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数学考究.その3

【 研究の方針 】

周知のごとく幾何学(*1)においては、空間(*2)の概念、および空間における幾何学構成に必要なる最初の基礎概念を、なにか与えられたものと仮定している。それらには単に有名無実な定義が与えられるのみで、本質的規定は公理の形式において現われる。これらの仮定の間の関係はその際不明なままに残されて、それるの結合がいったい必要なのか、またどの程度まで必要なのか、なお先験的にそれが可能なのかわからない。

(*1) 2次元および3次元ユークリッド幾何を意味する。
(*2) 空間の語は素朴な意味。または3次元ユークリッド空間の意味で用いられる。「ヒルベルト空間」のごとき用い方はしない。

ユークリッドから、例えば近代の最も有名な幾何学の研究者であるルジャンドルに至るまで、数学者のみならずそれを問題にした哲学者も、この不明瞭さを闡明するに至らなかった。不明瞭さの原因はじつに「何重にも拡がったもの」という一般概念(その中に空間の量も含まれる)が、全く研究されなかったことにあった。そこで私は「何重にも拡がったもの」という概念を、一般的な量の概念から構成することを問題にした。これから「何重にも拡がったもの」が何種類もの量的関係を有し得ること、したがって空間は「三重に拡がったもの」の特別な場合にしかすぎないことが導かれる。その必然的結果として、幾何学の定理は一般的な量の概念からは導かれないこと、および空間と他の可能な「三重に拡がったもの」との区別を示すごとき特性は、経験のみによって得られることがわかる。そこで空間の量的関係を定める最も簡単な事実を求める問題が起こる。しかしそれは事柄の性質上、完全には決まらない問題である。なぜなら、空間の量的関係を規定するに十分なる簡単な事実の組は幾通りもあるから、その中で現在の目呼に対しては、ユークリッドが基礎としたものが一番重要である。これらの事実はすべての事実がそうであるように、必然的にではなく、単に経験的に確実であるに過ぎない。すなわち仮説である。したがって、たとえ観察の範囲内で非常に確実であるとはいえ、その確実性を問題にすることができ、よって観察の限界を超えて、測れないほど大きい場合や小さい場合に、それを拡張できるかどうかについてはなお考慮の余地がある。

幾何学の基礎をなす仮説について 

この序章において既に、リーマンの画期的な着想が提示されている。リーマンの本講演により、私たちが「確実である」と認識しているものは、経験的に確実であるに過ぎないことが表明された。そこに必然的な理由は何もないのである。

ここでリーマンが想定している理論はもちろん、ユークリッド幾何学である。西欧の伝統では、ユークリッド幾何学があらゆる学問領域の規範となり、とても大きな権威を持って存在していた。いわゆる古典物理学はユークリッド幾何学の理論をベースに組み立てられている。

ところが、近代になって非ユークリッド幾何学という別の理論が存在することがわかった。つまり、ユークリッド幾何学をなにも特別視する理由はどこにもない。古典物理学も、西欧人が常識的な観察の範囲内において整合するから有用である、と考えられていたにすぎない。

なので、リーマンの言うように『観察の限界を超えた』対象について理論を立てようとすれば、どのような幾何学を私たちは構築すればよいのか、全く手の打ちようがない。私たちが経験できる範囲というものは、この無限なる宇宙に比べれば、些細な有限なる部分に過ぎないのだから、リーマンに言わせれば「事柄の性質上、完全には決まらない問題である」ことになる。

リーマンが提唱する《何重に拡がったもの》は、ユークリッド幾何学を規範として発展してきた西欧伝統の考え方を、俯瞰した視点から見直すことに関して抜群の威力を発揮する概念である。その際に、この概念を『量の概念』との関連のもとで研究をしていくことをリーマンは問題とした。

リーマンの研究は数学を哲理的に考察していくという点において、極めて独創的な仕事であると言える。
今のわれわれがリーマンを読んでも、なお学びになる部分はとても多いように感じる。

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