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ZHALYN(Flame)by ディマシュ:感想 & 妄想考察

ディマシュの皮肉と、ビート・オブ・カザフスタン


                   (Dimash 08)
                   (11,654文字)
                   (第1稿:2022年9月3日)

動画:『Dimash - ZHALYN | MOOD VIDEO』
    by Dimash Qudaibergen(公式) 2022/08/26投稿



【なんという難しい曲を……】

 2022年8月26日、ディマシュの新曲が突然YouTube上にリリースされた。
『ZHALYN』(ザリン、英語ではFlame、焔)という曲だ。
 しばらく前(当時)から公式のチャンネルに上がっていた、オーケストラの録音場面とは全然違うようなサムネイルが上がってるんだが?と思いつつ、恐る恐る動画を見た。
 なんで恐る恐るかというと、非常にイヤ~~な予感がしたからだ。
 そして、イヤ~~な予感は的中した。
 
 個人的には、まれに見る「難しい」、非っ常~~~!!!に「難しい曲」だった。
 これは、なんだろうか。
 ディマシュの反抗期だろうか??
 とか、アホなことを考えながら聴いたりした。
 長丁場のコンサートになると、こういうハイトーンが無くてアベレージで歌えるような曲は喉を休ませる曲として貴重だからなあ、などと思ったりもした。
 個人的には、この曲のようなR&Bやファンク、ヒップホップ系の音楽は苦手で、マイケル・ジャクソン(以下MJ)とプリンスを例外的に聴いていただけだったので、この曲もそっちの苦手系に入っちゃうかなあと思ったりもした。
 が、とりあえず、長年ポップス・ロックを聴いてきた経験上、自分のフェイバリット・アーティストが「???」な曲をリリースした時には、好き嫌いの判断を下す前にまず、虚心坦懐に10回は聴いてみる、というセオリーに従ってみることにした。
 
 そしたらですね、なんとですよ!
 8回ぐらい聞いた頃から、この曲の真意がなんとなくわかったような気がしてきた。
 20回目ぐらいには、ものすごい実験的かつ画期的な曲かも知れん!と言う結論に達してしまった。
 凄い、ディマシュ、凄い。
 というところまで来るのに、何枚の障壁を突破しなきゃならなかったか。
 もう、この子ってばもう……。
 
 ディマシュは、この曲の一番重要な、一番聴いてほしいと思っているかもしれない「それ」を、ディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』の物語の中に出てくる、「火を噴くドラゴンが守り、茨が張り巡らされたお城の塔の最上階」に隠してしまった。
 この曲の難しさには、なんかもう、そんな印象さえある。
 ていうことは、あの映画で王子様が妖精達から授けられた「真実の剣」と「美徳の盾」を持って、この曲を聞かなきゃいけないのかね!???
 苦心惨憺して「それ」を発見した時には、マジでそう思った。
 あ、虚心坦懐に聴くってのが「美徳の盾」になるのかな?
 実際には、たぶん「カザフスタン人」だったら、またはMJをリアルタイムで知らない若い世代だったらすぐに分かるのかも知れなくて、単純に私が年喰ってて「イギリス・アメリカの音楽」に慣れ過ぎ(毒され過ぎ)てるだけなのかもしれないけどね。

【第1の障壁:ハイノートが無い】

 まず単純に、ディマシュの代名詞的な「超絶ハイノート」が無いこと。
 個人的には彼の「ハイノート」については、彼の持ち味のひとつに過ぎないと考えているので、無くても全然かまわないと思っているが、それが無いことでガッカリする人も出るだろう。 

【第2の障壁:MJ(マイケル・ジャクソン)に似過ぎ】

 これも、1番最初に思い浮かんだ感想だったが、こんなに似ているということは、ディマシュはわざと似せたんじゃないかな、と思った。
 似ているのが曲調だけならともかく、音階によっては元々ちょっと似ている声を、さらに似せて歌っているようでもある。
 なにより、このMVで彼が着ている、あの灰白色のスーツと、白い帽子の取り合わせ。

ディマシュ、灰白色のスーツと白い帽子

 そして、細く剃ってアイブロウを入れていない、もしくはコンシーラーでつぶしてある眉毛。
 つまり上半身は、ほとんどMJの『スムース・クリミナル』だ。(注1)


  かと思えば、曲の途中には、髪の毛ボサボサで黒い服を着た少年のようなディマシュが、1秒から3秒程度の短いカットで5回ほど出てくる。
いったいこれはなんなのよ。
 
 まず、「MJに似過ぎ問題」から見て行こう。
 この謎は、動画についている歌詞の英語訳を読むと、なんとなく、わからなくはない。
 リリースから1週間経ったが、今のところカザフ語→英語→(自力で翻訳した)日本語という「伝言ゲーム」のような訳詩の状況(注:第1稿を書いている時点で日本語字幕はまだ無かった)なので、この解釈が正しいかどうかは分からないが、どうやら現在の彼は、様々な方面から「こうしたらいい」「ああしたらいい」という助言のような、でも実際には彼をコントロールして自分たちの利益にしたいと思っているような連中に出会うことが多くなっているのかもしれない。中堅どころになるとそういうことが多くなるよね、どの業界もね。
 
 と同時に、活動が長くなり、持ち歌が増えて来ると起こる現象として、ファンの中に固定的なテイストを望む「頑固なタイプ」が多くなる、ということがある。
 早い話が、ハイノートのある曲だけ聞きたいとか、クルトイ氏の曲しか歌ってほしくない、とか。
 私が長年ファンをやってる某イギリスのバンドも、今までに3度ほど大量のファンを失うような事態があった。それは当時のファンの人達が、バンドのその時の新しい音楽やファッションの変化に対応できなかった結果だった。
 ミュージシャンも人間なので、同じ事は続けられないのをファンの方もわかってはいるのだ。だが、音楽というものはかなり強い嗜好品でもある。つまり自分の嗜好を変えられないファンと、新しいことを試みたいバンドと、そのどちらをも責められない困った事態となってしまう。
 ディマシュにもそういう事態がすでに起きつつあるのかもしれない。
 
 もうひとつ、この曲の歌詞を読みながら思い浮かんだことがある。
 それは、現在はその数字は隠されてしまったが、ディマシュのYouTube公式動画に付いていた「低評価ボタン」の数字だ。
 どの歌だったかは覚えていないが、あるリアクション動画の動画主が、まだ数字が見えていた頃にそれについて言及していたのを見たことがある。
 その数字は、「高評価」が6万だとすると、「低評価」がその3分の1にもあたる2万以上もあった。
 この『Zhalyn』という曲は、各楽曲に付いているであろうその「低評価」の数字に対するディマシュの回答、とも思えなくもない歌詞ではある。
 
 白い帽子で薄い眉のディマシュは、不機嫌そうな表情や、不気味な薄ら笑いのような表情を浮かべ、上に上げたような現象に対して、
「ほら。これが、僕を嫌いな君たちが望んでいる僕の姿じゃないのかい?
君は僕にどうあってほしいの?(How would you like me to be?)」
 と言っているかのようだ。
 そして、MJに似過ぎているという理由で、また「低評価」がつけられるのだ。
 ものすごい皮肉。
 ディマシュの思う壺、ってことだ。

怖い顔で笑いながら歌うディマシュ。キレたら怖いタイプですか?


【第3の障壁:髪の毛ボサボサのディマシュ】

 では、曲の途中に出てくる「髪の毛ボサボサで黒服の、少年のようなディマシュ」はなんなのか?
 これが、おそらく「火を噴くドラゴンが守り、茨が張り巡らされたお城の塔の最上階」の部屋にいる「姫君」なのだと思う。
 コラ、笑うなってw 私も笑いをこらえて書いてるんだw
 ただし、この「姫君」はまだ、ディマシュが隠した「それ」ではない。
 以下、「姫君」ではアレなので「少年」ってことにする。
 
 最初にこの「髪の毛ボサボサの少年」が登場するのは、イントロが始まって7秒目。
 下を向いた「白い帽子」のディマシュと同じ場所に、同じ姿勢の「姫君、じゃなかった少年」が1秒間だけ登場する。
 そして、向かって「右側」に顎を動かす。
 しばらくして再び「白い帽子」のディマシュが登場してきて、今度は反対側の、向かって「左側」に顎を動かす。
「白い帽子」はリズムに合わせて踊っているが、「少年」はリズムに合わせて動いていない。

少年1。何が大変って、写真を用意することです。

 2回目が1分26秒。
 ヴァース2の「この決断をしたことで(Making this decision)」を、横を向き、リズムを全く取らず、エモーションの動きで歌う「少年」。

少年2。白い帽子とは違う歌を歌っているような。

 3回目が2分32秒。コーラス2の最後のセンテンス「ありのままに受け止めてよ(You take it as it is.)」、これをニコニコ笑いながら歌う「少年」。「白い帽子」のディマシュが全体に「縦ノリ」なのに対して、この「少年」は「横ノリ」で、しかもカメラのレンズが大きく左右に振られ、ディマシュの位置をさらに横方向に揺らしている。

少年3。ニコニコ。

 4回目が2分40秒。アウトロで2度うなずき、身体を揺らす「少年」。
 この時は、鳴っている音楽のリズムを完全に無視した動きだ。

少年4。写真じゃわかんないけど2回うなずいてます。

 5回目、2分55秒。音楽が終わったあと、トンネルのような通路にじっとたたずんで振り返っているような、ぼんやりしたシルエットの「少年」。(写真は撮ったけどやっぱりぼんやりした画像だったので、これは動画で見て下さい) 

 つまり、この「隠された少年」は、曲のリズムとは全く関係のない動きをずーっと取っている。
 これが、この曲で最初に明かされる「意図」ではないかという気がする。
 この話をする前に、片づけなければならない障壁がまだあるので、そちらから攻略しよう。


【第4の障壁:カザフスタン語】

 4番目の障壁は、歌詞が「カザフスタン語」だということだ。
 やはり普通は母国語で歌を聞きたいものなので、外国語の歌を聴く習慣のある人は実はそれほど多くない。
 特にカザフスタン語は、外国語にあまり抵抗がない私でもディマシュで初めて聞く言語だったので、最初はその音の特異性にかなり面食らっていた。
 ところが、ある時期から、この言語はかなり面白いのでは?と思うようになった。
 そのきっかけは、『My Swan』を最初に聴いた時、とあるTVゲームに出てきた、非常に美しい響きなのにどこの系統の言語か調べても全くわからなかった謎の名前「オルラディン」、これに非常に近い音の単語が歌詞の中にいくつも出てきたことに気がついたからだった。
 カザフ語で面白いと思うのは、2連符や3連符の音と、巻き舌と、鼻の奥で発声する音。ロシア語にもこれらの音はあるが、カザフ語のほうがダイナミクス(強弱)が全体的に強いと言うか、聞き取りやすい。特にディマシュの巻き舌は、きちんとリズムがそろっていて美しい。
『My Swan』をカザフ語で歌うと、まるで子供が即興で呪文を唱えているような感じがする。日本語や英語にはない音の組み合わせが沢山あり、時々ユーモラスだったり、時々とても美しい音だったりする。さらにコーラス部の歌詞はセンテンスの語尾だけでなく、単語ひとつひとつについても韻を踏んであって、非常に高度な詩作がなされていることがわかるので、とても楽しい。(もちろん「ZHALYN」も非常にきれいに韻を踏んでいる)
 また、『Bastau2017』で歌ったカザフ語の『Daididau』で、後半のブレイク前の「Жүзің​ ​бар(あなたの顔は…)」のロングトーンの最後に発せられる、フォールに合わせたディマシュの巻き舌の「ルルルルル」。まるで小鳥か子猫のようで、格別にチャーミングだ。(注2・動画)
 そういうカザフスタン語の音にちょっと慣れてきた所で、この早口言葉のような『Zhalin』が来てしまった。 

  

【第5の、最後の障壁:ビート・オブ・カザフスタン】

 ついに最後の障壁だ。さあ、「真実の剣」の出番だぞ。(ホントかよ)
 早口過ぎて最初は分からなかったが、8回ぐらい聞いた頃に、あることに気が付いた。
 カザフ語の単語のいそがしい「2連符」や「3連符」の発音と、巻き舌の「3連符」が、曲のテンポに適応しようとして押し合い圧し合いしていて、バックの音が鳴らすリズムやテンポからはみ出た「グルーブ」のような感じになり、歌を聴いているというよりも、言葉の持つビートやダイナミクスを聴いているような気がしてきたことだ。
 こういうビート感やダイナミクスは、英語の歌詞の歌で聞いたことあったかな? 日本語の歌なら、サザン・オールスターズのデビュー曲『勝手にシンドバッド』の早口部分をすぐに思い出したけど。(注3・動画)

 この単語と巻き舌の「3連符」は、歌詞が押し合い圧し合いしながら奏でる「16ビート」よりもさらに上の16×3、「48ビート」で刻まれる。
 48ビート!
 この48ビートという、非常に細かいのに非常に強い「3連符」のビートが、ヴァースでシンセ・ベースが鳴らす8ビート(実際は16ビート)に対して、蔦のように絡みついている。
 もしくは、「二重螺旋」のような立体構造の状態で、シンセ・ベースの8ビートに対して、言葉の「16ビート」がひと巻きぶん多く絡みついていて、しかもただ巻きついているだけではなく、「48ビート」の「3連符」が生き物のように脈動しながら締め付けている。
 なんというか、非常に「官能的」なのだ。

  プレ・コーラスでは曲がいったん4ビートに落ち着き、メロウな民謡のようなメロディになる。歌詞からは忙しい発音の単語が消え、言葉の蔦、または「二重螺旋」が、ビートからゆるくほどけていく。
 と思っていたら今度はベース(弦楽器)のほうが、高く長いトーンで離れていく言葉のビートに手を伸ばし、「恋い焦がれて懇願している」かのようなメロディを奏でている。

 そしてコーラスでは、カザフ語の単語を音節ごとに大胆にぶっちぎって音符に合わせていて、言葉にすら聞こえないほどビート化してしまっている。音節でビートボックスをやっているようだ。
 それによって言葉がへヴィな8ビートに変化し、ヴァースの時とは逆に、シンセ・ベースのほうがその16ビートで言葉のビートにタイトに絡みついていく。

 ブリッジ部では、ディマシュの声のサンプリングか、または本人のコーラスかもしれないが、「んんん…」というスキャットが、本来のサウンドのE(ミの音)より微妙にちょっとだけ高いピッチから始まって、放物線を描きながら下降して本来のEに戻っていく装飾が繰り返される。
 この部分もまた、ゆるくほどけていた2つの何かがくりかえし絡み合う過程のようで、なかなかに「官能的」だ。 

  

【ふたりのディマシュ】

 ここで、もういちど「髪の毛ボサボサの少年」を思い出そう。
「少年」は終始、この曲のビートと全く関係ない動きを取っており、「白い帽子」のディマシュと「髪の毛ボサボサ」のディマシュは「別人格」であると見ることができる。
 英語訳の歌詞の内容から考えると、「白い帽子」のディマシュは「他人のルールとビートに従ったために人生を失う男」を象徴している。
 他人のルールとは、自分の独自性を消して既存の価値にあわせることで、他人との軋轢を避ける方法のことだ。そして、その人物は他人からの承認を得る代わりに、自分自身との接点を失ってしまう。
 対照的に「髪の毛ボサボサ」のディマシュは、「他人のルールを拒否し、他人のビートを拒否して自分自身であり続ける(カザフスタンの)少年」を象徴しているように見える。
 実際には、白い帽子と灰色の上着を脱ぐと髪の毛ボサボサのディマシュが着ている黒い服になるような気がするので、ひとりの人間の人生上で起こった重要な分岐による「2つの結果」をあらわしているようでもある。
 君はどちらを選ぶのかい?と、ディマシュは尋ねる。
 なぜこの歌がMJに似ていなければならなかったのかの「謎」も、ここにある。
 MJのヴァイヴが、この曲の歌詞と「白い帽子」が示唆する「他人のルールとビート」を象徴しているからだ。
 ディマシュは誰の模倣もしたくない、音楽のフィールドでは唯我独尊的な誇り高い性質を持っているが、その彼が唯一、自分にリスペクトという名の模倣を許したのは、MJのみ。
 そして、私が知る限りではあるが、体内に「32ビート(おそらくそれ以上)」を持っていたシンガーは、いまのところ、あとにも先にもマイケル・ジャクソンただひとりだ。


【「お城の塔の最上階」に隠されていたもの】

 やれやれ、これでやっとディマシュが「お城の塔の最上階」に厳重に隠した「なにか」を見ることができる。
 それは、「カザフスタン語で西洋R&B系ポップスを歌うための実験の、痕跡」ではないかと思う。
 この曲でディマシュが実験したのは、カザフスタン語をどんな密度とテンポのメロディで歌えば生きたビート化するのか?ってことではなかろうか。
 これより密度が高くて速度が早いと崩壊し、これより密度が低くて遅いとビートの生き物感が薄くなるような気がするからだ。
 そうして抽出したテュルク諸語であるカザフスタン語の独特のビート感を、インド・ヨーロッパ語族の英語(など)のビートに由来する西洋音楽の中で、全面に押し出すにはどうすればいいか。
 そういうことを、この曲でやってみたんじゃないかと思う。
 この曲と、他の「Q-POP(カザフスタン・ポップ)」の曲を比べてみようと、ネットでいろいろ漁って聴いたのだが、Q-POPが意外と普通のポップスだったことと、ディマシュのカザフ語のアクセントが、他のカザフ人シンガーたちと比べて思いのほか強く、特に彼の巻き舌のへヴィさは異常だということがわかった。
 彼のこの特徴的な発音を、さらに強調したらどうなるのか。
 結果、こうなった。

  今回の曲は、いつものディマシュの天使のハイノートや、エモーションのフロウ、アンビリーバブルなレンジはなく、ひたすらに「ビート」を聴かせるものだった。
 なんとなれば、ディマシュでさえこの曲の主役ではない。カザフ民謡的なプレ・コーラスでは、ディマシュの声をわざわざ遠くに配置してさえいる。
 あくまで主役は「ビート」のアンサンブルなのだ。
 しかも、「ベース(シンセ・ベース)」と「言語」という拮抗する2つのビートだけが強く、その他の音の印象は、効果的なのになぜか印象が薄い。
 
 要するに簡単に言うと、このテンポの16ビートに乗ったディマシュのカザフスタン語は、とんでもなく「エロい」ってことだ。


【ディマシュのモーション】

 ここまで来ると、最後に意識に上がってくるのが、ディマシュのモーション(動作)の独特なビート感だ。
 字幕を消し、画面をぼんやり見て、ディマシュの動きを「ヒューマンボディ」としてモーションキャプチャする感じで見ていると、この曲の3つ目のビートが見えてくる。
 それは、とてもとても「エレガント」だ。

  ディマシュのモーションの大きな特徴は、途中で早くなったり遅くなったりせず、基本的にずーっと「レガート(滑らかに)」だってことだ。
 特に腕の動きがそうで、彼は腕の筋肉を使って腕や手を動かしてはいないように見える。肩甲骨と鎖骨、背中の筋肉と体幹で動かしているような感じだ。
 とにかく、歌うことに特化なさってらっしゃるので、全身がずーっと脱力していらっしゃってて、歌っている時の手の動きには、びっくりするくらい「力感」がない。膝、股関節、それと腹筋で運動エネルギーを全部吸収しているみたいな感じだ。
 たまに両手でこぶしを握ってて、おやおや結構力入ってるなあ大丈夫か?と思ってたら、途中で両方の手のひらを一瞬ぴゃっと開いて脱力なさったw(『行かないで』(日本語バージョン)動画の最後のコーラスで武道の構えを取っている時)

  R&B系のダンスは、動きのキレを見せるために、初動を早くしたり、アクセントを強調したり、動作の止めを「ヒット」と呼ばれる壁に衝突させて止めるようなアクションを使ったりする。
 だが、ディマシュの動きには、これらが全く無い。見事なほど無い。
 なので、『シンガー2017』の第5期のディマシュの『アップタウン・ファンク』なんかは、R&B系のリズムが取れてなくて、見ててうわぁどうしようと思った。超絶、可愛かったけどね。
 つまり、ディマシュの筋肉や神経系は、我々が知っているR&Bやファンク系のダンスをする歌手とは、コンセプトが全く違う「ボディ・デザイン」で出来上がっているのだ。
 そのデザインでR&Bを踊れって、そりゃ無理っていうより、無意味でしょうよ。彼のレガートな動きが、なにをどうやっても「エレガント」の方向に持って行ってしまうのだから。

 途中、2回ほど右手で帽子に触る動きがあるけど、これが一番わかりやすいかな?
 帽子に触った瞬間、帽子のところできっちり動作が終わっていて、筋肉でブレーキをかけていない。なので、指先に全然力が入ってなくて、ただ触っただけ。それは、R&B系の腕の筋肉でブレーキをかけて帽子を掴むような力感のある動作よりも、見ている側の感覚、特に触覚に対して圧倒的に強く訴えかけてくる動きだ。

写真になってもエレガントが分かる指先

 この、ディマシュが持つパッシブスキルのような「モーションのエレガントさ」は、彼の発音のビートの強さとは対照的にパルス(脈拍)としてのビートは無く、そのかわりにひとつの動作の終わりに「動作の意味」が終わったことを告げるピリオドがあるだけだ。それによってひとつの動作が全体でひとつのビートになっているという、全く別の世界のビート感を持っているように見える。ううむ、説明が難しいな。動作に「スラー」の記号がついている感じ、と言ったほうがいいかな。

  以上のようなことから、この曲では、シンセ・ベースのビートと、言語のビート、さらにディマシュのモーションのビート、この3つが絡み合って、非常に抽象度の高い「憂いを帯びたエレガントなエロティシズム」が形成されている。
 それが、この曲のタイトル『 ZHALYN(焔)』の意味でもあるような気がする。


【作曲&編曲&キーボード奏者の貢献】

  この曲のもうひとりの作曲者で編曲者、『Fry Away』の作曲者でもある、エディルジャン・ガバソフ(Yedilzhan Gabbasov)氏も、結構すごい才能の持ち主だと思う。『アルマトイ・ライブ2022』でディマシュが「浅黒いカザフ人」と紹介したキーボーディストだ。
 彼のシンセ・ベースが往年のミニ・モーグのような音で、21世紀風に洗練されてはいるが、私のような古い世代の郷愁にかなりヒットする音でもある。(追記1)
 また、この音はディマシュの声の超絶に低い共鳴音ともよく合っている。
 ガバソフ氏のシンセはいわゆる「伴奏」ではなく「重奏」タイプで、ボーカルラインとはまた違う世界観のラインとリズムを作っている。
 この世界観の違うボーカルラインとシンセ・ベースのラインが合わさると、衝突したり引っ張りあったり離れたりと、非常にスリリングだ。
 これもまた、この曲の「官能性」を作り出している要素のひとつでもある。
 途中のメロウな民謡部の編曲や、ブリッジの構成、最後のドンブラの音色の選択など、サウンド面でもこの曲は非常に面白い。


【結論】

 つまりですね、こんな感じで、この曲とMV(ムード・ビデオ)は、非常に高度な内容を持っていると思う。
 それをだね、最上階に隠れていた「姫君」、もとい「少年」ディマシュのあの美声で歌われてしまいますと……ですね。
 これはもう、「火を噴くドラゴンが守り、茨が張り巡らされたお城」っていう障壁5枚に隠さざるを得ないかもしれませんね、ヤバすぎて。 

 ああそういえば、と思い出したが、YouTubeにあるファンメイドのエピソード動画の中に、ディマシュが(多分TV局の)ドレッシングルームの鏡台の前で、途中まで引っ張り出した空っぽの引き出しの底を、一心不乱に両手で叩いているというものがある。
 (なぜ引き出しの底を叩き出したのかは、謎)
 あの「完全にビートに体を乗っ取られた感」、あの感覚が超絶に進化発展したらこうなるのかな?などと思ったりした。(注4・動画)
 
 とにかく、最初にも書いたけど、凄い、ディマシュ、凄い。
 本人が意識しているかどうかはわからないが、カザフスタン独立後に育った音楽家第1期生としての矜持、責任、そして前例を持たない第1期生としての自由奔放さ、そういうものをこの曲に感じたりもする。

  てことでこの曲、たった2分58秒しかないのが非常にもったいないとすら思うので、30分ぐらいの超絶長い耐久バージョンも、ぜひ作っていただきたいと思っている。なにしろPS4で見てるYouTube動画を毎回手動でリピートするのは面倒なんです……。

(終了)


【注解】 

(注1)『スムース・クリミナル』 (動画説明)

 動画:『Michael Jackson - Smooth Criminal (Official Video)』
 by Michael Jackson(公式) 2010/11/19
(動画は文中に埋め込み済み)

(注2・動画)カザフ語の『Daididau』

動画:『Dimash - Adai+Daididau | Bastau 2017』
By Dimash Qudaibergen(公式)  2018/08/18  
・該当箇所、05:10のフレーズの少し前から頭出し。

(注3・動画)『勝手にシンドバッド』

動画:『サザンオールスターズ 「勝手にシンドバッド」』
By MASSAN  2023/04/24
・1978年、NTV(日本テレビ)「紅白歌のベストテン」でのライブ。


(注4・動画)ビートに乗っ取られた感

動画:『Funny, cheeky and adorably quirky Dimash Kudaibergen moments』
by Rowdy Fairy  2019/11/13
・「ビートに乗っ取られたディマシュ」は、4:59から頭出し。
・その前の3:30からの、鏡台の机の上に座り、お箸でチャカポコ足ブラブラする超絶かわいいディマシュも、ビートと遊んでる感満載でお気に入り。


・また別の動画(下に埋め込み)になるが、ディマシュが白いガレージの前でサッカーのリフティングを連続100回やっているというものがある。これも無意識だろうと思うが、まずテンポをきちんとキープしようとしていて、いや君それ、リフティングというよりも、サッカーボールと足でパーカッションやってないか?という感じだ。脱力した身体の動きは超絶エレガントで優しげで、リフティングの音自体が「音楽」になってしまっている。これを見たときには本当に驚愕した。ディマシュの天才のありようを心底思い知らされた動画だった。
(なのに再生回数たったの70数回、うち30回ぐらいが私……)
動画:『Dimash 20200421 hold football up 100 times :-)』
By DdddDimash  2020/04/22


(追記1)シンセ・ベースについて

 2023年6月28日付
 さっき『アルマトイ・ライブ2022』の『Fry Away』で、ガバソフ氏のキーボードに「MOOG」(モーグ)って思いっきり書いてあるのを発見した!
なんだ、ほんとにモーグだったのか。
 昔はムーグと言っていたが、開発者のムーグ博士と区別するためなどの理由で、現在はモーグと表記されるようになったそうだ。
 ただし、同ライブや先日のマレーシア・ライブでの『ZHALYN』演奏時にはガバソフ氏はいなくて、シンセ・ベースのかわりに弦楽器のベースが弾いている。なので、やや重くて浮遊感に欠けるかな~?という気はする。

動画:『Dimash - Almaty Concert | part 2』
By Dimash Qudaibergen(公式)2023/01/01
・『Fry Away』はディマシュの曲紹介も含めて06:45から頭出し。
・ガバソフ氏のシンセサイザーの名称「MOOG」(最初のOの中に、逆様になった16分音符の羽のような模様がある)が映るのは、キーボード側からが11:03あたり、観客席側からデカデカと見えるのが11:35あたり。





















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