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一致団結は危険だから内部から批判しよう

組織の内部から組織への批判が起きることは健全性の証だと私は思っていた。

もし自分たちの組織への批判がなければ、自分たちの誤りに気づけず、組織は同質な人たちで占められ、先鋭化し、過激化し、腐敗し、組織外の人からの支持を失う。

だから組織への批判をする人が内部にいたとしても、その人を排除してはいけない。反論してもいいが、反論と排除は違う。

つまり一致団結は危険なのだ。意見の対立がある組織が健全なのだ。

という考えを、いつから私は抱いていたのだろう。子どものころからだったと思う。

しかし、私とは別の組織の人や、別の集団にいる人の話を聴くと、どうやら逆の人もいるらしいと分かってきた。

「一致団結しよう」

「自分たちの組織を批判してはいけない。和を乱してはいけない」

「文句があるなら出て行って自分の力で新しい組織を作ればいい」

「内ゲバだ。内部分裂だ」

「あいつは批判ばかりでめんどくさいやつだ」

組織運営について、そんな考え方をする人も、けっこういるらしい。

私は理屈を考える以前に、まず直感的に、一致団結している人たちを見ると「怖い」と思う。土砂崩れを見ている気分になる。逃げ出したくなる。

この問題については、おそらく大昔から世界中の人たちが考えていたことだろう。

「組織の健全性のためには、組織の内部から組織への批判が起きることが必要だ」という考え(方針)には名前があるのだろうか。自浄作用とも呼べるが、もっと適切な言葉があるだろうか。あるいは、ことわざのような表現もあるだろうか。


逆に「一致団結すべき」側の考えには、「空気を読む」、「同調圧力」、「ムラ社会」など、様々な名前や表現があるように思う。

内部批判の必要性に名前があるなら教えてほしい。


以上。

今回の文章は以前より短めになりました。

文章を書くにあたり、この記事から着想を得ました。今年2018年7月13日に公開された記事で、当時はSNSで拡散した記憶があります。今更私が取り上げるのは遅いと思いますが。

「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく 
「批判」や「対立」への強い不快感
野口 雅弘


また、招き猫のヘッダー画像は私が撮影した写真ではありません。「みんなのフォトギャラリー(β)」という機能を使い、noteユーザーの方が撮影した写真を挿入しました。


連載企画「街河ヒカリの対話と社会」について

誰もが日常的に体験する悪口、嫌味や皮肉、詭弁、ネットスラングについて考察します。一見すると個人の問題に思えることでも、実はよく考えると社会の問題とつながっているのではないか、との仮説を立て、個別具体的な事柄から普遍性を発見したいと思います。1か月に1回から4回程度の更新です。マガジン「街河ヒカリの対話と社会」にまとめています。

今後もよろしくお願いします。

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