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別れ

オヤジの49日に後を追うように母が死んだ

先日の大雪の日に外で倒れていた所を発見され病院に運ばれたが既に手遅れで亡くなったらしい

母との事を人に話した記憶はあまりない

碌な思い出しかなく思い出すと口の中が苦くなる
子供を鞭でシバくという頭のおかしい宗教にハマり
ガスホースを束ねてビニールテープで補強した強靭なムチでいつも力いっぱい叩かれていた
理由は様々
日常生活の些細な事で毎日のように叩かれてミミズ腫れを通り越して血が滲む程だった
子供ながらに叩かれるのは自分が悪いと思い込んでいて良い子でいなきゃといつも自分を責めていた

そして子供の頃友達を作る事も許されず友達もいなかった
幼稚園も行かせてもらえず、益々世間からは遠い所にいた
一般世間のありとあらゆる行事が禁止で
誕生日、クリスマス、正月、七夕等
ちびっ子なら心躍る一大イベントを経験した事は一度も無い
流行りのアニメ、漫画も見せて貰えなかった…

ムチの体罰はおぼろげに記憶にあるがそれ以外の幼少期の記憶はすっぽりと抜けている
思春期の頃自我が芽生えドロップアウトしてからムチは無くなった
子供の頃は友達もいなく内向的でいじめられっこだったがある時から覚醒して同級生から受ける暴力には倍の暴力でやり返すようになり人を躊躇なく傷つけ恐怖を植え付ける事が絶対的な正義と思い込みどんな卑怯な手を使ってでも自分の正義を貫き通していた
喧嘩はたいして強くも無く本当は気も小さかったが
狂気的な自分を演じればする程一目置かれ、周りには似たような奴等が近隣の様々な地区から集まってきて恥ずかしげも無く群れていた

母からのムチはこの頃は無くなった
それどころかオデに恐怖すら憶えているようだった
家の金を持ち出して遊び歩き中学生の頃はバイクで通学、高校生の頃は車で通学という今思うととんでもない日常だった
ムチをされる事は無くなったとはいえ
外ではおっとりとした人と周知されていた母だったが家の中でのヒステリーは酷かった

そんな母が亡くなったと聞いてざまあみろと思った
嫌な過去の精算、、、気持ちが清々する

と、そんなはずだったのだけど

火葬場で骨となった母と対面した時にはボー然と立ち尽くし、やり場のないむなしさしか湧いてこなかった

思い出すのは当時各所で問題を起こしては母が呼び出され俺を憐れむように見ていた母の悲しみの表情と後悔の念
上京する時に、もう二度と帰らない!と言って出て行く俺に
卵焼きの弁当と封筒を渡され
封筒の中には今までの謝罪と上京する自分へのエールが記された手紙と五万円が包まれていた
溢れてくるモノがあり、塩っぱくなった卵焼きを新幹線で俯きながら食べた記憶がある

震災を機に数十年ぶりに再会したが関係はそう簡単に修復もされず最後までお互い分かり合えないまま永遠の別れとなった

ちなみに上京の際に貰った五万は上野に着いてすぐこれからの運勢を占う意味で入ったパチンコ屋で全額消えた

ノーマネーでフィニッシュです

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