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東国三社巡りと潮来のあやめ祭り

2021年5月29日
昨年から、熱田詣、諏訪大社巡り、石清水八幡、熊野三社巡り、伊勢参りと、ソーシャルディスタンスが取りやすい神社巡りに目覚めました。次は東国三社、ついでに季節の花でも見てこよう…ということで朝の東京駅南口から旅は始まります。確か時間は6時半、東京駅を出た高速バスは京葉道と関越道を通って一路、茨城県神栖市へ。

神栖市の鹿島セントラルホテルに到着。8時くらいだっただろうか。
徒歩で最初の目的地の息栖神社に向かう。シャキシャキ歩いて30分弱。ステイホーム続きの運動不足の身にはこれだけで堪えるが、郊外の雰囲気が心地い。

薄暗い森の中に佇む息栖神社。バスの本数は壊滅的。これは歩くしかない。
御祭神は・・・ほうほう、先導した神様かぁ。猿田彦とか八咫烏とか、そういう逸話は多いですね。
地理的にも、古墳時代、太平洋から香取海(海だった頃のバカでかい霞ヶ浦)に入るとすぐ(先頭・先導)息栖神社があって、今から訪れる鹿島は常陸側、香取は下総側にあります。大和朝廷は香取海を支配することで関東を支配していったんだろうなぁと太古の時代に思いを巡らす。ここは利根川河口、太平洋に出て伊勢湾や大阪湾まで陸伝いに繋がる外洋ルートの出入口。

御朱印は「東国三社」を強調。他の2社とはと比べると知名度が低いし、3社という括りがあるなら活かそうとするのは、すごく良く分かります。

息栖神社の近くに忍潮井という霊泉がある。中で鯉が泳いでた。すぐ側は常陸利根川。


ここから鹿島セントラルホテルまで徒歩で引き返す。また30分の道のり。
鹿島セントラルホテルからは道路に面した本館前から路線バスが出ていた。本数が少ない。
この路線バスで鹿島神宮駅まで向かう。

鹿島神宮に到着。
さすがは東国一と言われる神社だけある。
デジタルサイネージとか電子マネー対応とか独自クレジットカード発行とか、もう他の神社とは次元が違う投資力だ(そこか)
奈良の春日大社の鹿は鹿島の鹿。
まだまだ開発途上だったここ東国がフロンティアで、どれだけ利権を生んで藤原氏や朝廷に重要だったかがなんとなく想像できる逸話ですよね。
鹿島はその東国支配の重要拠点だったと。



鹿島神宮の御朱印かっこいい!


ここで昼休憩。蕎麦屋さんで天ざるを食べました。
(そんななか、仕事の電話がかかってきた)

鹿島神宮駅に戻る道中、塚原卜伝の銅像が。
鹿島神宮は武道の神様でもあるので。


鹿島神宮から鹿島線で潮来駅へ。
あやめを見にきました。
菖蒲、かきつばた、あやめ。違いが全く分からない。
あやめ祭りは開催はじめた最初の週末だったので開花状況はいまいちですが、それでも綺麗でむしろ風情がありました。
時間があれば船で水郷観光とかしてもよかったですけどね。
駅前ですぐあやめ公園と乗船場ですから潮来は観光産業に恵まれている。


次の目的地の佐原に向かいます。
来た電車は新しいE131系。この間外房線で乗りましたが、そういえば鹿島線でも導入されてました。


ここ佐原では伊能忠敬が戦国大名並みの扱い。銅像が大きい。
業績は今更語る必要はないでしょう。
明治政府も伊能図をしばらく使っていたとか聞いたことがあります。
恐ろしく地道な努力で、当時のオーバーテクノロジー的なものを作るのは日本人が有史以前からたまに見せる特技ですね。


佐原からバスで香取神宮に到着です。
香取駅からはかなり離れていると聞き、徒歩は諦めました。
結果、参道の商店街も通れて正解だったと思います。
私は東京都の東部に住んでますので、律令国制で言えば下総在住なわけです。
その下総の一宮に来れたのは何だか嬉しいものがありました。
そういえば下総総社ってどこだかきかないな。こんど調べてみよう。

香取神宮の御朱印はシンプルめ。
でも字がとても上手い。他所の神社も最低限はこれだと模範にして欲しいかも。

夕方で店などはみんな閉まってましたが佐原の街並みを見て歩きました。

帰りは佐原から思い切って成田駅行きのバスに乗ってウトウトしながら成田へ。効率的に回れば新勝寺にも行けるのかもしれません。
成田の奥は工業団地がけっこうあるんですね。外国人労働者が普通にバスに乗ってきて、伝統の街並みの佐原から、田園風景を経て、工場地帯の成田へとコントラストが鮮明なエリアのようです。
成田からは京成に乗ってで帰りました。

疲れましたがある程度歩かないとこういう巡礼ものは巡った実感が得られないので、車使わずに、少し歩くのも良いものだと思います。



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