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もつれ

3日間の朗読劇オンラインワークショップに参加した。

Zoomのブレイクアウトルーム機能を使って、
割り振られた仲間と練習をする。
最終回も運命のチーム分けがされ、2回練習をして、
本番の発表会を迎えたのだった。

わたしは朗読劇自体が初めての経験で、開催を待ち望んでいたように思う。
台本に書かれたセリフに、どのような感情をのせて表現するのか、
他に2人の演者もそれぞれの気持ちを持って参加するので、
3人で創る作品だ。
出来上がるプロセスまでもが興味深すぎる。


最終回、3つのチームに分かれて発表することになった。

わたしたちは最初の発表だった。
いつもの癖で、うまくできるだろうかと不安にのみこまれそうになったけど
タイトルをメンバーが読み上げる声を聞いた瞬間、気持ちが落ち着き、
3人の世界が始まった。

そして、他のチームの発表は、そっと目を閉じて聞いてみた。

同じ台本でもそれぞれの表現に想いが、そして色があったように感じた。
どのチームの発表も愛おしかった。

情熱的な人、穏やかな人、和やかな人、元気な人、
痛みを抱えている人、孤独を抱えている人、包容力のある人・・・。
さて、私はどんな印象を与えられたのだろう。

ワークショップの終わりにその場に集まった全員で
感想を伝え合う時間があった。
最終回だけ遅刻したため、
演者ではなく視聴者として参加していた人からのフィードバックで、
すごくドロッとした不愉快な気持ちになった。

「気持ちが乗りきった人、乗り切れなかった人、中途半端な人、それぞれだと思うが、それぞれがそれぞれ、気持が乗りきれなかった人は乗り切れなかったという事を楽しんだのかなと思った。」

おそらく、すごくドロッとしたのは、
「乗り切れなかった人、中途半端な人」
という言葉を聞いた時。

わたしの感覚的には、演者にそんな感じの感想を言った人はいなかったから、まずびっくりした。
そして、このような発言がすごく嫌だなと思ったのだ。

人の感じ方って操作できないし、相手が何を感じるかも自由だ!と
信じているはずなのに。
自分の中の矛盾にクラクラしてしまう。
でも、ドロっとしたものが消えてくれない。

こういう印象を持たれることに、恐れがあるのかもしれない。

もしかしたら、こういう考えを持ってはいけない。
持ってはいけない。
いけない。
と閉じ込めてきたのかもしれない。

そのあたりに、触れる出来事だったのではないか・・・という推察まで到達して、すごく疲れてしまったので、終わりにしたいと思います。

ここまで考えて、ふと、手元にあるカップを見ると、
温かったスープがすでに冷たくなっていた。

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