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怖いものは怖い



障害者施設が住民の反対で開設を断念したというYahooニュースを見た。

現在記事のリンクが見れなくなっているが、施設は知的障害者のグループホームで、住民向けの説明会で反対にあい、差別的な意見もあって利用者の安全を守りきれないとの理由で断念したそうだ。

まあ「差別だ!」というコメントは多い。ただ、住民寄りの意見もそれなりにあった。

一番上にあった、示唆に富むコメントを引用することにする。(長かったので一部を載せています)

じゃあ、知的障害持った人は山奥や人気のないところに家を建てるしかないのかね?

知的障害もってるってだけで、ちかくにグループホームや施設建てるなって主張すること自体が公然な虐待なんよね。
適切な支援と環境設定で、知的障害がある人たちでも一緒に生活できるし、別にグループホームに住めるくらいの人たちなら、勝手に家に入ったり、殴りかかってくるような障害者はいないと思うんよね。
障害を持ちたくて生まれたわけじゃない、なのに住む場所すら許されない存在って悲しすぎるんよね。

そうだと思う。
思うんだけど…


もし施設が自分の家の隣にできると考えたらどうだろうか。

それでも「障害者差別だ」「ほんと住民は自分都合なやつらだ」で片付けるだろうか?
読者の皆さんはどうだろう。


僕は奇声がとかと言うより、大きな声や強い口調、罵声が苦手だ。胸がゾワゾワしてきて、M-1のような怒鳴る漫才も苦手だ。精神疾患になってから余計にダメになった。

そんなわけで、不安なものは不安なのだ。


「怖い気持ちを持つことが差別だ」なんて言う人もいるが、不快感とか恐怖心なんて理解することで抑えられるものではない。
高所や閉所の恐怖症も、「ここは安全な場所ですよ。大丈夫ですよ」で治るのだろうか。


なので、もし近所に施設が建つとしたら、自衛のために家を離れるだろう。

建設反対を訴えることはしないが、しばらくは様子見をしたのち、黙って出ていくと思う。日々ストレスを抱えて我慢し続けるのも違うと思う。


綺麗事で済ませたくはない。自分を守るためだ。



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