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水郡線で陸奥國一之宮巡りと水戸・大洗・石岡

2021年7月22日〜24日

大和朝廷時代、陸奥國は福島県、宮城県、岩手県、青森県に跨る巨大な蝦夷の領域でした。現在の東北の太平洋側4県の原型です。広大な陸奥國の一宮は宮城県の塩竈神社ということになってますが、塩釜の近くに多賀城が置かれたのは724年の奈良時代。しっかりと陸奥の支配を確立させたのは9世紀に征夷大将軍の坂上田村麻呂の頃という印象です。では多賀城以前の東北地方をどうやって日本として同化させていったんでしょうか。他の地方と同じなら、神社仏閣を建てて宗教の教化でもっての同化(中央の神を祀る神社を建てたり国分寺を建てたり)ですかね。またその土地の豪族が祭る神を神道の世界に融合する(一宮・二宮など)というのもあります。なんだか古代の陸奥の神社に興味が湧いてきます。
5世紀の中国の歴史書からは大和朝廷が蝦夷(北関東や東北)を征服している様子が窺い知れるのと、宮城平野には5世紀頃の古墳(つまり大和朝廷の埋葬文化)も見られるそうで、東北の平地には大和朝廷に従う者がいて、山中には従わない者がいるような状態が9世紀初頭まで続くような感じだったんでしょうかね。

多賀城や秋田城ができるずっと以前、大和朝廷に従わない蝦夷の勢力が南下できないように設けられた東北三関は、福島県いわき市の勿来関、福島県の白河関、新潟県の鼠ヶ関になります。
まだ大和朝廷が宮城平野の支配を確立できていない頃の陸奥國の一宮はどこにあったのかと調べたら、今も福島県に神社としてちゃんと残っているそうです。勿来や鼠ヶ関は海と山の狭間の狭所、文字通り関所に適する場所ですが、白河だけは内陸にあります。白河関からからそんなに離れていない場所に陸奥國一宮を名乗る神社はありました。しかもなぜか三社もあり三社とも同じエリアにあるようです。
これら三社は久慈川上流と阿武隈川上流が最も近づく要地にあり、久慈川は朝廷側の一大拠点であったはずの常陸から白河に至る最短ルートであっただろうし、阿武隈川に舟を乗り換えれば中通りを北上して今の郡山、福島、白石、果ては仙台への移動や進軍も容易そうです。
また久慈川の常陸側(つまり陸奥と常陸の境界)にも何やら関連する神社があるようで参拝の順序もこの常陸から上流の神社に向かう順番でするのが本来のやり方だそう。こういう赴任地への道すがら神社が連なるのは都から遠方にある関東・東北・北陸の国にはありがちな気がします。

調べると意外とすぐに分かったこともあり、久慈川に沿って走るJR水郡線で郡山から水戸に南下しながら、古代に思いを馳せつつ陸奥國の旧制の一宮を巡ってきました。水郡線はしばらく台風の被害から不通区間があったのですが、この旅行の4ヶ月前である2021年3月に全線復旧したばかりのようです。旅程では、水郡線の終着付近の水戸や大洗、常陸国府の石岡にもついでに寄ります。

さて、昼前に東京を出て一路郡山へ向かうわけですが、画像の経路は新幹線ですね。
(Googleは新幹線使えと言ってくるけど)
私が今回使うのは在来線です。東北本線。

コレです。
これを2回分使おうと思います。早速1日目の移動で使います。
時間はかかりますが、郡山程度なら観光気分で行けるし余裕です。
郡山で一泊しました。



2日目、早朝から水郡線で出発です。
目指すは磐城石川駅。
気動車(エンジンで発電してる)ですねー。
水郡線はかなりの田舎や山の中を走る本数の少ない電車。
些細なミスや予想外の出来事で旅程が狂いそうで警戒しながらのスタートです。

磐城石川駅は少し歩けばコンビニもあります。
思ったより街の規模が大きく安心しました。
15分〜20分ほど歩けば、最初の陸奥一宮、石都々古和気神社(いわつづこわけじんじゃ)です。

こりゃかなり高い場所にお社があるようで、それなりに健脚じゃないと参拝できないかなと思いました。が、後で車でお社の近くまで来れることが分かりました。なんにせよ徒歩の私には関係なく階段を登るのみです。
どうやらアジサイの名所として有名のようで、つい最近までアジサイが咲き誇っていた跡がありました。要は7月末だと枯れた花だらけ。
機会があればアジサイの咲く季節に再訪したいですね。
あとここは三芦城(みよしじょう)ってお城の城跡でもあるそうです。

神社はかなり整備されていてキレイです。氏子さん達が守ろうと努力されているのが伝わってきました。少し言い方を下品にすればお金かかってるなと。
ただ福島県内の陸奥一宮の1つが、こんなに整備されてるなんて凄いなと思いつつ、これなら他の神社も気分良く回れるだろう・・・とこの時点で誤解してしまいましたとさ。

社務所は麓にあります。
9時まで待って最初の御朱印ゲットしました。おおっ陸奥國一宮の印が。
社務所は一般のお宅みたいな感じで玄関に机が出てきて社務所のカウンターになりました。
社務所が開くまで一帯は川の周りが遊歩道みたいになっていたので散策できました。

古代は大河を渡るのが難しく、こういう小規模の川の方が道路や運搬路として重要だったりしますよね。
首都の飛鳥なんかもそうですし。

10時半ごろに磐城棚倉駅に着きました。電車に乗ってる間に降ってた通り雨が止んだ。
電車の本数が怖いくらい少ない。逃したら待つ間に夏の気温で体調崩すかも。
ここが本宮的な位置付けの馬場都々古別神社(ばばつづこわけじんじゃ)がある場所です。西に20〜30分、けっこう歩きました。

なんじゃここ、雰囲気が。。。
全体的に朽ちていってる雰囲気。森も薄暗く、苔むしている。
こういう神社は大抵、いい意味で鄙びて神聖な雰囲気があるものだが、何か違う。
全く掃除されていない訳ではない、が。
社名が書かれた碑も、一部削られてるぞ。郷社とか官弊社とかの部分が奇妙に削られている。なにがあったのだろう。
先程の石都々古和気神社となんという対比。

そして社務所らしき洋館(え?)には、やばい貼り紙だらけ。最初怖くて他に社務所的な建物はないか探してしまった。
これ絶対ヤバいやつだ。写真撮ったりしたら何かトラブルになるかもしれなかったため写真はありません。
勇気を出してチャイムを押すと・・・すいません。あんまり悪口も書きたくないのでこの辺にしておきます。
訪れる方は、勇気出して、ご用心の上、臨んでください。
このままではこの神社も存続の危機が訪れるのではと思ってしまいました。

印刷品質も最低の御朱印です。。今までで最低のものかもしれません。
そこそこ苦労してここまで来たのに悲しくなってきました。

私は幕末も好きなんですが、ここは会津藩の西郷頼母が戊辰戦争の後に宮司をした神社だそうです。そういえばどっかの神社の宮司になったって昔何かで読んだ記憶があります。ここだったのか。
そんな神社も今はこんな感じのようで。より悲しい。

棚倉城跡です。
実は江戸初期に城を建設する前はここに馬場のお社があったそうです。お社は現在の場所に移設されたそうです。
丹羽長重による築城で、丹羽家は先代の長秀が安土城の普請奉行をやってたりしてたので築城に卓越したノウハウがあったらしく、徳川も彼らを活用したらしいです。
丹羽家の凋落のストーリーは心が少し痛みますね。
この城も完成前に丹羽家は移封されていきました。
棚倉はこの後、何かしら失敗した大名の左遷先となります。(石高ほど米が取れず、ここへの移封は懲罰になったらしい)
Googleマップで真四角の堀があるだけかなんて思っていたら、山をそのまま堀で囲んだような城でした。
この規模でこの造りはかなりがんばった感じがする。さすが丹羽氏の城だ。
堀べりにとんでもない高さの崖があって、防御する方向を絞れる。
平城なのに山城っぽさもある。 正直驚きました。

ここでお昼を食べました。
棚倉は、まだ町として機能してそうな感じがしましたね。
ハンバーグ美味しかった。

さてここから1.5駅ほど歩きます。
近津駅を通り越して八槻都々古別(やつきつづこわけ神社)へ。



こちらは街道沿いに鎮座されていました。
前回の神社があれだったので警戒してしまいましたが、
地方の立派なお社です。
社務所にはちゃんと巫女装束を着た女性が受付をされていました。
ふ、普通だ。よかったー!


御朱印ゲット。ちゃんと直接書いて頂きました。
なんか普通の陸奥一宮巡りの人は塩釜神社とこの八槻の神社だけ来ればいいような気もします。そこまで拘りなければ。
これにて福島県内の一宮三社は制覇です。
どこか釈然としない何かを感じながら先に進むことにしましょう。


近津駅まで徒歩で戻りました。
電車の時間までちょっと時間が余ってしまって、かなり待つことになりました。
駅の周りには自販機すらないです。
材木屋が延々と木材を切る音が聞こえます。。
無風です。
狭い待合室は蒸し風呂でした。
せめてもの救いはトイレの水道でした。頭から水かけて耐えましたよ。

次は茨城県に入ります。



下野宮駅です。夕暮れ近づいてきました。
なかなかに疲れましたね。
今日はこの駅前の旅館に泊まることにします。
(旅館の写真はなし)



そしてここが近津神社(ちかつじんじゃ)です!
残念ながら神職の方の常駐はありません。

古の時代、久慈川を上って陸奥に向かう役人達はまずこの近津神社を詣でたそうです。

立派なお社です。
なぜか地名の近津はずいぶん先にあり、福島県内ですから、混乱しますよね。
こんな立派なお社に人がいないのは寂しいです。
御朱印も貰えないですし。

いやしかしこの日は疲れました。モヤモヤもしました。
テレビでは東京オリンピックの開会式をやっていましたが、眠気に勝てず。
就寝。

次の日、早朝出発で水郡線に乗り、水戸までやってきました。
青春18切符も2日目を使います。
水戸では例のアレの銅像がお出迎え。



水戸の東照宮を参拝して御朱印ゲットしました。
白い玉砂利が綺麗な神社でした。
東照宮が日本にいくつあるか知りませんが、日光と久能山には行ったことがあります。

水戸城と弘道館に行きました。
水戸城の御城印をゲットして、これで御三家の城は制覇したことになります。
行きにくそうな和歌山を先に訪問できてたのが大きい。

大洗にも寄りました。
どうやらすっかりガルパンの街ですね。
マリンタワーから見える山並み、あそこから水郡線で降りてきたんだなぁ。

最後の目的地は石岡の常陸総社宮です。
これで常陸の総社にも訪れることができ、先日の鹿島神宮と合わせて、総社と一宮の両制覇となりました。
常陸国府は石岡市なんですね。
常陸総社宮は立派なお社で古高い丘の上にありました。
珍しく、旅行の御守りがあったので購入しました。(交通御守りではない)

蛇足ですが、我孫子で名物のから揚げそばを食べて帰りました。
うーん微妙なお味。

かなり強行軍でしたけど、たぶんこんな機会でもないと水郡線に乗り通すこともなかったと思います。
色々と良い経験になりました。

次は・・・宮城県ですかね。

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