小さな事でもどこかで誰かが見てくれている。



私は仕事で手が空いたら
会社の花壇の水やりをしている。

時間も決めず、出勤して晴れてる日に
暇になればやろうとゆる~くやっている。

緑を保つ為に雑草にも水やりをしている。
だが、別に誰かに評価されるわけでも
感謝されるわけでもない。
だれも代わりにやってくれる人なんて
実際はいない。
私がいない時やるよと口だけで
やらないツワモノもいる。
なぜやってないってわかるか?
ホースの巻き方でわかる。

だから私が水やりをやらない限り、
雑草や花はどんどん悲しく枯れていく。

こんな陽当り良好な場所にあるから
水をやらないと死んでしまう。

人間も水分をとらないと死んでしまうように
やはり雑草であろうが花であろうが
みんな生きている。

だが私にだってやりたくない日ぐらいある。
喫煙所が同じ場所にあるからだ。
本当に臭い。
こんな汚い煙の中で雑草も花もよく生きている。
私がもし雑草や花壇の花なら
こんなところで吸わないでくれ!
あー臭いよー。
こんな所で長生きしたくない。
土から水分吸わずに枯れてやろうかな。
こんな事を考えるだろう。

だから本当によく頑張って生きている。
雑草や花を褒めてあげたい!!

そんな中、昨日とある会話が耳に入ってきた。
今年来たばかりのおじさんだ。
室内の方のタバコを吸いに行ったら
外で水やりをしている私を見かけたそう。
だれだかわからないがそこに居た人に聞いてみたらよくやってますよーっと言われたらしい。

だれだかわからないけど
ちゃんと見てくれていたんだと少し嬉しかった。

どんなに小さい事でもどこかの誰かは
ちゃんと見てくれている。
神様もこのようにそうだという事を悟った。

神様はいつも炎のような熱い目で
私達をご覧になって
時には喜んでプレゼントをくださったり、
時には悪い事をして悲しませてしまって
問題が起こるようになる。

だから小さい事でもちゃんとしようと教訓を得た☆





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