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帰る場所



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海が見えると風が吹いて、深呼吸した。

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わたしは時々、空が見たくなって高いところへ行く。
高いところ、大体は東京のビルの上、渋谷だとヒカリエの、11階、ガラス張りの端の方まで行って、今日もちゃんと立てるのか、確かめてから空に向く。
高いところが好き、でも高いところが苦手で、下を見ると胸に大きな圧を感じてすくんでしまい、分厚いガラスの壁に近寄ることが出来なかった。


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最近、立てるようになった。8月。具合が悪くなって、人の少ないビルのトイレを知っていたからそこに避難して、休んでいた。
少しして、落ち着いたので外へ出て、なんとなくいつもの怖い、ガラスの角っこへ立ってみると、すっくと立てた。
何年も何年も、絶対に立てなかったのに、立てた。
それから何度か同じ所へ行ってみたけど、もう、怖くなくなっていた。
トイレで、何かを私は流した。
空にまたひとつ、近付いた気がして嬉しかった。


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「明日行かない?葉山」
夜になって、たしか台所で歯磨きをしながら、水に付けた豆苗の前で、オレンジのランプが点いていたと思う、友人にメッセージを送った。今、思い付いた事だ。高いところの空と、海で見られる空は違う。今、そっちが良い。身体がいつかの感触を覚えていて、そう言ったので、何も考えず送った。
いいよ、と友人は言って、葉山って山葉子みたいな名前だね、と付け加えた。



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さくさくと砂の上を、沈みながら歩いて、直ぐに靴を脱ぐ。ボロボロのスニーカー、もう4,5年は履いていて、スニーカーはこれしか持っていないので、中々にヘタれている。私は物持ちが良いので20年物のセーターなど余裕で持っているが布製の靴はそうは行かない。革の編み上げブーツで20年、のを持っているけど少し前に紐を通す穴が千切れて、隣町の修理屋で直して貰った。

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裸足で歩く。一歩毎に滑り沈んで、あらよ、と体勢を起こすうちに、身体が起きてくる。嬉しい。気持ちが若返ってゆく。
自然の中に居ると、無条件に『ここに居ていい』と分かるのは、どうしてだろう。特に空は、都会に居てもどこに居ても、上を向けばそこにあって、私に教えてくれる。

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広い、広いなあ。
海に来ると、空はいつもより近い。
直接、ハグしているみたいな、大きさが私の中に入って来る。
大体、言葉にならなくて、「うああー」の様な、何か、とにかく出したくなる。私の音。
隣にいる人は大体、それを見て笑っている。
海に行く時隣にいる誰かは、いつも優しい。


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半年前に来た時も、10ヶ月前に来た時も、優しい人が隣に居た。
14ヶ月前、初めてここへ来た時は一人だった。
誰も居ない丘の上から、左右から伸びた手と手がもう少しで繋がれそうな、求め合っている、優しく、大きな、不思議な雲を見た。オレンジ色の柔らかな光が、それを包んでいた。その時は、うわあ、と小さな声で言ったんだと思う。言ったきり、波の音だけがしていた。
「また来る」と思ってからずっとここは特別な場所だ。


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そろそろ行くか、と示しを併せて、浜から道路に面したバス停へ向かう為に丘に上がった。名残惜しんで振り返る。
どこかで見た、モネの描く絵の様な、懐かしい、よく知っている、でも肉眼では初めて見る光が、雲に覆われて一層深く、強く、柔らかに、浜全体を照らしていた。

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私は時々、本能的に何処かに帰ろうとする。
帰りたい、と、わたし、を超えて、身体が言う。
小さな頃は自分でも何のことだかよく分からないまま、「かえりたい、かえりたい」と言って両親を困らせた気がするが、今はそれが何のことか、どこの事を言っているのか、なんとなく知っている。
帰る場所がある、というのは安らぎだ。
その安らぎは、とくべつ暖かな訳でも、甘い訳でも、優しい訳でもないけれど、その透明が、私には優しい。

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帰りのバスの中で、食べ切れなかったサンドイッチを食べて、そのまた残ったのを帰宅してから冷蔵庫へ入れておいて、次の日食べた。変わらず美味しかった。



刈り取られた豆苗に、今朝も日の光が当たっている。






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おまけ

森戸神社で神様とお話しして来た。この頃パワースポットで有名らしい。
塩を買って帰って、本来は盛り塩に使うそうですが塩浴が好きなので少しづつ、お風呂に入れています。

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またね。




































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