新しい社会

zoomで、奥田知志さんの講演会。

ホームレス支援をされている牧師さんということは存じ上げていましたが、こんなにも話に引き込まれてしまうとは。パソコンの画面上であっても、人の気持ちは十分に伝わりますね。胸が熱くなりました。

印象に残ったことをメモ。

・例えば、アルコール依存症の方に対して、「お酒を飲まないなら引き受けると」は間違い。「引き受けるからお酒は飲まないで」相手に条件をつけるのではなく自分が覚悟して引き受けるから相手が変わる。

・病気以外の現象として今見られるのは、今までの社会がもっていた矛盾や差別、脆弱性が拡張しながら露呈している様。もうコロナ前の社会には帰れない。そもそも果たして帰りたい社会なのだろうか。十分な補償のない社会に私たちは生きていた。社会の基盤が果たして本当にあったのだろうか。薄氷の上を歩いていたようなものだった。私たちは新しい社会の創造の入り口にいる。オルタナティブな現実を作っていく。

・様々な現場で働く人たちがいるからステイホームができている。エッセンシャルワーカーの皆さんのおかげ。全員がステイホームできるわけではない。アウトホームで頑張ってくれている人がいるから成り立つ。つまり人は1人では生きていけない。あの人たちが頑張ってくれた結果ステイホームが可能であった訳で、「私がステイホームで頑張った」とは言い切れない。

・コロナ前の社会は、「自己責任」や「他人に迷惑をかけない」が求められる社会だった。トイレットペーパーがなくなったニュースを聞いた時に、物理的になくなったのはトイレットペーパーだが、つまりは「私たちの中から他者がいなくなっている」と思った。コロナ以前の私たちの社会の在り方が、そのような形で露出した。他者のために痛みを感じるのが人間で、動物との違い。自分の中に何人の他者が住んでいるか。辛くて苦しいこともあるけれど、それが人間であり続けることの基盤である。

・「不要不急」という言葉を頻繁に聞くようになった。振り返れば、今まで忙しかったけれど、どれだけそこに本当に必要なものがあっただろうか。急いでもやらなければならないことは何だったろうか。不要不急か否かをどのように選別していただろう。人生の優先順位は。芸術や芸能へのリスペクトは。それは余暇の対象でしかないものなのだろうか。私たちにとって何が大事で必要なのか、今回を振り返る機会に。

・社会の脆弱な構造が露呈した。住宅と仕事の分離が必要。85%が正規雇用の時代もあったが、現在は6割程度。社宅とか派遣者用のアパートとか、仕事がうまくいっているときは効率がいいような気がするが仕事を失うと家を失うことになる。家は生存権のベース。特に日本では、住所を持たないと新しく仕事を見つけるのも苦労するし、社会的支援も得られない。

・ステーホームは最低限。ステイホームに逃げてはダメ。フロムホーム、家からできること、家にいてできることを考える。

・今回のことでたくさんの人が「命を失うかも知れない」という恐怖を感じた。今までもしかしたら、命を二の次にしていたんじゃないだろううか。コロナ以前は「生きる意味のある命」「生きる意味のない命」と生産性などから命を分断して認識する傾向もあった。これからは生きているということそのものに価値を見出す時代に。

・「助けて」と言える社会でありたい。誰かから助けを求められるということには恵がある。相模原の植松被告は「たいへんさ」を「不幸」と言い切った。たいへんさ=不幸ではない。たいへんであることと不幸を取り間違えてはいけない。人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうことに辛さはあるかも知れないが、それは不幸とは言えない。

・自民党の憲法改正案は「個人として尊重される」と言う表現を「人として尊重される」と書き換えている。これは全く違う。みんなそれぞれが異なる個人であることが大切。幸福な社会に何が必要か、まずは個人で考えること。

・朝顔のつぼみは、夜の時間の冷たさと闇の深さで花開く。太陽の光で咲くんじゃない。まだ薄暗いうちに咲く。闇が去って光がやってくるのではない。「光は闇の中にあった。闇はこれに打ち勝たなかった」聖書の一節。闇の中にこそ光がある。希望が始まっている。朝顔が咲き始めている。

・「自分のことができてから」「一人前でもないくせいに」など言うが、自分が先という順番がある訳ではない。他者の中に自分を見つけだしていく。脳にはミラーニューロンという神経細胞があって、他者の中に自分を映して自分を確認する機能がある。絆(きずな)には傷(きず)が含まれている。他者と一緒にしんどさを共有する中で気が付いていくことがたくさんある。

・ギリシャには「時」を表す言葉が2つあった。「クロノス」と「カイロス」。クロノスは時計など物理的な時間を表す。カイロスは、花が咲くとき、人が生まれるとき、死ぬときなどを表す。その時にならないとわからない「時」を表す。

・・・・・・・・・

メモしきれずに取り逃がしてしまった言葉がたくさんありました。残念。


最近インプットとアウトプットを結構な勢いで行っていますが(同時進行でよんでいる本が2冊、順番待ちの本も3冊・・・いや、もっとかな)、情報の出し入れだけでなく、自分の中にあるものと何がどんな風に共鳴しているのか、確認作業というか、答え合わせをしているかのようです。思い浮かぶまま闇雲にやってるように見えて、すごく意味のある時間を過ごしているような気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?