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伝えに来た真実 

彼女が消えたあの日から

26年が経った。

この海も、この砂浜も、皆んなで海水浴に来た時と、何ら変わっていない。

いや、本当は変わっているのだろう。
俺が気付かないだけで。


「あの時、泊まったホテルがまだあったんだ。だから今回もそこにした」

加納は、そう云いながら、靴に砂が着くのが気になるようで、盛んに手で祓っている。

「よく営業してましたね。あの菌のせいで、客足が遠のき営業が困難になった宿泊施設も多かったのに」

竹中が感心している。
彼は一番若いが話が合うので、いつの間にか、仲間に入っていた。

俺たちは、年齢はばらばらだが、同じ職場の同僚だ。

今日は男が3名、女が2名の計5名が集まった。


「26年か……」

「早過ぎたよね、玲子。まだ24だったのに」

宇佐美と森谷の二人が小さな声で話している。


「夕陽がきれいだな」

水平線を、ゆっくり沈んで行く太陽を眺めながら、思わず俺は呟いていた。

「何だよ櫻田、やけにロマンティックなセリフを云うじゃないか」

加納は薄笑いを浮かべて俺を見ている。

「ただ感じたままを云ったまでだ」

加納は、たまに俺に突っかかる。
何故だか知らんが。

俺たちが集まったのには理由がある。


26年前の6月に仲間の一人だった女子社員が死んだ。

俺たちが仕事帰りに、居酒屋に行った、その日に。

翌日が日曜ということもあり、気が緩んだのか、全員がかなりの量の酒を呑んだ。


ふらつく脚で、皆んなは何とか終電に間に合うギリギリにホームに着いた。

『列車がホームに入ります。白線の内側に下がってお待ちください』

アナウンスが聞こえたその直後、

仲間の一人である八重樫玲子が、ホームから転落したのだ。

警笛を鳴らし電車がホームに滑り込んだ。


助ける時間などなかった。


ホームには、彼女の白い靴が片方だけ残されていた。


今年は八重樫玲子の27回忌にあたる。

この場所には以前にも、皆んなで海水浴に来たことがあった。
八重樫玲子も一緒だった。

その時に泊まったホテルに今夜も泊まる。
皆んなで、彼女の思い出話しでもしようと思う。

少しでも、彼女の供養になればいいが。


「そろそろチェックインしようぜ。

6月とはいえ陽が沈むと肌寒くなるぞ。梅雨寒って云うだろう」

加納はズボンの裾についた砂を、眉間に皺を寄せて思い切り叩いた。

寒さより、砂が嫌でさっさと浜辺を後にしたいのが加納の本音であろう。
まぁいい。

早めに風呂に入るのも、空いてて
気持ちが良さそうだ。


当たり前だが、男女別々の部屋に入ると、俺は財布などの貴重品を
部屋にある金庫にいれた。

「それじゃあ、大浴場に行きますか。加納はどうする」


「オレは、もう少し後にするわ」


一瞬、デジャヴを見た気になった。


26年前も同じ会話をしたからだ。

俺はホテルに着くと、大浴場に行くことにしたが、加納は後にすると云って、テレビを着けたのだ。


「おい!犯人が捕まったぞ。神戸の連続殺傷事件。14歳らしい。
一番嫌な結末になったな」


「本当だな。やり切れない気持ちになる」

俺は加納に、そう云った覚えがある。


「櫻田さん、僕も行ってもいいですか」

竹中が遠慮がちに、そう云った。

「もちろん。それじゃ行くとしますか」

俺と竹中は、エレベーターに


乗り、8階にある展望風呂に行くことにした。

ドアが閉まると直ぐに竹中は、俺にこう云った。


「八重樫玲子さんが、櫻田さんに好意を持っていたこと知ってましたか?」


「何だよ突然。八重樫さんが俺に?」

「そうです。僕は八重樫さんに相談されてたんです。『女には相談出来ない。泥棒猫だから』とそう云って」


「手厳しいな八重樫さんも。それで竹中は何を相談されたんだ」

「櫻田さんに告白しようと思うんだけど、いつがいいかと」

竹中は下を向いて、そう答えた。

「俺は八重樫さんから何も訊いてないけど」

竹中は顔を上げた。
その顔に悔しさが滲んでいる。

「僕が……僕が今度行く海水浴の直ぐあとが、いいんじゃないかと、
そう云ったんです」

「でも俺は彼女からは何も」

「八重樫さんは櫻田さんに告白出来なかったんです。『やっぱり怖い。ドキドキしてしまって云えないの、断られたらと思うと』そう云ってました」


竹中は、もっと僕が背中を押してあげられてたら……。

そう云って唇を噛み締めた。

「8階に着いたぞ。あんまり気にするな。竹中は何も悪くないんだから。事故だったんだ、仕方ないよ。
風呂に入って忘れろ」


「はい。ありがとうございます。でも櫻田さん、あれは事故などではないですよ」

俺はギョッとして竹中を見た。

彼はジッと俺を見ている。


これ以上、この男と話すのが俺は怖くなった。

二人だけの展望風呂は気まずい。

そこへ5、6人のグループが入って来たので俺は正直ホッとした。


俺たちは、八重樫を偲ぶのが目的で、わざわざこのホテルに集まったのだ。

いつものような呑み会とは違って、
静かに料理を食べては、時折呑む程度に、とどめていた。


「そういえば去年は驚いたわ」

宇佐美は本当にびっくりしたように話す。

「何だよ突然」

加納が天ぷらを食べながら、そう訊いた。

「だって、櫻田さんが結婚するもんだから」


「えっ、俺の結婚が、そんなに驚くことか?」

「驚くわよ。彼女がいるなんて訊いてなかったし、それに櫻田さんは49歳だったでしょう?このまま独身を貫くのだとばかり思ってたもの」

宇佐美は話し終えると、白ワインを飲んだ。

「あ、そ」
呆れた俺は、それ以上は何も云わなかった。


「そうだわ、森谷さんは結婚しないの?」

「やだわ宇佐美さん、私にまでふらないでよ」

「ひょっとして、男嫌いとか」

「違うわよ。私のことは、ほっといてちょうだい」

森谷は膨れっ面になっている。


「そうだぞ宇佐美、しつこいよ。悪酔いするほど、飲んでないだろうが」

珍しく加納が正論を云うので、今度は俺が驚いた。


部屋が静まり返ってしまった。


突然、森谷が話し始めた。
「八重樫さん、彼氏はいたのかなぁ。彼女って、けっこう美人だったし、モテたんじゃないかしら」

俺も竹中も、黙って料理を口に運んでいた。


「八重樫さんが美人?そうかしら。
普通だと思うけど」

宇佐美がまた話し始めたので、男達はトイレに行くと断り、部屋を出た。

ロビーでソファに座ると、やれやれと思った。

この光景も、26年前に観た覚えがある。


あの時、加納は煙草を吸いながら、新聞に目をやっていた。

この時と違うのは、全館禁煙になったことくらいだ。

やはり紙面には、神戸の酒鬼薔薇聖斗のことが、大々的に書いてあるようだ。


「猟奇事件だな、少年Aのやったことは普通じゃない」

「殺人に普通もないだろうが」

「そういう意味じゃなくて」

「判ってるって、加納の云いたいことは」


リモコンを取り、テレビをつけた。

歌番組をやっている。

「安室奈美恵ちゃんって、顔が小さいなぁ」

「小室哲哉の曲ばかり聴いてる気がするよ、街を歩いていても」

俺も加納と同じことを思っていた。
「流行ってるからな小室の曲は」

そんな会話をしたっけ。

見ると、竹中がぼんやりと窓の外

を見ている。

考えごとでもしているようだ。

俺たちはコーヒーを飲むと、部屋に戻ることにした。

宇佐美も落ち着いただろう。


深夜、竹中の言葉が気になって、俺は眠れずにいた。

「仕方ない。無理に寝ようとしたが諦めた。夜の海辺でも散歩して来るか」

俺は着慣れない浴衣より、自分の長袖のシャツとズボンに着替えた。

この方が歩きやすい。

「あれ?加納のベッドも空っぽだ。
バーはもう閉まってるし、風呂にでも行ったか」


部屋のある3階から、俺はエレベーターに乗り1階で降りた。

時刻は午前0時を過ぎたところだ。

玄関には茶色の男用のサンダルが幾つも並んでいた。
スリッパから履き替えると俺は外へ出た。


こんな深夜でも、人がちらほら浜辺を歩いている。

ホテルの灯りがあるから、真っ暗闇ではない。


[あれは事故じゃないですよ]


竹中は何か知っているのか?
事故でなければ、一体なんだっていうんだ。

自殺?
違う、八重樫は自殺をするようなタイプではない。

亡くなった人に悪いが、メンタルはかなり強かった。どちらかと云えば図太いタイプだろう。


だとしたら、他には殺人しか……。

まさか。

あり得ない。


人が争う声が訊こえて来た。

見ると、加納と森谷が、何やら口論している。

何してるんだ、あの二人は。
こんな深夜に喧嘩かよ。


「櫻田さん」

ふいに声をかけられ俺は、体がビクッとしたのが分かった。

50歳になろうが、気の小さいところは治らない。
家内にも、しょっちゅう笑われている。

声をかけてきたのは、竹中だった。

「眠れないでいたら、櫻田さんが部屋から出て行くのが見えたので」


俺は苦笑しながら云った。

「俺も同じだ。自販機で缶ビールでも買うか、奢るよ。そこにあるビーチパラソルの付いたテーブルに座っててくれ」

「はい」


俺は自販機に1000円札を入れ、缶ビールを2つ買った。

「350mlが500円。さすが観光地だな」


「お待たせ」
竹中の前に缶ビールを置くと、俺も向かいの椅子に座り、プルトップを開けてビールを飲んだ。

それを見て竹中も同じようにビールを口にした。


相変わらず二人の口論は続いているみたいだ。

「加納と森谷は、こんな時間に喧嘩するほど仲がいいのかね」

海風に吹かれながら、俺は云った。


「櫻田さんは、本当に何もご存じじゃないんですね」

竹中が二人の方を見ながら呟いた。

「なんだよ、馬鹿にしてるのか?」


「ち、違います違います。変な云い方をして、すみませんでした」

竹中は、慌てて謝罪した。

「怒ったわけじゃないからさ」

俺がそう云うと、竹中はホッとしたようだ。


「で、あの二人のことを訊きたいんだが」

「森谷さんは加納さんの愛人です。
もう、かなり前からになります。もちろん会社の人間にはバレないように付き合ってます」

そう云って竹中は、ゴクリとビールを飲んだ。


「サラッと云うな、お前も。

愛人ね。加納は既婚者だが森谷は独身だったな。結婚しないのは加納が理由なのかな」

「最近では、加納さんは森谷さんのことを疎ましく思っているようです。別れたいんじゃないでしょうか」


淡々と話す竹中を見てると、商社などより完全にマスコミが合ってると思った。

俺は雲が月も星も覆っている空と、風が出て来たせいで、波の寄せる音が大きくなった海を見ながら、覚悟を決めた。


「竹中」

「はい、なんですか」

「竹中は昼間、云ってたな。八重樫さんのことは事故ではないと」

「ええ、あれは事故じゃなくて事件です」

「そこまで云うのなら、竹中は犯人が犯罪を犯しているところを見たんだろうな」


「その通りです。この目でしっかり見てました」

「……犯人は誰で、何をしたのか教えてもらいたい」


竹中は、少しだけ考えているようだったが俺の目を見ながら云った。

「いいでしょう。話します。正直、僕一人で抱えているのが苦しくなっていましたから」


俺は黙って、頷いた。


「あの日、僕らは終電に間に合うかどうかのギリギリでしたが、何とかホームに着きましたよね」

「ああ、そうだったな」


「ホームに着いて、幾らもしない内に電車が入って来ました。
その時、かなり酔ってた八重樫さんがバランスを崩して、よろけたんです」


「それでホームから落ちてしまったのなら事故なんじゃないか」

「ちがいます!」

強い口調で竹中が否定したので、俺は驚いた。

「八重樫さんは、ほとんど体を立て直してたんです。ところが、ある人物が、妨害したんです」


「ある人物?」

竹中は頷いた。

「線路の方にバランスを崩していた八重樫さんでしたが、何とか脚に力を入れて立て直しそうになってたのに、その人物が八重樫さんの、ほどけていた靴紐を、わざと踏んだんです」

靴紐……。

そういえばあの時、ホームに向かう階段で、八重樫が云った言葉を俺は思い出していた。

「ちょっと待って。靴紐が解けてる。
結ばないと」

その時、「最終に乗り遅れるわよ。靴紐なんかいいから、早く行こう」
そう声がしたのも確かに訊いた。


俺は暑くもないのに汗が滲んできた。


「八重樫さんは、慌てて靴紐を踏まれている方の脚を、持ち上げようとして、その時、電車が……」


真夜中の海、波が打ち寄せる。

ザザザ  ザザーン ザザザザ

繰り返し 繰り返し

俺は、やっとの思いで口を開いた。


「その……人物は誰なんだ」

「宇佐美さんです」


  [靴紐なんかいいから]


俺は目を閉じた。

「仲が良かったんじゃないのか?」


竹中は、云いづらそうにしている。

「何を訊いても、今更驚かないよ」

そう云っても竹中は黙ったままだ。


「……ひょっとして、俺が関係してるのか?そうなのか竹中」

彼は下を向いて、そして頷いた。

沈黙が続いた。


「そろそろ部屋に、戻りましょう」

竹中は椅子から立ち上がった。


「いや、最後まで話してくれ。頼む」

俺の言葉に、仕方なく竹中は座り直した。

「櫻田さん、本当にいいんですか」

「大丈夫だ。宇佐美は何故、そんなことを」

「宇佐美さんは、八重樫さんが櫻田さんのことを好きなのを知ってたんです。そして宇佐美さんも櫻田さんが好きでした。けれど宇佐美さんは結婚している。八重樫さんに櫻田さんを取られることが悔しかったのだと、僕はそう思っています」


黙ったままの俺に、竹中は心配そうにしている。

「櫻田さん、大丈夫ですか。それから櫻田さんは何も悪くないんですからね、しっかりしてください」


「俺は何も悪くないか。これと似たセリフを展望風呂に行った時には、俺がお前に云ったっけ。話しを訊かせてくれて、ありがとうな、竹中」

「いえ。今度こそ部屋に戻りましょうね」

「そうだな、戻るとするか」

俺たちが、ホテルに向かって歩き出した、その時。

浜辺にいる人々が騒ぎだした。

叫ぶ者、泣き出す女の子、逃げる人々。
何があったんだ。

「あっ!」
竹中が大声を上げた。

視線の先には、倒れてる加納と立ち尽くす森谷がいた。

そして、森谷の手から何かが砂浜に滑り落ちた。


森谷は、加納の気持ちに気付いていたのだろう。

満ち潮の波が、砂に落ちてるナイフに付いた、加納の血を海に連れて行く。
何度も、繰り返し……。


      了



























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