A:大腸菌は50℃の環境に9時間おくことで殺菌できる(ここでは菌量を100個未満など、感染性を失わせる、といった意味で言及していないと思われます)。
B:噴霧乾燥器内部が50℃以上になる
C:大腸菌も50℃以上になり、死滅する。

警視庁公安部の実験の問題点は、B=Cと考えたことです。
実際は噴霧乾燥器内部温度と試料中の温度は同等にはなりませんよね。
(フライパンは280℃であってもステーキの肉内部は280℃にならない)
ここが、警視庁公安部の思考の浅さが露呈した部分です。(結局大川原化工機が莫大な費用を負担して反証実験を実施した)
このような論理で結論を導くというのは、高校生の自由研究でも合格は貰えません。もうちょっとちゃんと勉強してくれないかな、お巡りさん!

下記の参考資料をご覧いただくと分かると思いますが、大腸菌でそんな簡単に減らすことはできないです。ただ熱風を当てたくらいで死ぬのなら、家庭での消毒法として、「ドライヤーを当てる」なんて言う対応が紹介されてもおかしくないですよね。
だけど、警視庁公安部はこのような理屈で立証できたと考え、あとは作文して逮捕状請求⇒逮捕につきすすんだ訳です。

(注)裁判所が判断して逮捕の必要性を認めて逮捕状を発付している訳ですが、立証方法を誤って法令違反とご判断した逮捕状請求書を一見の裁判官は正しく判断できるのか、という点は問題あり、結果として請求どおりに逮捕状発付する裁判所は「自動販売機」と言われています。
(注)ちなみに本文中では大腸菌について言及していますが、大腸菌がもっとも低温で死滅できることから、警視庁公安部は大腸菌を指示菌として立証活動するのが効率的と考えたのでしょう。

参考資料として山口県感染症情報センターに記載されている病原性大腸菌(O-157)の消毒、滅菌方法を紹介します。https://kanpoken.pref.yamaguchi.lg.jp/jyoho/page5/syoudoku_3.html
汚染物の消毒・滅菌
(1)器具
 耐熱性の器具はウオッシャーディスインフェクターなど熱水を使用した洗浄装置で処理する。 もしくは,素洗い後に80℃以上の熱水に10 分間以上浸漬する。 その後,器械組みして高圧蒸気滅菌など,通常の滅菌を行う。
 非耐熱性のものは,流水による洗浄の後,薬液消毒または酸化エチレンガス滅菌,過酸化水素ガスプラズマ滅菌などにて滅菌する。 消毒薬として,アルコール系消毒薬,両性界面活性剤,ビグアナイド系消毒薬,塩素系消毒薬などが有効である。
(2)患者環境
 消毒する重点領域は,患者の使用したトイレ,洗面所である。 患者が用便した後はトイレの取っ手やドアのノブなど,直接触れた部位を中心に消毒する。
 第四級アンモニウム塩,両性界面活性剤などの消毒薬による清拭消毒が中心となる。 消毒薬の散布や噴霧はしない。
 患者が使用した寝衣やリネンは,家庭用漂白剤に浸漬してから洗濯する。 便汚染のあるシーツなども大きな汚染を水洗除去してから,同様に漂白剤に浸漬してから洗濯する。 その他の物品は煮沸消毒または消毒薬による消毒を行う。 食器は洗剤と流水で洗浄する。
 患者の入浴はできるだけ浴槽につからず,シャワーか掛け湯を使用する。 家族が入浴した最後に入り,他の者と一緒に入浴しないようにする。 最後に風呂の水は流しておく。 バスタオルは家族と共有しない。風呂桶の消毒は必要ない。
 患児が家庭用ビニールプールを使う場合は,他の乳幼児とは一緒に使用せず,使用毎に水で洗って交換する。 消毒の必要はない。
 患者がいる家庭では,なま物の摂取はひかえ,必ず加熱(75℃・1分間または100℃・5秒間の加熱)して食物の中心部まで熱が十分届くように調理する。 また,調理する者の手洗いの励行とまな板,包丁,食器,ふきんは熱水消毒する。
(3)分泌物,排泄物
 分泌物や排泄物を消毒する場合は,水洗トイレ槽に第四級アンモニウム塩を最終濃度0.1~0.5%になるように注ぎ,5分間以上放置後に流す。 便の付着した物品の消毒は,糞便を洗い流した後に熱水もしくは家庭用漂白剤,第四級アンモニウム塩などで消毒する便器も同様に消毒薬で清拭消毒する。

参考資料
NHKクローズアップ現代『不正輸出事件の起訴取り消し 取材から見えた捜査の課題』https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4726/

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