「なぜ独立、移住を本格的に検討するようになったのか」

 色々理由はあるが一番はコロナで仕事が忙しくなくなったからだと思う。忙しくなくなったのでエネルギーが余る。エネルギーが余ると休む量も少なく済み時間ができる。
 また、時間ができると仕事以外の事を考える時間が増えてくる。自分の場合は考える時間・余裕が増えたというよりも、仕事による疲れにより蓋にされていた思いを感じ取ることがとうとうできたという事だと思う。

 あとはコロナでやっぱり今のグローバル資本主義って無理があると感じた。何週間かお店を閉める、仕事ができなくなるだけで、路頭に迷う人が続出してしまう社会はおかしいと思う。自分は運良く体力のある会社に入ったが。
 東日本大震災の時も同じようなことを感じた。インフラが寸断され持っているお金が紙切れになりかねない状況だった。そうなると、自分たちの食物くらい自分たちで調達できない自分ってかなり脆弱で、危ういバランスの上に生かされてきたのだと感じた。

 この4月に東京から地方に転勤になり単身赴任をしている。人事異動の権限を握る東京時代のマネージャーには妻が妊娠している事、東京で働いている事を伝え、残りたい旨を伝えたが結局は地方転勤となってしまった。妻は東京のとある病院での分娩予約をすでに済ませており、おいそれと地方に行くわけにも行かず、私一人で名古屋に行くことになってしまった
 もちろん、そのマネージャーの一任だけで人事異動は決められるわけではなく(他にもマネージャーが地方ごとに何人かいて、その話し合いで決まる)、結果的には仕事の面だけを考えると、名古屋の人はよく、住みやすく東京時代よりもストレスは減った。けして恨んでいるわけではない。
 しかし、自分の意思は全く介在できず、生殺与奪の権限は会社の上司に握られているのだという事を頭ではなく、身をもって経験した。
 妻のお腹が大きるなるのを一緒に楽しむこともできず、もしかしたら出産に立ち会うこともできず、生後数ヶ月は子供と一緒に暮らすことができず。
自分の意思とは反して、己が望んでいる生き方をごっそり持って行ってしまうことができるのが、サラリーマン組織なのだとしみじみと感じた。
 後30年間いる内に必ず何回かは同じような思いに会うことは決まっている。ただ一番感じたのは力がないってまあまあ惨めだなということ。自分の生き方を自分で決められない、自分の望む幸せを自分で実現できない、生殺与奪の権限を他人に握られているのはやっぱり情けない。
 USJの森毅さんの言っている生き方とは真逆の生き方、「キャリアの主導権を他人に握られる生き方」になっていしまっている事を感じた。あーあ、自分にもっと力があればこのような事にはならなかったな。「転勤ですか?じゃあ、辞めて他の事やります」というように。ただ、自分には力がない上に、その「他の事」がなかった。考えてこなかった、自分の将来を。

 自分の将来を30年間ずっと考えてこなかった。親がいい感じに大学までのレールを敷いてくれたし、就職も景気が良いタイミングで行えたので、それなりにいい会社に入れた。

 今の会社でやりたい事なんて何もなく入った。「見栄」のためだけに入った。浪人したし、東大には行けなかったし、留年もしたし、少しでも自分のヒエラルキーを取り戻してやろうと思って、就活に取り組んで、この会社に入った。だから、入った時点で目標達成。
 周りのように外車に乗りたい、派手に女遊びしたい、という欲望はゼロ。別に仕事もつまらなくはないけど楽しくもないという状況。この会社で後30年働いても最悪な人生ではなかったと思えるくらい、悪くない会社です。
人もいいし(中にはとびきりおかしい人もいますけど、それは地球上全ての環境で言えることでしょう)、理不尽なことも少ない組織ですし。

 一周回って就職活動時代に聞かれた「志望動機」って今思えば大切だったと思う。「志望動機」がはっきりしているということは、その会社で自分はどうなりたいのか、そのためにどのようなキャリアを歩んでいきたいのかが明確になっていると言う事。言い換えるとどのようなポジションにつきたくて、そこにたどり着くまでに何年掛るのかが、明確かと言う事。それが明確になっている人は、目の前の仕事をそうでない人よりも、1.5〜2倍くらい真剣に取り組む。なぜなら、目の前の仕事に意味を持たせる事ができるから。
 結果として周りよりも早く出世していく。なぜなら、同じ会社に入るような同質性の高い集団は、同じようなポテンシャルなので、努力したもの勝ちだから。努力こそ全てだから。
 私の会社では1年後のどうありたいか、2年後どうありたいか、5年後どうありたいかを半期に一回まとめる機会がある。
 非常に良い取り組みだと思う。その項目にモチベーションが高く、明確な目標を持っている奴らは、具体的にありありとその項目に記載することができる。
 一方で、私は考えれど考えれど、胸躍る数年後の姿が浮かんでこない。別に何かになりたいと思えない。たまたま、技術力試験で良い点数が取れたから、とりあえず商品知識No.1とか書いたが、本気でそうなりたいと思っているわけでないから、日々の仕事にも落とし込めない。頑張れない。人並みレベルの努力しかしない。だから、大して伸びない。伸びる気もない。そうなると目標が明確になっている奴らと比較して差がどんどん開いていくる。
そういう奴らを見てると羨ましくなってくる、なぜなら輝いているしかっこいいから。

 そうなると自分の中からふつふつと俺もやりたい事をやって輝きたいという思いが湧いてくる。そのような思いは日々の忙しすぎる仕事の中で認識できるレベルまで浮かんでくることはなかったが、今回のコロナ禍でたまたま忙しくなくなり、その思いが意識できるところまで浮かび上がってきてしまった。こんな風に生きたい、あんな風に日々を過ごしたいという情景がありありと浮かんできた。

 となるともう会社という狭い檻の中で無理やり自分のなりたい像を作り出す必要もなくなった。自分は自分の会社を作りたい。自分が思う理想の組織作りをしてみたい。それに事業を一つだけに絞りたくない。たくさんの事業をやりたい。それはまずは安定性を高めるためでもあるし、色々やってみたいから。そして、何より自分の食べるものは自分で作ってみたい。「百姓」が理想の姿。それに我が子とも我が妻とも毎日同じ屋根の下で暮らしたい。そして、我が子はできる限りたくさんいた方が良い。大自然の中で。 

 ちなみにいくら稼ぐとかどうとかは今はいいと思っている。そういうのは手段・手法だから。今は思いとか目的とか哲学とか、そいういうのを深めていければと思っている。手段・手法は後から付いてくる。京セラの稲垣さんもパタゴニアのイヴォンシュイナードもやること、やりたい事ありきで会社を作ってから、財務・会計等を学んだわけだし。そして、私の今所属する会社は効率よく運営する上で世界でも指折りの企業なので、その手法は日々の仕事の中から学んで行きたい。

 今の気持ちとしては何か分からないけど何とかなると思う。それに今の日本では餓死したくともできないし。ある程度の学(がく)もあるから最悪今と同業種に転職して、糊口をしのぐこともできなくないし。まずは資本金1円で会社作ろうかな。


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