「わがまま」な人は「規範」を考え直すいい機会をくれる人

こんにちは、西荻ぷれまのイシイです。

先ほどこんな記事を読んで、「わがまま」について考えました。

この記事では青野さんが離職率の高い自分の会社の社員さんの「わがまま」 を聞き、解決していったことで離職率も低下し、みんな気持ちよく働くことができるようになった結果会社の売上もアップした、というご自身の経験談が紹介されています。


これを読んで学んだのは、この記事では「わがまま」と表現されているものは、青野さんに与えられた「目標達成のための階段」だったんだな、ということです。

青野さんは、「情報共有をする組織が増えれば、もっと人類は幸せになる」という確信のもとに、そ実現のためのリソースを集めて最大限活用できる会社を目指していました。しかし、集まった人的リソースである社員さんが機能的に動いてくれない、という課題に直面しました。

その課題をクリアするためには、青野さんは社員さんが意欲的に働いてくれるための条件を満たす必要がありました。その条件が、ここでは「わがまま」と言われているモノなんだと思います。なかには突飛な「わがまま」も多かった中で、青野さんはそれらをひとつずつ検討していき、「会社とはかくあるべし」という規範にたいして、社員さんたちから出た「わがまま」をもとに検討を続けて、自分の目指す会社に近づけていったのではないかと思います。


僕もサッカーの監督をしていて、周りから「わがまま」といわれる選手の指導をすることもよくあります。「わがまま」は日常生活の多くのシーンで良くないものとされ、周りと合わせるようにと教育されますが、その一方で、「わがまま」な選手はチームに良い影響を与えることも多いんです。

まず、「わがまま」な選手は、多くの選手が選ぶセオリーとは異なる、「自分がやりたいプレー」をためらいなく選択するので、相手からすると予測ができない嫌なプレーをしてくれます。

また、チーム内でも「わがまま」を通そうとするので、ほかのメンバーと「そのプレーはチームとして良かったのか」という意見の交換が行われます。

最も大きい影響は、これらを通して「わがまま」な選手とプレーするメンバーは、似たような行動規範しか持たないメンバーだけとプレーするよりも「こういう考え方のやつもいるよな」と多様な考えを知ることになり、精神的に大人になるということです。


これは大人の社会でも大事なことで、「わがまま」は、それを「わがまま」であるとみなす「規範」に一石を投じる事であり、当たり前とされて無視され続けていた「規範」について立ち止まって考えるいいきっかけとなるからです。


ぼくはそんな「わがまま」な選手たちから、いつも多くの刺激を貰っています。

みなさんも、身の回りにいる「わがまま」な人から、当たり前を考え直してみませんか?

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