光栄ゲームパラダイスの思い出
(画像は内容と無関係の大内義隆です)
SNSもネットもまだ未発達であった自分の10代のころは雑誌の時代であった。小学生で友達の影響で横山光輝の三国志にハマった自分は、中学になると光栄の書籍に手を出すようになる(しかし、この辺の時系列は今となっては曖昧だ)。並行して当時筑摩文庫で出たばかりの正史三国志とかを買って、誰もマウントする相手がいないのにマウントしたかのような気分を味わっていた。光栄の書籍に手を出したが、肝心のゲームについては近所の中古屋で三國志IIIを買ったものの、数字が上がり下がりするだけというストイックさに耐えられず、5回くらいで投げ出してしまった。
当時の光栄はいろいろ自社ゲーム関連の歴史ネタ本を出しており、爆笑三国志や武将ファイル、三國志III辞典なんかにはお世話になった。ゲームはやってなかったが、やってなくても面白かった。「光栄ゲームパラダイス」という投稿雑誌もそんな中にあったのである。ハガキを出せば載るかも知れない、当時の自分は無邪気であった。そして早速当時大好きだった孫権の出来損ないみたいな絵を描いて送った。この時のペンネームは「あある・とど・仲謀」である。こんな糞ペンネームで一体どこへ辿り着く気だったのだろうか。絶妙にダサい。自分の投稿は特に面白くはなかったと思う。多分3、4通載ったくらいではないだろうか。孫権の絵か孫権のゲーム上の能力値を上げろか、程昱かなんかが筋トレしてる絵、くらいで、そんなに面白くはない。今から見るとこのペンネームが一番面白いかもしれない。その後自分の興味はいろいろに移り、たまたま見た花の乱(大河ドラマはこれしか見ていない)の第一話を見て野村萬斎の変な演技に衝撃を受けたり、当時一定の力を持っていたファッション誌「cutie」を友達から教えられたりして、誌名が「歴史パラダイス」になったころに離れてしまったが、今でもずっと覚えている不思議な雑誌である。
今漫画で描いている日本の戦国時代については全く興味がなく同誌の該当範囲も全部すっとばしていたが、なぜか今また何であれ歴史の漫画を描き始めてしまったのも、この頃があったから、だとは思う。
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