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宇宙施術の現在地-2023.10.8

皆さんこんにちは。最近は数学についての投稿が圧倒的に多くなっていて、「あれ、この人、セッション(宇宙施術)はどうなったのか?」という感じが漂ってましたが、ご安心ください。宇宙施術も進化中でございます。

今回は、宇宙施術の現在地について、今思うままに綴ってみたいと思います。

数学研究と宇宙施術は、ぼくにとって両輪となっていますので、片方が進化していけば、必然的にもう片方も進化していきます。数学研究のみに重心を移し、宇宙施術のほうを軽く見るようなことはあり得ません。むしろ、数学研究をもっと深く本格化していく為には、宇宙施術の進化が必要不可欠であると言えます。

本日、数年ぶりに再会した大切な友人と京都の街を散歩していて、通りかかった公園でセッション(宇宙施術)をしていました。ぼくはまず、守護神である大宇宙大和神に呼びかけ、すると『氣』として存在感(この辺りはまだ上手く言えません)がやって来て、その氣を自らの身体の中に降ろし、セッションを開始します。自分はこのとき《  》となって、主に、①相手の身体が求めるもの(声)、②守護神が伝えたいこと(声)、の二つの声を聴き、それに応える形で氣を動かしていきます。この際、自分と相手の双方それぞれの、脳で考えるもの・こと(自我)の声は介入する余地がありません。川の流れが勝手に逆流することがないように、自我が「ああしたい、こうしたい。」と言えども、その場で起こる自然法則に反することは決して起こり得ないのです。ぼくは先ほど書いた二つの声を手掛かりに、導かれるようにして、セッション中に無数の【発見】を繰り返しながら、その瞬間に起こる自然法則を信頼し、委ねることでセッションが進行していきます。

セッションの前から整理された事柄を説明するのではありません。それまでの経験も活きていますが、目の前に居る "その人" について、他の誰かとの類推を用いたり、既知の事柄へ当てはめて理解しようとしたりすれば、上に書いた二つの「声」を聞き逃してしまうことになります。ある意味では、相手の身体と守護神(大宇宙大和神)とのマンツーマン・セッションなのです。それが宇宙施術でやっていることだと今は思っています。これが、宇宙施術の現在地、その概要です。

もう少し具体的に、最近の変化を見ていきたいと思います。

先ほどから「声」という表現を使っていますが、いわゆるチャネリングだと解釈されてしまうと、これとは異なるとぼくは思っています。そもそも、守護神(大宇宙大和神)ってなに?という話も重要なところですが、これは今のところ、『破壊と創造を司る”力”の総称』のことを指していると思って頂ければ、余計な誤解なく伝わるのではないかと思っています。力は力そのものであり、セッション中は『氣』として存在感があります。つまり、存在を感じています。これも、感じる(同調)の延長線上にあるものですので、チャネリング等とは異なるものと理解しています。「声」と呼んでいるものは、自分の内側から感じて(同調)います。

また、先ほど「自我が介入する余地はない」と書きましたが、しかし伝えるには媒介として(ぼくの)身体を用いるため、厳密には《共同創造》と言って宜しいかと思います。自我は無になると言うよりも、ピタッと静止している感じです。または、操縦席を明け渡しているような感じ。自我が本当に無になると、おそらく身体が急速な崩壊を始めると思いますので、そのような方法は取りません。

さて、ここからが書きたかったことで、セッション中(大体60分が目安)は基本的に無言で、黙々と氣を動かしていることが多く、意識が落ちて眠られる方も割合に多かったのですが、これに少し変化が生じて来ています。と言うのも、相手の身体が発する声と、守護神が発する声を、ぼくだけが聴いて黙々と氣を動かしていくのみならず、セッションを受けてくれている方にもなるべくリアルに聴いて頂きたい、お伝えしたいと思うようになって来たからです。そして、その人の『腑に落ちる』ポイントを、その場で、手探りで模索していく。そんな試みに、今のぼくは胸が踊ってわくわくしています。ただ、話をすることで相手の脳が反応してしまうと、感じる(同調)深さが中途半端に分散してしまうリスクもあるので、脳波を落として自我を静止させてから話を始めたり、ある程度の深さまでセッションが進んで来てから話を始めたりなど、工夫をしながら進めています。

本日の友人とのセッションでは特に、守護神のほうから「それを伝えて欲しい」と来て、ぼくが伝えると「そうそう」「よろしい」と満足した感じが伝わって来て、とても嬉しい氣持ちになった。人それぞれによって、課題と言っては少し大げさかもしれないが、感性を開いていくために重要な鍵が浮き上がって来ることが多く、それがぼく自身にとっても興味深い【発見】であることがほとんど。そうした発見の積み重ねが、数学研究の現場にもガッツリ活きてくるのが面白い。

伝えていることは非常に感覚的で、言葉に(しかもリアルで!)するのは困難な道ではあるが、ただ黙々と氣を動かしていく(※意識的操作であって機械的操作ではない)のみならず、この声を聴いて欲しいという思いが溢れて来ている。ただし取り扱いは慎重に。感じる(同調)深さの成長が促されている。進化することは面白い。これも、一つひとつの地道なセッションの積み重ね。

ぼくの役割である『魂振師(たまふりし)』がいかなるものか、自分自身にとっても段々と見えてきたように思う。これら全て、ご縁ある方々の多大なる恩恵の賜物に他ならない。いつもありがとうございます。


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