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トリビュートには気が乗らない…が、これは違った!銀蝿トリビュート

昔からトリビュート盤やカバー集のようなものにはあまりいい印象がない。アレンジしすぎて原曲の良さを壊してしまっていたりして、どう頑張っても原曲を超えてはくれないからだ。カバーを聞くなら原曲聞いてる方がいいと思っていた。

横浜銀蝿のトリビュートが出ると聞いて、正直あまり期待はできなかった。横浜銀蝿というあれだけ個性の強いアーティストだ。それを超えることのできるアーティストはそうそういないだろう。

例えば、横浜銀蝿の曲は翔くんの声ありきだ。あの声でなければ横浜銀蝿ではない。個人的は横浜銀蝿といえば、翔くんの歌と嵐さんのドラムだと思っている。

けれど、今回のトリビュートを聞いてみて今までのトリビュートの捉え方が間違っていたことに気づいた。原曲を超えることを期待してはいけない。それよりも違ったアレンジや歌声でどれだけその曲の素晴らしさを伝えられるか?それが大事で、本来のトリビュートにはそういう楽しみ方があるんだということを学んだ気がする。

このトリビュートを聞いて横浜銀蝿、さらには銀蝿一家の楽曲の良さを改めて感じた人は多いのではないだろうか。

もちろん死ぬほど聞いて曲の素晴らしさは知っているはずだけれど、今まで聞いてきた原曲とは違った角度でカバーされ、その曲本来の素晴らしさが溢れ出ている曲がいくつもある。そこにこのトリビュートがリリースされた意義があるのかもしれない。

「銀蝿は芸能史には残ってるけど、音楽史には残ってない」というJohnnyの言葉はその通りだと思う。不思議なもので、横浜銀蝿に影響を受けたというアーティストに出会ったことがない。あれだけ影響力のある活動をしてインパクトを残したにも関わらずだ。

思い出すのは高校に入学したての頃。
クラスの半分以上が銀蝿を好きだった状況で、なんのためらいもなく「横浜銀蝿が好きだ」と言えた中学時代。それが高校に入って横浜銀蝿の下敷きを使っていた自分に「お前銀蠅好きなの?ダサいね」と鼻で笑われた時の空気は今でもはっきり覚えている。

え?銀蠅ってダサいの?
ものすごく戸惑った。今までそんなこと思ったことないし、先生や両親に「銀蠅なんて聞くな」と言われても、頑なに反抗してきた気持ちが初めて揺らいだ瞬間だった。

ソロのJohnnyが使っていた白いストラトキャスターに死ぬほど憧れて、バイトをしてお金を貯めた。けれどもお金が溜まってギターを買う頃には自分の好みは変化していた。高校には銀蠅を聞いているやつはいなくて、ハードロックがめちゃくちゃ流行っていた。結局白いストラトキャスターを買わずに白いフライングVを買った。周りに感化されて「横浜銀蝿が好きだ」と胸を張って言えなくなっている自分がいた。

トリビュートに参加しているJUN SKY WALKER(S)(ジュンスカ)のメンバーも言っていたが、まさにあの時のジュンスカもそうだった。バンドブームど真ん中で自分が好きだった3大バンドは、ブルーハーツ、レピッシュ、ニューエストモデルだったけれど、密かにジュンスカも好きで何度かライブにも行ったことがある。でも、周りの友達には「ジュンスカはダサいよね」と言われていて、あまり堂々とジュンスカが好きなことは言えなかった。

要するにイメージなんだと思う。
横浜銀蝿は曲が大ヒットしてお茶の間の人気者になったけれど、あのツッパリスタイルの風貌によって若者文化の象徴にもなっていた。音楽的評価とは違った部分もまた評価、批評もされる存在だった。
今思えば、ダサいかダサくないないかの基準なんて人それぞれだし、好きなものは好きなんだということでいいんだと思う。そもそもストラトキャスターよりもフライングVの方がよっぽどダサいじゃないかと今になって思うと笑ってしまう。

今回のトリビュートに参加したアーティストの中に「当時銀蠅をめちゃくちゃ好きで聞いていた」というアーティストが何組かいてくれたことは嬉しかった。怒髪天のギター・上原子さんなんて当時はJohnnyがギターヒーローだったとのこと。なんだ、みんな好きだったんじゃん。まあそりゃそうだ。あの時は嫌でも耳に入ってくるくらい銀蝿の曲が流れていたんだから。本人は意識してないとしても何かしらの影響はあったはず。

このコラムではあえて1曲ごとのレビューはしないけれど、いくつか個人的な感想を。

どの曲も良かったけれど、10曲のカバーを聞いて「この曲めちゃくちゃいいじゃないか!」と改めて思った、というより曲の新しい解釈ができた曲が3曲ある。

羯徒毘璐薫'狼琉(怒髪天)
ぶりっこRock'n Roll(THEBiscats)
Rock'n Roll恋占い(ザ50回転ズ)

この3曲は、原曲のレベルの高さをさらに分かりやすく「いい楽曲」としての存在感を高めていたように思う。シンプルに楽曲の良さを引き出していることに成功しているように感じた。個人的にこのトリビュートの中で一番アレンジにやられたのは怒髪天の「羯徒毘璐薫'狼琉」だった。

あと、反則的に存在感があったのはIKURAちゃんの歌と押尾コータローさんのギターだったな。銀蝿一家とは違った個性のある人の奏でる銀蝿一家の曲は素敵すぎた。横浜私立恵比寿中学の「ドリーム・ドリーム・ドリーム」のバンドサウンドによるバックトラックもかなり新鮮だった。

そして、これだけは言わせて欲しいのは、自分の中でのこのトリビュートの最大のインパクトは氣志團の「のれのれRock'n Roll」なんである。

過去のコラムでも書いたことがあるが、自分は一時期氣志團にむちゃくちゃハマっていた時期がある。最近は少し遠のいた感はあるものの、木更津の氣志團万博は欠かせなかったし、DVDを隅の隅まで見尽くしてメンバーのダンスや仕草を真似していた時期があった。

リーゼントのヤンキースタイル、あの有名な「俺んとここないか?」などにより、横浜銀蝿や銀蝿一家の影響は明らかに受けているはずの氣志團。けれど、あまりその部分には翔やんも触れてこなかったように思う。その氣志團がこのトリビュートに参加したことは個人的には事件であった。しかも当時から一番好きな「のれのれRock'n Roll」をカバーだなんて素敵すぎる。あくまでもB面だったこの曲をチョイスするセンスは翔やんならではのもの。唸るしかない。流石である。

翔やんが一番好きな銀蠅の曲は「のれのれRock'n Roll」だと聞いたことがある。そして翔やんは横浜銀蝿よりも紅麗威甦派だとも聞いたことがある。事の真相はともかく影響は当然受けているはずだ。

氣志團の演奏した「のれのれRock'n Roll」は完全に氣志團のものになっている。翔くんが歌えば横浜銀蝿になるように、翔やんが歌えば氣志團になるんだな。

最近の氣志團の曲にはいまいち全盛期のキャッチーさがないと不満だったが、この「のれのれRock'n Roll」は最高だった。とにかく元々メロディーがキャッチーなんだ。横浜銀蝿があの風貌でこの曲を作っていたという彼らの振り幅の広さに改めて驚かされる。作ったTAKUってば天才。

トミーの掛け合いの歌や光の合いの手のようなシャウト。メンバーの中で一番好きな白鳥松竹梅の唸るようなベースととにかく氣志團色全開なのが嬉しい。泣ける曲じゃないのになぜか泣けた。横浜銀蝿と氣志團が公に交わった瞬間で、それは両者のファンとしてはたまらない瞬間だったのだ。

銀蝿フェスのトークで言っていたが、氣志團は「のれのれRock'n Roll」と「RUNNING DOG」で最後まで迷ったそうだ。どちらにせよ流石のチョイス。横浜銀蝿サイドは「お前サラサラサーファーガール おいらテカテカロックンローラー 」や「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」辺りを期待していたそうだが。

また、カバーした「のれのれRock'n Roll」は、横浜銀蝿のオリジナルバージョンと嶋大輔・杉本哲太+1のカバーバージョンの両方のいいとこ取りをしたそうだ。翔やんの口から、嶋大輔、杉本哲太、矢吹薫の名前が出たのもまた嬉しかった。

そして氣志團は銀蝿フェスのアンコールで、革ジャン・ドカン・スカーフの銀蠅オマージュの衣装で登場してくれた。氣志團のとことん貫くサービス精神に横浜銀蝿のメンバーも嬉しそうにしてたのが印象的だった。

結論。これだけのアーティストが、これだけのアレンジをしてカバーしてくれた。銀蠅が好きで良かったと改めて思えた。かすかに音楽史にも残っていたのかもしれないんじゃないか?と感じることができた。

このトリビュートを聞いて一番思ったことは、銀蝿一家の楽曲の良さだった。当時は楽曲よりも、ルックスや存在に注目されてきた銀蝿一家。今にして思えば、楽曲の素晴らしさがあったからこそのあの大活躍だったのだ。

一流のミュージシャンが演る銀蝿一家の楽曲たち。本当に素晴らしかった。これを聞いてから、また実際の銀蝿一家を聞いてみると、少しあの頃とは違った銀蝿一家が見える気がする。そう、このトリビュートはそんな楽しみができるアルバムなのだ。45周年のブリイヤーとして企画されたトリビュート盤のリリースと銀蝿フェスをやったことは大正解だったように思う。この先、45周年、50周年とまだまだ続く横浜銀蝿の活動に期待が高まる。

追伸
もし、トリビュート企画第二弾があるなら、ぜひニューロティカとTheピーズに参加して欲しい。

It's only Rock'n Roll
青くてごめん。

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