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わたしの領解文/一人ひとりの領解文

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わたしの領解文/一人ひとりの領解文をあつめました。それぞれの方のお領解を味わい、自らの領解も味わい、深め、そして、言葉にしてみたくなるような…おみのりにであう場を、ゆるやかに繋い…
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#わたしの領解出言

私家版「領解文」/松月博宣 さん

南無阿弥陀仏 「われにまかせよ そのまま救う」の弥陀のよび声 声となりて届きし弥陀は 煩悩生活そのものを 浄土に生まれる身と定め 常に照らしたもうなり。 光の中に我が身を愧じ 救いたもうみ仏に 感謝の念仏申しつつ 愚かなる身を生き抜かん。 この世のいのち終わる時 直ちに浄土に往き生まれ さとりの身となるうえは 縁ある人より導かん。 これ宗祖親鸞聖人と 法灯継がれし よき師をはじめ あらゆる方のお育てと 深くご恩を噛み締めん。 救いに預かるそのうえは 弥陀の願いに促され 日々の

―私のつぶやき領解文―/瀬戸垣内清美 さん

今現在説法 何に於いても 阿弥陀さまのお手回し それは自分の都合ではない 今、為す全ては ナマンダブツ ナマンダブツを言わしめるため 全てはナマンダブツに通ず 今現在説法 耳もとにナマンダブツとささやく声 どこからか聞こえてくるナマンダブツ ああ、ご催促 忘れ詰めの私に 誰かを通し 何かを伝(つて)に 私に届くナマンダブツ 腹が立つ 腹を立てさせる奴は誰かと 怒るこころ 怒りの先に ナマンダブツを言わしめん如来様 ああ、そうであった はた、と気づかせるおはたらきがあった 今現

私の領解文/住寄真道 さん

 救われることのないこの私にも、すべての人々を必ず仏にすると願う念仏の風が届いていたことに気がついた時、私もお念仏の中にいた。  もう迷うことなく、もろもろの雑行を捨てお念仏の道を歩みます。  これは ひとえに七高僧並びに宗祖親鸞聖人、僧俗問わずお念仏を喜ぶ善知識との出会いのたまものであります。  うれしい時も悲しい時も、どんな時でもお念仏を称え、仏を呼び、その仏の呼び声を聞いてこの人生を生き抜きます。  そしてお念仏を称える瞬間、瞬間に還相の菩薩となってあなたに念仏の風を

『歎異抄』第一条/唯円房 さん

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて 往生をばとぐるなりと信じて 念仏まふさんとおもひたつこころのおこるとき すなはち摂取不捨の利益に あづけしめたまふなり 弥陀の本願には 老少・善悪のひとをえらばれず ただ信心を要とすとしるべし そのゆゑは 罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を たすけんがための願にまします しかれば本願を信ぜんには 他の善も要にあらず 念仏にまさるべき善なきゆゑに 悪をもおそるべからず 弥陀の本願をさまたぐるほどの 悪なきゆゑに

私の(伸び縮みする)領解文/恩知らずの猿候 さん

(縮んだ状態) 不思議だなあ 驚きだなあ  地獄行きのまま お浄土参りとは! 南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ! (伸びた状態) 疑い取られるままが 信(まか)せたことになる 不可思議な南无阿彌陀佛の救い その信じ難いお謂れを 親鸞聖人さまをはじめ 多くの善知識方の導きによって 聞き開くことができました その結果、 顕かになったことは この私は 息が切れる瞬間まで 地獄行きの種を蒔き続けながら 息が切れた瞬間、 この上ない覚りのお浄土に 辿り着くということです!

『絵ものがたり正信偈』/浅野執持 さん

どんなに濁った川の水も 海は抱いてくれるように どんなに厚い雲が覆っても 光は照らしてくれるように すべてを受けとめてくれるこころ そのこころに出遇えたとき 苦しみの連鎖(輪廻)を超えていけるのです はてしない過去から 私をつつむいのち はてしない未来まで 私を照らす光 私は出遇う いのちと、ひかり限りない仏さまに 南無阿弥陀仏 (『絵ものがたり正信偈より』)

俺なりの領解!/岡林俊希 さん

時代は変わった!要するに俺なりの領解文を叫べばいいわけだ。 領解文戦国時代。 もともと領解出言というのは信仰告白なわけで、それを語って直してもらう(改悔批判)心持ちでいればいいわけだ。これで、真宗教団も盛り上がるぞ! 新しい時代に俺の領解一発目ぶちかますぜ! 釈迦は死後のこと言ってない ムキになる連中いう 無記無記 経典から都合の悪いとこ削除 死んだら空・みんなで往生 輪廻なんて古代人の妄想 生きてるあいだ 自己にしがみつき 一ミリたりも空ずる様子なし  死んだら空 大衆に

「わたしの領解」/藤澤めぐみ さん

わたしのこえを きいておくれと 願うその声 心の奥を ゆさぶる音色がとどいたら その呼び声にみちびかれ そっととなえる 南無阿弥陀仏 阿弥陀と私が響きあい ワシがワシがの「が」に気付く けれども 気づいたその瞬間(とき)に しりから「われが」の「が」があふれ いつまでたっても仏にゃなれぬ なれぬ私を抱きかかえ つれてゆくぞの弥陀のよび声 阿弥陀さまから何十劫 数えきれない時超えて  お釈迦さまのおでましと 二千年の時超えて 七高僧の論釈を経て 親鸞さまへと届く呼び声 生まれて

わたしのりょうげもん/アーニャ さん

自分はなんでこんなことやってるのかよくわかんないんですが、 突っ込んだ足を抜けれなくてまだやってます。 本当は仏教より猫のほうが好きです。 親鸞聖人とおつきあいして30年、 なんであなたはこんなややこしいことを考えたのですか。 素直に南無阿弥陀仏をいただけばいいのだよと言われそうですが、 あなた自身が全然素直に頂いてないですよね。 死んでいくときに、親鸞聖人の教えとあえて良かったと言えるのかな。 わからないけど、きっとこれからも、私は親鸞聖人から離れられないでしょう。いや逆に

わたしの領解出言/塩井信明 さん

どうすることもできなくて悲しいとき、 「頑張れ」とは仰らないで、 ただ念仏の声となって届いてくださる阿弥陀様を支えに、 これからも私の人生を生きてまいります。 往生させていただくまでの間、 世間の皆様には引き続きご迷惑をおかけいたします。 南無阿弥陀仏

声に出して読みたいわたしの領解文/カリーナ佳代 さん

どっどど どどうど どどうど どどう じぶんの領解はどうだろう じぶんのお領解つくろうか かんがえるのだが なかなか ことばにならなくて なかなかなかなか できなくて きょうも 一日すぎてゆく そんなものかと らくたんするが  そんなものだよ じぶんの領解なんて なもあみだぶつ にきいてゆく 愚痴も不満も 仕方ない だけど、それだけじゃもったいない。 ほとけの働き今ここに わたしの仰信(ぎょうしん)あきらかに なもあみだぶつにたちかえる またあたらしく、まいにちを。 きょうも なまんだぶ。なんまんだ。 どっどど どどうど どどうど どどう (宮沢賢治 風の又三郎よりモジル)

『聖人一流章』/蓮如上人 さん

《最初の領解文は、「聖人一流章」》 現在は、「聖人一流章」として独立していますが、もとは長い御文の一節でした。 『御文章集成』第8通には、背が高く色が黒い俗人が、大坊主に向かって論争を挑むさまが述べられています。 「あなたは、当流の安心をご存知か。」 「いや、念仏さえしたら助かるとしか知らない。」 「知らないのか。わたしは俗人で、大坊主に説法するのはおこがましいが、『論註』には「四海のうちみな兄弟」というから、あなたに説こう。」 「いや、あなたは俗人だが、よく知っておられる

わたしのりょうげもん/アーニャ さん

自分はなんでこんなことやってるのかよくわかんないんですが、 突っ込んだ足を抜けれなくてまだやってます。 本当は仏教より猫のほうが好きです。 親鸞聖人とおつきあいして30年、 なんであなたはこんなややこしいことを考えたのですか。 素直に南無阿弥陀仏をいただけばいいのだよと言われそうですが、 あなた自身が全然素直に頂いてないですよね。 死んでいくときに、親鸞聖人の教えとあえて良かったと言えるのかな。 わからないけど、きっとこれからも、私は親鸞聖人から離れられないでしょう。いや逆に、教えが私を捉えてはなさないのかもしれません。

『領解文』/蓮如上人 さん

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、 一心に阿弥陀如来、 われらが今度の一大事の後生、 御たすけ候へとたのみまうして候ふ。 たのむ一念のとき、 往生一定御たすけ治定と存じ、 このうへの称名は、 御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。 この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、 御開山聖人御出世の御恩、 次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、 ありがたく存じ候ふ。 このうへは定めおかせらるる御掟、 一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。