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「大阪食い倒れ」「京都着倒れ」「江戸履き倒れ」など「なんとか倒れ」をまとめてみました。

今日は「なんとか倒れの話」を少し書いてみます。
「大阪食い倒れ」
「京都着倒れ」
「東京履き倒れ」
など昔からよく言います。それは地方で自分達で言っていたり周囲の県の人がちょっと揶揄する意味で言っていたり様々ですが、今日は一般的に認知されている「なんとか倒れ」をまとめてみました。

① 大阪食い倒れ
大阪は江戸時代より米の蔵が立ち並ぶ食べ物の町でした。
「天下の台所」と言われるくらい
米を中心に全国の食材が集まりました。
函館を起点とする「北前船」は
主要貨物の昆布を大阪でほとんど下ろし、
代わりに鰹節を積み込んだことより
関西薄味、関東濃い味となりました。
昔より大阪の人は「食いしん坊」だったそうです。
食い倒れの町は他にも
「伊予の食い倒れ」「因幡の食い倒れ」「越後食い倒れ」「尾張食い倒れ」「足利食い倒れ」「信州食い倒れ」「奥州食い倒れ」「関東食い倒れ」「下総の食い倒れ」
など沢山の地方で言われています。
食い倒れ、とつく地方は、
江戸の昔より物成りが豊かで人心が安定している町が多いようですね。
「食い倒れ」と呼ばれる町の郷土料理は総じて美味しいです。
② 「江戸履き倒れ」
江戸の町は「江戸食い倒れ」とも言いますが
(参勤交代の影響で男性比率が高く職人や商人が多かったので屋台文化が栄えた。例、にぎり寿司、天ぷら、蕎麦)、
有名なのは「江戸履き倒れ」です。
簡単に言えば「履物」に凝る、という事。
江戸時代で言えば「草履」「下駄」です。
今ならば「靴」です。
実際東京の人は靴に凝ります。
変な靴を履いていると恥ずかしいと思っています。
江戸時代の江戸の人口の半分は「武士」でした。
武士と言っても、
ほとんどが広島や四国、東北などの
地方から1年交代でやってくる参勤交代の勤番武士。
参勤交代の武士の江戸での日常はとにかく暇。
江戸城に藩主と一緒に登城のおともなどは週に2回。
あとはほとんどする事がない。意識高い系、お金持ちの武士は、剣道や槍、弓などの武芸、昌平坂学問所みたいな学問所で
知識を深めたりしましたが、何分、お金がかかります。
そういう場所に行ったとしてもそれでも時間が余る。(笑)
だから武士たちは、江戸の町をとにかく歩きまくったそうです。
1日8時間ぐらい歩いた。昔は電車もバスもなかったので、
とにかく歩いて
浅草へ、上野へ、愛宕へ、蒲田へ、
千葉や神奈川、埼玉まで遠出することもあったようです。
参勤武士は貧乏武士。
藩邸の四畳半に3、4人で暮らしています。
外にでも出ないと暑苦しくて仕方なかったんですね。
名所旧跡に行くだけでなく、
何と言っても藩邸は女性がいない。
だから「どこそこの茶屋には美人がいる」
と聞けばわざわざ行ってお茶と団子を食べる。
それだけ。遠くから見て喜ぶ。
お金がないから誘ったりもしない。(笑)
とても純情な人たちだったようですね。
歩くには草履や下駄が必要です。
すぐに丈夫で快適な履物が江戸で発達しました。
というわけで「江戸は履き倒れ」です。
「足元見やがって」という悪態は江戸発です。
「神戸履き倒れ」とも言います。
これは神戸に昔は靴の製造メーカーが多かったから。
これはケミカルシューズからですから最近ですね。
③ 「京都着倒れ」
京都は1000年の都。着物の生産地であり、
着物文化の発祥の地でもあります。
京都の人は、昔から着物、着る物に凝る、
ということで京都着倒れ、と言う言葉があります。
「上州着倒れ」「阿波着倒れ」「紀州着倒れ」「桐生着倒れ」「甲州着倒れ」「常陸着倒れ」「備前着倒れ」
「着倒れ」の町は、織物、着物の生産地が多いですね。
着物にお金がかけることができるというのは豊かである、
という事。
昔から栄えていて着物を着て歩いて、
「ちゃんと見てくれる人」がいる町です。
④ 「堺建て倒れ」
堺は「黄金の日々」の町。
昔から豪商がいてお金持ちが多い。
そういう町は豪勢な建物に凝る。
建物に凝る町は「建て倒れ」と呼ぶようです。
「備前建て倒れ」「上方建て倒れ」などとも言います。
「作州家倒れ」、作州(岡山県)は家倒れ、と言いますが、
これは家に凝るのもありますが、
作州に広がる中国山脈が一大木材の生産地だったことも関係ある様ですね。
⑤ 水戸飲み倒れ
水戸の藩士は、お酒で身代をつぶすほどお酒好きだったようで「水戸飲み倒れ」と言います。
水戸黄門で有名な水戸光圀公が酒豪だったことも
関係しているかもしれないですね。
江戸時代の御三家は
「紀州の着倒れ、水戸の飲み倒れ、尾張の食い倒れ」
と呼ばれたそうです。
⑥ 「奈良寝倒れ」
奈良は京都よりも古い古都です。
奈良の町は都市ですが、
周囲に公園や寺社が多いこともあって
夜が早いことから「寝倒れ」と呼ばれるようになった、
という説があります。
不夜城とは反対の、健康で健全な町ですね。
⑦ 「美濃の貯め倒れ」
美濃の人は堅実な人が多く、
お金や財産を貯めている人が多い。そういう人を周囲の国の人が見て「貯めることが目的になっている」
と揶揄されて言われる言葉。
尾張名古屋は食い倒れ、着倒れで、
比較的華美な風潮があるので
尾張との比較でも言われるようです。
⑧ 「尾張系譜倒れ」
最後に「尾張系譜倒れ」について説明します。
系譜とは「家柄」「先祖」の事。
考えてみれば尾張、三河、美濃のあたりの人たちが
戦国時代を制しました。
織田信長は尾張、豊臣秀吉も尾張、そして徳川家康は三河。
尾張からは、信長、秀吉という戦国の英雄が輩出されています。信長、秀吉に従っていた武将が天下を取り、
江戸時代以降、大名=貴族となりました。
仕える前は農村のただの暴れん坊の若者が、
信長に従い、出世して、大名になった。
だから名古屋の人たちは
「あいつは今でこそ●●会社の社長だが、
戦国時代までは俺の先祖の小作人のせがれの子孫だ」
「あの男は今でこそ●●大臣をやってるが、
その昔は俺の家の足軽だった」
などど言うのが好きです。
それぞれ家伝や系譜書などが残っていたり(あとで作られたり)していて、ご先祖様自慢をしたがるのも名古屋人の特徴だそうです。
以上、「全国のなんとか倒れ」を書いて来ました。

こうやって見てみるとその地方の歴史なども絡んでいて結構面白いですね。
これ以外に何かご存じの方がいれば是非、教えてください。
それでは。

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