連続性のなかで考える

3月11日、震災から4年が経ちました。

石巻に関わり始めてから初めて、3.11を石巻の外で過ごしました。4年前地震が起きた時刻の14時46分は奇しくも、震災があったその日と同じように東京で電車に乗っていました。

打合せに向かう京浜東北線の車内は、黙祷のアナウンスが流れることも、周りの乗客が目をつぶり手を合わせることもなく(心のなかで震災に思いを馳せていた人はいたかもしれないけれども)、ごく当たり前の日常的な風景がありました。

その風景を少しさびしいなと思いつつも、そりゃあ、そうだよな、と思う自分がいました。

多かれ少なかれこの電車に乗っている人たちも当時震災の影響で不便を感じたでしょう。帰宅難民になって何時間も歩いて家まで帰った人もたくさんいるでしょう。

家族や親戚、友人と連絡が取れず安否が気がかりだった人もいるでしょう。それどころか自身が死にかかった人だっているかもしれない。だからあの日のことを忘れちゃった人なんてほとんどいないと思う。

そういうことをいろいろと想像した上で、でもまあ今こうして生きている人たちが日常を送って日々が平穏に(世の中が一応平衡状態にあって)過ぎている。それが4年経つということかと妙に納得しました。

被災地に祈りを、とか震災を忘れないで、とか様々な声がネット上に(少なくとも僕の観測範囲で)行き交いました。僕はこの4年間石巻を中心に、いわゆる被災者と呼ばれる人たちと沢山知り合い、友人になり、教えを受けて来たので何十人(あるいは何百人)もの顔が思い浮かび彼らの生活やがんばりが少しはわかります。でも、そうでない人は顔が見えない「被災者」や「被災地」のことを想像しろと言われても難しいと思います。僕でさえ「震災で亡くなった人」のことは話には沢山聞いてきたけれども、黙祷を捧げるときは大勢の亡くなった人たちのうちの誰かのことを想像することは難しい。なぜなら震災後にあの街に行った僕はその人達のことを知るよしもないから。

だから僕は、沢山の誰かのために祈りを捧げるというよりも(いや、もちろんそういう気持ちもあるけれども)、僕の友人や兄貴分たちの家族や親しい人たちに向かって手を合わせたいし、もっというと今生きているその人達とその住む街の幸福を願いたい。あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう。ブルーハーツじゃないけれど。

そして、3月11日という日はひとつの節目だけれども、この4年間1秒たりとも断絶せずに連続してきた時間軸の上にあるということこそ重要で忘れてはいけないんだろうなと思います。その連綿と続いてきた4年間を紡いできた人々の努力への尊敬を忘れてはいけない。し、個々人のヒストリー(僕の想像の及ばない喪失も含めて)への敬意を忘れてはいけない。

復興というのは案外ヌルっとしていて、どこかでバチっと線を引くというよりは地味な決定とやり直しの繰り返しで気がついたら(あるいは全然知らないうちに)なんか進んでいたというものな気がしています。特に2014年から2015年にかけてはそう感じることが多く、時間軸の縮尺を変えて見ると結構ドラスティックにいろいろ変わっていった(街のハード整備もISHINOMAKI 2.0というチームも)気がするんですが、どこかに線が引けたかというとそうでもない。個人的に今年度の後半は横浜にいることが多かったのでちょっと客観的に見ていたからかもしれません。

時間が経ってお前の気持ちが石巻から離れているんじゃないか?と問われると、そんなことはないと一旦反論しつつも、でも今までのままじゃ全然ダメだなあと最近思っています。街にとっての4年というのは短い時間ですが、個人の人生で見ると結構長く、ちゃんと成長したのかなと振り返っては首をかしげています。

ただそこに居ればよかった4年間から、もっと基礎体力をつけて専門的技能も身につけて、一手一手がズシリと打ち込めるような5年目以降へ。

この4月から働くフィールドもちょっと変わりますし(詳細は4月にお伝えしますが)少しだけ視野を広く持ちつつ頑張りたいなと思います。

街の歴史は遥か昔からこれから先の未来に至るまでずっと続いているし、地続きという意味ではこの街とあの街もつながっている。昨日の経験を明日へ活かし、この街の教訓をあの街へ伝える。そういうことができるようにヌルっと、しかし確実に第二ステージに行こうと思います。もっと世の中を面白くするために。


個人的な振り返りになってしまいましたが、個人的な振り返りの日だと思うので、こんな文章を書きました。


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