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苦しみをかたれば

寒い。今年一番の寒さだそうだ。

最近、自分を語ることの大切さをますます感じている。自分と向き合い、何を思っているかを見つけ、言葉にして、誰かに伝える。それだけで、多くの思いは昇華される。

①自分が何を思っているかを見定める。②それを的確な言葉で伝える。③伝えても大丈夫な、安心安全な相手に。

この3つは本当に大切なことなんだと、ますます思う。特に、③は。

昔の私は、相手がどんな人かを見定めずに、自分の苦しみを伝えていた。自分の苦しみを伝えるのに、大切なのは関係性ではない。その人がどんな人か、ということだった。例えば「親だから」「友人だから」「恋人だから」その人が苦しみを受けとめてくれるわけではない。その人が、苦しみに寄り添おう、話を聞こう、そうして、一緒に生きていこう。そう思ってくれる人だからこそ、苦しみを受けとめようとしてくれるのだ。

私は、以前は「好きと言ってくれたから」という理由だけで、色んな人に、自分の苦しみを明け渡していた。色んな人がいた。自分の苦しみを開示し返す人。私の苦しみの世話をしようとする人、そのことに自分の存在価値を見出そうとする人。理解出来もしないくせに、理解したフリをして、強いて自分に私を惹き付けようとした人。その人達は、みんな一様に興奮していた。興奮して、みんな私の苦しみを使って心のマスターベーションを始めた。私は、オナニーの材料に使われている気分だった。

上手く言葉に出来ないが、こちらが苦しみを開示することで盛り上がるような人に、自分の苦しみを開示してはいけないと思う。それから関係性を持ってもいけないのだ。

身勝手な記事だし、自分のことを棚に上げているような、傲慢なことを書いている気分になってきたので、今日はもうやめる。それから、何だか、このことを書いていると、とっても痛い。その人たちが全員言っていたことは「こんなに自分をわかってもらえる人は初めてだ」ということだった。私は、このギザギザの輪廻の中から抜けたい。

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