見出し画像

The Story of One Sky ② ディマシュ:MV時系列・後編、解説&妄想考察

Part.1-後編:MVストーリーの時系列


 
                   (Dimash 09)
                   (9,306文字)
                   (第1稿:2022年10月7日)
 
 
動画:『Dimash - The Story of One Sky』 by Dimash Qudaibergen(公式)
2022/09/25




(① 「Part.1-前編」からの続き)

【MVストーリー、時系列&詳細解説/後編】

《コーラス2 続き》

06:48 地面で燃えている「ヴァルデンベルグ(Waldenberg)」と書かれ
    た木製の街の看板が映る。
    主人公は自宅のあるアパートにたどり着くが、いちめんに煙が立ち
    込め、瓦礫の中に壊れた自転車や自動車が散乱し、「なんてこと
    だ……」と呆然とした様子で建物を見上げている。

燃える「ヴァルデンベルグ(Waldenberg)」の看板

 この「ヴァルデンベルグ(Waldenberg)」については、先の「ハイデローズ」氏のコメントが参考になる。
 彼女によると、第二次世界大戦末期の1945年4月、当時まだドイツ国内に残っていたドイツ国防軍「ヴェアマハト」がその街で抵抗を続けていたため、アメリカ軍によってほぼ完全に破壊された、ドイツ南部の街「Waldenburg(ヴァルデンブルグ)」を暗示しているのではないかということだ。
 彼女はそこから28マイル(45㎞)離れた町で大戦終結の数年後に生まれたが、当時はまだ戦争の余波と残骸が残っていたのだそうだ。
 この「ヴァルデンブルグ」の破壊の様子は写真でも見ることが出来るが、爆撃後の建物の瓦礫の中には大勢の女性と子供の死体があったという。
(注8)
 ちなみに、英米連合国軍によるドイツ本土の空爆は、1945年2月の「ドレスデン爆撃」が有名で、絨毯爆撃によって6万人(民間の死者数は公式には3万5千人だが、11万5千人という推定もある)が犠牲になり、「ドイツのヒロシマ」とも言われている。この「ドレスデン爆撃」の “成果” により、米軍は日本の空爆を決定し、1945年5月10日の「東京大空襲」が行われることになった。
 このMVでは、看板に書かれた綴りは1文字違っているが(ベルグ “berg” とブルグ “burg” )、これはおそらくディマシュのファミリーネームの「Qudaibergen」の中の「berg」をはめ込むことで、寓話性を高めるとともに、彼のちょっとしたイースターエッグではないかと思われる。
(「イースターエッグ」は、ゲーム用語で「隠し要素」「小ネタ」のこと)
 このMVにはWWⅡ時代のドイツを思い出させるものが多い。司令官の演説は言うに及ばず、彼の敬礼はナチス式敬礼を思い出させ、司令官が壇上で演説する姿は、現存するヒトラー本人の映像を連想させる。独裁者のイメージをヒトラーに重ねているのは明白だ。
 だが、この場面の「ヴァルデンベルグ(Waldenberg)」の看板は、日独伊の枢軸国陣営を倒して勝利した側である「連合国軍」の破壊行為を暗示することで、バランスをとっているように見える。
 ディマシュは、戦争がもたらす最も大きな犠牲は、子供達への影響だと、この女の子を通して語っている。
 彼は幼少期から周囲の大人達によって非常に大切にされて育った人物だ。
 だから彼は、子供達が大切にされない事態、子供達への愛すなわち人類の未来への愛を持たない大人達がこの世に存在することに、大変傷つく。
 それは、幼少期の彼に対する、大人の側からの「裏切り行為」に等しいからだ。

《トラディショナル・ヴォカリーズ》

06:58 突然、カメラは乾いた砂地を歩く人々の行進を映し出す。
    中央アジア風の民族衣装を着た、帽子にひげの老人。
    木の棒を杖代わりにして、よろよろと歩く髪の長いヨーロッパ系の
    青年。

砂地を歩く人々の行進

07:13 場面が変わり、主人公のアパートの廊下を埋め尽くす、おびただし
    い数の住人たちの死体。
    その向こうのドアの前に立ち尽くす主人公。
    右目からは涙がひと筋頬を流れ落ち、自分の涙で我に返った主人公
    は、自分の目的を思い出すと同時に戦慄し、廊下の向こう側に目を
    やる。

廊下の惨状を目にして、我知らず涙を流す主人公

07:34 砂地を歩く人々は、それぞれ別の民族からやってきたようだ。
    アラブ系のターバンのような帽子の男性の向こう側には、ユルト
   (遊牧民族の移動式テント)のような形の帽子の男性。
    彼らは一列になって細い坂道を歩いている。
    地面に座り込み、コーランらしい書物を音読する若者。
    その後ろを、白い袈裟を着たインド系の僧侶が歩いている。
 
 坂道を歩く列の中には、大きな十字架を持って歩く人物もいたことから、この行進が世界中のさまざまな宗教者達の一群であることがわかる。
 現実のことのようには見えない。
 おそらくこれは、人類の「集合的無意識」の中にある、宗教や信仰に関わる「善なる道」を探す旅路をあらわしたイメージではないかと思われる。

07:48 銀色のたらいを脇に抱えて、急な梯子を降りる老女。
    地下室には、陣痛が始まった主人公の妻。
    その周りを取り囲む人々。
    妻の前にたらいを置き、布を絞って出産に備える老女。
    建物の外では、雷鳴と稲光が起きている。

たらいを持ち、急な梯子を下りる老女

 この老女は、軍の兵士達がアパートに踏み込んでくる直前に、いち早く廊下の暗闇の向こうに逃げた3人のうちの老女ではないかという気がする。
 老夫婦の見た目の年齢から考えて、暗示された「ヴァルデンブルグ」の空爆を生き延びたがゆえに今回の軍の襲撃の気配を予感し、事前に逃げることが出来た、というような「裏設定」があるのかもしれない。

08:03 再び、砂地の行進。
    赤い袈裟を着て鈴を鳴らす、チベット系と思われる僧侶達。
    続いて、大きな十字架を捧げ持って歩く、黒い服のヨーロッパ系の
    僧侶。
08:10 立ち止まって空を見上げていた、十字架を首に下げた男が、ゆっく
    りと地面に倒れる。
08:17 主人公が自宅のドアの前に立ち、恐る恐る中を見る。
    彼がその光景を理解する前に体が震え始め、彼は小さな悲鳴を上げ
    る。
    部屋の中には、倒れたあの女の子、彼の娘の遺体があった。

変わり果てた娘を発見する主人公


《 「人はキャラバン、人生はその歩む道」 ~ イスラム系アザーン・ラン》

08:27 主人公はよろよろと部屋の中に入ると、膝から崩れ落ちて娘の遺体
    に取りすがる。
    出産が始まった妻の叫び。娘の遺体を抱く夫の慟哭。

 砂地と戦場でのエピソードの流れから、十字架を首に下げた男が倒れたことが不吉な予兆であり、主人公と砂地の行進がリンクしていることが察せられる。
 また、妻と夫の叫びもまたリンクしている。
 妻は、自分の手から離れ、置き去りにしてしまった娘がどうなったかを薄々知っており、そのショックで出産が始まった可能性も考えられる。
 妻の叫びには、夫と同じく、娘を失った悲しみや後悔が混ざっている。

出産の痛みと、娘を置き去りにした痛みに叫ぶ妻

 ディマシュ・ニュースの解説では、主人公の妻は「世界を救う特別な男の子を産む」ことを運命づけられており、そのことを知っている人々によって助けられて生き延びたとある。妻の周りの人々が、その運命を知る人々なのだろう。
 また、彼らは出産によって妻がどうなるかも知っており、この次の場面で祈りの言葉を口にしている若い女性が映るが、彼女はこれから生まれてくる赤ん坊の「乳母」になるべくこの場にいる、と考えることもできる。


《キリスト教系讃美歌》

09:05 黒い服に十字架を首から下げ、腕に経典を持つ男性。
    その後方に、再び大きな十字架を掲げて歩く男性。
    周りには、在家の信仰者も歩いているようだ。
    地面に倒れて絶命した男のそばで、アジア系のすその長い服を着た
    人物が立ち止まる。
    地下室では、陣痛に苦しむ妻と、胸の前で両手を交差させて、祈り
    の言葉を呟いている「若い女性」が映る。

妻の出産に立ち会う、若い女性

09:31 砂地の行進では、ユダヤ教の礼拝儀式で使われる「ショーファー
   (またはショファー)」という角笛が吹かれる。
    絶命した男を様々な宗派の人々が取り囲み、遺体に砂をかけて埋葬
    しようとしている。
    急な坂道を黙々と歩いて登る人々、出産する妻、娘の遺体を抱く
    夫、それぞれの苦難が同時に進行する。

行進する人々の中で、ショーファーを吹く男

09:59 司令官が、幼い頃の3人の絆の証だった「グノーモン」のペンダン
    トを手の中に握りこみ、目を閉じる。
    それが壊される音が小さく鳴り響く。
    同時に、彼がいる施設に雨漏りするほどの大雨が降り始める。
    雷光、そして雷鳴。

 司令官は「グノーモン」を破壊したあと、目を開くと、その瞳が濡れている。たとえ復讐のためとはいえ、一度は愛した少女を自分の命令によって死なせた(と思っている)運命の残酷さを悲しんでいる。
「グノーモン」を壊したのは、彼にとってそれが一種の「呪いのアイテム」であり、その呪いから自分はやっと解放されたと考えたのかもしれない。
 だが、それが「呪いのアイテム」になったのは、幼い日に自分が憎しみのあまり手の中で曲げてしまったからだとは気がついていない。

司令官の、涙で濡れた瞳

《コーラス3》

10:09 戦場とリンクする砂地を行進する人々の頭上にも、嵐が到来する。
    雷鳴が鳴り響き、雷光が雲を照らす。
10:18 司令官が木材でできた大きな扉を開く。
    するとそこには、大雨で全身ずぶぬれになった主人公が立ってい
    た。
    主人公は、かつて自分の命を救った友人に向かって、娘を殺された
    復讐のため、ライフルの銃口を向ける。

復讐に燃え、冷たく光る主人公の瞳

 砂地の行進、出産する妻、主人公と司令官のいる戦場、この3つの場面で起きている嵐は、同一のものと思われる。
 それは主人公の心を暗示している。彼の怒りは暴風雨となり、雷鳴となり、砂地を行進する人々の行く手を阻み、太陽の光を奪う。
 行進の中に、顔の前で片手をかざして風雨をしのごうとする男が映るが、この男はまるで、復讐に心を奪われてしまった主人公に対して「やめろ!」と言っているようにも見える。

10:30 司令官は「おまえなのか?」と言うように目を見張り、銃口を向け
    て近づく主人公からあとずさる。
    氷のように冷たい目をした主人公は、司令官を背後のライトテーブ
    ルに追い詰める。
    嵐の中を、それでも進み続ける行進の人々、陣痛に苦しむ妻が相次
    いで映される。

 司令官は、曲げたとはいえ彼の「道標」であった「グノーモン」を壊したことで、この先の道を失ってしまった。デッドエンドである。
 また、妻の胸には「グノーモン」のネックレスが輝き、彼女の薄い布地の服は、首から胸にかけて、おびただしい汗で濡れている。

出産する妻の胸元の、おびただしい汗

0:42 ライフルの装填音が鳴り、主人公はかつての友人を撃つ。
    銃声。
    司令官の背中に銃痕が開き、赤い血が飛び散り、司令官はライトテ
    ーブルの上にあおむけに倒れる。
    その時、軍の兵士達が開いた扉から入ってきた。
    物音と、軍の兵士達のライフルに取り付けられたライトに気がつ
    いて、そちらを見る主人公。
    彼らに向き直ると、主人公はライフルを下げた。
    軍の兵士達の銃が一斉に火を噴き、大量の銃弾を浴びる主人公。
    次の瞬間、彼は海の中に落ちていた。

再び海に落ちた主人公

 主人公が海に落ちたのは、この物語の発端である「海で溺れた主人公」にもう一度立ち戻るというウロボロスの輪、運命の輪、無限ループの輪を示しているように見える。
 だがもうひとつ、現実的な意味がある。
 主人公は、自分の胸を蜂の巣状に撃たれ、肺はその機能を失った。
 主人公が息をしようとしても、空気は開いた傷口から漏れ、空気のかわりに自分の血液が傷ついた血管から肺の中に流れ込んでくる。
 つまり主人公は、自分の血液で溺れている状態であり、彼の身体はそのことで、かつて自分が海で溺れた記憶を突然思い出してしまったのだ。

《 背景音 》

10:55 海の中を、仰向けに沈んでいく主人公。
11:07 地下室では、赤ん坊がついに生まれ、出産のあいだ妻の手を握って
    いた僧侶が赤ん坊を掲げて、皆に見せている。
    その向こうに、赤ん坊を生んだ妻が見えているが、彼女の肩が呼吸
    のために動く気配はない。

生まれた赤ん坊を高く掲げる僧侶

11:08 砂地の行進では、嵐が過ぎ去り、太陽の光が現れる。
    その光を立ち止まって見つめる人々。

 主人公が軍の兵士達に撃たれたあとに赤ん坊が生まれ、そのあとで砂地の行進の前に太陽が現れるのは、非常に重要な「順序」である。
 これについてはのちほど「③Part.2:MV感想&妄想考察」で解説する。


《 ディストーション・ヴォーカル ~ アウトロ 》

11:26 海に沈んだ主人公が、最後の力を振り絞って叫ぶ。
    主人公の脳裏に、過去の出来事が走馬灯のように浮かんでは消え
    る。
    砂浜で楽しげに笑い遊んでいる、友人と少女と自分。
    「グノーモン」のペンダントを首にかけた少女と、自分の妻となっ
    た彼女の姿。
    自分が殺した敵の兵士。
    友人の手にペンダントを握らせる自分。
    それを手の中で握りつぶす司令官。
    撃たれてのけぞる味方の兵士。
    砂浜で友人の腕を小突く自分。
    アパートに踏み込む軍の兵士達。
    娘の顔。
    砂地に出現した太陽に向かって、両手で「バダ(祝福)」の形を作
    る、白いあごひげの老人。
    太陽を見る人々のうしろ姿。
11:46 主人公は最後のひと息を吐き切ると、のどを押さえる。
    一瞬、上に浮かぼうとするかのように両手でもがき、彼はその両手
    を上へと伸ばしたまま、意識を失う。
    主人公は、幼い日に少女に感じた愛の記憶を思い出し、人生で最も
    幸せだった「あの日」へと還っていく。
    息絶えて海に沈んでいく主人公のその顔には、微笑みのような表情
    が浮かんでいる。

主人公が最も幸せだった、あの日

12:12 ライトテーブルの上で死んだ司令官を、「逆グノーモン」の腕章を
    つけた兵士達が取り囲む。
    生まれた赤ん坊の首に、母親の「グノーモン」のペンダントがかけ
    られている。
    赤ん坊の顔を雷光が照らし、地上では雷鳴がとどろいている。
    楽曲、終了。

 出産後の様子から、妻は赤ん坊と引き換えに命を失ったようだ。
 赤ん坊のペンダントは、母親の形見となった。
 つまり、おさななじみだった主人公と、司令官と、主人公の妻の3人は、ほぼ同時に死んだことになる。
 赤ん坊のペンダントは、父親である主人公が海で命を助けられた時に感じた「感謝」と「友情」を象徴する。
「グノーモン」の元々の意味でもある「時間と方角を太陽によって示される道」を、この赤ん坊が歩むであろう、という意味でもある。

 また、主人公が海の中で見る出来事の中で、行進する宗教者の前に太陽が昇っている場面が映るが、これはもしかしたら、生命の危機に瀕した主人公の無意識が、この行進が示す「集合的無意識」に知らず知らずアクセスしてしまったことを暗示しているのかもしれない。

 赤ん坊が画面に大きく映ると、楽曲が終了する。
 ここで、3人の物語は「赤ん坊」という結び目に変化した。
 楽曲の開始とともに始まった3人の因果もまた、ここで終わる。

《エンディング》

12:24 嵐が過ぎ去った砂地に、あのペンダントを首にかけた少年が、突如
    として出現する。
    主人公と瓜二つのこの少年は、片手に長い木の棒を持ち、背中のフ
    ードを頭に被り直す。
    そのあと、不敵とも取れるような笑みを浮かべると、太陽の方角へ
    向き直り、歩き始める。
    先頭を歩く少年のあとを、さまざまな宗派の人々が続いていく。

突如として砂地に現れた少年


 この物語に登場する3つの「グノーモン」のペンダントのうち、司令官のそれは彼自身が破壊し、主人公のそれは彼が撃たれた時に多数の銃弾によって破壊されたと思われる。
 残っているのは赤ん坊が母親から受け継いだひとつだけとなる。
 なので、この少年はあの赤ん坊である。

 また、この少年の服の胸元は、おびただしい汗で濡れており、それはなぜか、古い血の跡のように赤黒く染まった色に見える。
 これは、少年の父親と司令官がどちらも胸を撃たれていることから、この古い血のような跡は、この2人を暗示していると思われる。
 なおかつ「おびただしい汗の跡」は、出産する母親の胸にも見られたことから、少年の死んだ母親をも暗示しているように見える。
 すなわちこの少年は、彼の父親とともに、司令官となった友人、彼を生んだ母親の3人の魂が混ざり合った姿なのではないかと考えることも出来る。

13:03 最後に、画面にはある文言が映し出される。
   「対話、理解、寛容と他者の受容、人類の共生を目指す文化の普及、
    これらは人類の大多数を悩ませている、経済、社会、政治、環境の
    多くの問題の解決に大いに貢献するはずです。」

13:30 楽曲が終了したあと、少年の出現とともに流れていたアンビエン
    ト・ミュージックが終了。
    画面暗転。

    先ほどの文言のみが残される。

(MV終了)

【アブダビ宣言】

 最後にあらわれる文言は、『アブダビ宣言』または『アブダビ協定』として知られる、『「世界平和と共生のための人類の友愛」に関する共同宣言書』という文書の中で表明された12の項目のうちの、4番目の項目である。
 上の日本語訳は、「カトリック中央協議会」の邦訳によるもの。(注9)
 2019年2月4日、アブダビ首長国の首都アブダビで、現ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコと、アル=アズハル大学(エジプト・カイロ)の総長でイスラム教指導者であるアフマド・アル・タイーブ師による「歴史的会談」が行われ、両名によってこの文書に署名がなされた。
 共同宣言に署名がされた「諸宗派の集い」が2019年。
 ディマシュのこの作品が3年の年月を費やして作られたことを考え合わせると、作品発表の3年前の2019年に彼がこの『アブダビ宣言』を読んだことが、作品着手の動機のひとつだったのではないかと考える(妄想する)ことも出来る。
 また、この文書が『アブダビ宣言』であるというクレジットがない理由はよくわからない。
 だが、昔からポップス/ロック界では、「引用」や「オマージュ」の元ネタをクレジットすることはほとんどない。一部の好事家や物知り達によって、ファンの間で憶測されて定説になったり、当の本人から何十年もたってからやっと明かされる、ということが非常に多い。
 こういう事は音楽の世界だけにとどまる話でもない。
 アーティストの本性の中には、作品の「謎」は謎のままにしておきたいという気持ちがある。なぜなら、彼ら自身にとって、自分がなぜ音楽やアートを作り出す能力を持っているのか、その作品がなぜ自分の中から生まれるのか、そもそも自分がなぜ音楽やアートを自分で作り出してしまうほど、その世界に魅了されているのか、そのこと自体が永久に答えのない「謎」だからだ。
 個人的には、ディマシュは元々この『共同宣言』と同じ思想を持っていたが(そのことは彼の様々なインタビューで垣間見える)、2019年、2つの宗教のトップが出したこの宣言の中に自分と同じ思想を見出し、それによって彼の中で非常に重く、それゆえに非常に重要な「扉」が開いたのではないかと考えている。
 彼のこのMVを見る若いオーディエンスにとって、彼と同じように「未来の扉」を開くきっかけになることを望んで、ディマシュはこの文書を最後に掲げたのではないかという気がしている。


【おまけ】

 ちなみにこのMVは、YouTubeで発表後9日目の10月3日18時頃、100万回再生を達成した。
 ただし中国のWeiboでは、このMVがポストされたすぐ次の日の9月26日には、566万回再生を記録しているそうだ。
 YouTubeでの200万回再生は、11月21日夜中の1時ごろ。
 明けて2023年5月29日夜中の1時ごろ、YouTube再生が300万回に達した。
 ずっと監視して記録してた自分、アホですな。
 だって楽しかったんだも~ん(笑)

【後書き】

 ディマシュは自分のインスタグラムで、珍しくこの曲のリアクション動画を集めた編集動画をシェアしていた。(注10)
 その投稿文の中で彼は、
「3年前、作曲を始めたばかりの頃、この曲は日常的に聴くものではなく、素人(amateur)が作るものだということに気がつきました。」
(Deepl翻訳による)
と書いていた。
 だからこそ、こんなアマチュア作品を評価してくれるすべての人々に感謝したい、と。
 アマチュア作品だって!??
 とんでもない!!!
 いや……、もしかしてその通りなのかな?
 つまり、プロとして商業的なことを考えたら絶対に制作できないたぐいの、とんでもない音楽と、とんでもないMVなのだ、この作品は。
 でもねディマシュ君、少なくとも私はわりと「日常的に」この作品を聴いてますけど?



(②「 Part.1-後編:MVストーリー時系列」、終了)
(③ 「Part.2:MV感想&妄想考察」に続く)


【注解・後編】

(注8)ヴァルデンブルグ

『ヴァルデンブルク (ホーエンローエ郡)』 Wikipedia
・該当ページに「灰燼と化したヴァルデンブルグ(1945年4月16日)」という写真がある。


(注9)アブダビ宣言

『「世界平和のための人類の兄弟愛」に関する共同宣言書』全文
カトリック中央協議会


(注10)ディマシュのインスタグラム

・2022年10月(10日?)の、IGディマシュ公式の投稿。
 この動画に出てくる半分ぐらいの動画主さんが、私もフォローしてる人達だったので、嬉しかった。
 投稿文の最後あたりに「みんな、ケンカしないでね」(Deepl翻訳)みたいなことを書いているのが何とも……。
 いったい何を見るか読むかしたんだ、ディマシュ!??


(【注解・後編】終了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?