人間の学習

意識的な学習と無意識学習と本能レベルの学習の3つがあると思っていて。

意識的な学習は、例えば、人から何か聞いたりとか、経営者同士の座談会を見に行って知見やマインドセットを得たり、何かスキルの学習をしたりというのは、自分がインプットしていることとどのようにインプットしたものをアウトプットする予定かを自覚しているものである。

無意識学習は、生きる中で経験したものを通して、無意識なレベルで学習し、後から振り返ることで自分の学習を認識できるものである。

たとえば、民事の法的係争事案の当事者となり、相手と内容証明を送りあったり、訴訟一歩手前までというのを経験すると、人間不信度があがって、悲観的、神経質になったりする。これは経験を通して、人間は争い嫌な思いをするものだということを学習したといえる。これは、学習自体が意図的でなくても、後からレビューすることで学習を認識できる。

また、たとえば、インフルエンサーがクソリプを受けまくっていたりすると、一般人への先入観がどんどん悪いイメージになっていき、初めて会う人やよくわからない人間に対してかなり警戒して注意深くなってしまう。これは経験を通して、人間というものはネットの向こうからは躊躇なく攻撃的になるものだという学習をしたといえる。

本能レベルの学習というのは、生物的に脳内に刷り込まれて地肉になるような学習である。前の1つ目の例で言えば、人間=争う=醜いといったイメージが本能レベルで刷り込まれる。2つ目の例で言えば、世界への恐怖心のようなものが本能レベルの学習が行われている。

何が言いたいかというと、2つ目までの学習は、学習したことを認識できるので、学習した上でどうするのかを考える上での基礎となるが、3つ目の本能的な学習というのは、その学習がポジティブであれば、幸せになっているはずだし、ネガティブであれば不幸になっており、人間が幸せでいることがゴールなのであれば、結果に帰結しているということである。


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