とある女性がエンジニアになるまでの噺
今まで、意図的にプライベートなことはネットに書かないようにしていました。自分の身を守るために、ネットとは距離を置くのに慣れていました。
そんな中、いろは(@wiroha)さんの「一人の女性がエンジニアになるまで」を読んで書いてみたくなりました。この流れに乗ってみたいと思います。長くなりますがお付き合いいただけましたら幸いです。
生い立ち
関東地方のどこか、両親と姉の4人家族に生まれました。
母の実家がすぐ近くで、母が出勤するときに預けられ、昼間は祖母と過ごしていました。その後、保育園に入園できてからは毎朝母と登園して祖母がお迎えの日々だったと聞いています。
母が働く姿をずっと見ていたからか、女は結婚したら家に入るとか、子供ができたら退職しなきゃとかっていう考えをもたずに育ちました。今となっては、これが私にとっては大きかったのかなと思います。
小学生時代
小学生の頃、親戚の家で初めてパソコンに触れました。できることはゲームくらいしかないのですが、ひたすら遊ばせてもらって楽しかった思い出が最初です。
その後我が家にもパソコンが…と言えたら面白いのですが、そんなことはなく(笑)たまに遊びに行く親戚宅でパソコンを遊ばせてもらって興味を募らせるだけでした。
中学生時代
パソコンは手に入りませんでしたが、ワープロが我が家にきました。母の仕事用です。
それでも私は物珍しさから時々触っては、文章を打ってみたり、たまには書類の打ち込みを頼まれてワープロ打ちを覚えていく日々でした。
高校生時代
その後、地元の県立高校へと進みました。
高校は、自宅から通える普通科で姉が通っていたこと、成績も足りていたことから、悩むことなく決めました。(田舎なので選択肢がないという面もあります)
高校で文理選択の時は、国語と数学が得意で数学が好きだった事、社会系より理系科目が得意だった事、つまり成績と好みで理系選択しました。理系クラスの男女比率は7:3くらいだったかな。幼馴染も同じ理系選択だったから寂しいと思ったことはないし、女子が少ない分、クラスの女子同士は仲が良かった記憶があります。
不思議と私の周りには「女なのに理系?」と揶揄する人はいませんでした。
大学受験
大学進学について、親からは特に反対されませんでした。(年代的にも地域的にも奇跡的かもしれません)
姉が先に大学進学を目指したものの浪人を反対されたために短大に進学したという事があり、私にも現役合格の条件はありましたが、進学への反対はされませんでした。
母からは「自分が大学進学したいと言っても『女だから』という理由だけで受験させてもらえなかった」という話を聞きました。かなり悔しかったらしく「娘にはそんな思いをさせたくない」という思いだったそうです。母は高卒ですが自力で資格取得し、仕事関連の書籍で自宅の本棚が埋まっているほど勉強熱心で、知識も豊富で尊敬する人です。
そんな母の後押しもあり、大学受験に向かいます。
具体的に進学先を選ぶ頃、コンピュータへの興味が自分にある事を自覚しました。まだぼんやりとしたイメージでしたが、相談した親戚に背中を押してもらって、情報系学科のある大学をいくつか受験し、無事に合格できた大学に進学しました。
大学時代
私が進学した学科は、女子が1割くらい。元々少ないとは聞いていたので驚くことはなかったです。男子はいわゆるオタクっぽい雰囲気が多めな大学。でも、女子が少ない分、女子に気を使ってくれる男子が多かったので居心地は悪くなかったです。
大学に入って1年目からプログラムの授業がありました。言語はPascalです。一人一台端末が用意されていて、ログインの仕方から授業が始まりました。(今なら、ログインなんて教わらなくてもできる学生ばかりでしょうね)
情報系な学科だったので、数学でそっち方面に特化した授業がありました。例えば計算機は0.5って正確に計算できないんだよ、みたいな話があって興味深く聞いた記憶があります。
その後プログラミングでは、Pascalを使っていろいろ課題が出ました。例えば、複数種類のソート理論を勉強して、それを自分でプログラミングして提出とか。バブルソート、マージソート、クイックソート、等々一通り自作しましたね。いろいろな課題でプログラミングをしていくうちに、どんどん面白さにハマっていきました。悩みながら作って「できた!」という快感。
男女の差を感じたのは、実習で回路製作した時。あの頃、男子は技術、女子は家庭科と分かれて授業をしていた時代でした。自分で回路設計して材料を買い揃えて回路を組む実習なんですが、男子は技術の授業で経験済みなのに対して女子はやったことがないのです。同じ授業なのに、女子は難易度が易しくなりました。「はんだ付け」を初めてやる人に複雑な回路を作れって言っても無理なので、当然といえば当然の配慮なんですが。(今は男女とも技術家庭科として一緒に学べるようになったのは喜ばしいことだと思います。)
そんな大学時代にあったのが、windows95の発売やJavaの発表。あの頃の熱は、素直に懐かしく思います。
大学時代の友人には、PC販売店でアルバイトしている子や、もうソフトウェアハウスでアルバイトしている子がいて、IT系を身近に感じる学生時代でした。自分もソフトウェアの開発に携わりたいと強く思うようになりました。
順調に単位をとり就職活動。この頃には明確にソフトウェア開発会社に絞って、大規模から中規模の会社までいろいろと受け、中規模の独立系ベンダにご縁を頂くことができました。
そして、エンジニアとしてのスタートを切ることになりました。
つづく。。。
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