自分の世界をどのようにデザインするのか-1
最近思ったのだが、世界は広くても、自分に見えている世界というのはとても限定されている。そして、限定された世界を通して、相対化された自己を認識するという側面があること。その限定された世界に何を取り込み、何を取り込まないのか、という視点は幸福度を調整する上でとても重要であると最近感じる。取り込んだものによって相対化する際の指標や見え方は当然変わってくるため、相対化された自分への評価ももちろん変わってくる。
例えば、好奇心をそそられるものに対して、そのまま覗きにいくかどうかの判断をした方がよいということ。上の続きになるが、同世代で超絶成功した人間の私生活というのはなんだか好奇心がそそられるわけである。だが、ここでそれをそのまま自分の世界に取り込むと、その世界の中で相対化したときの自己がなんだか劣っているように感じたり、幸福度が下がったりする可能性が高いわけである。超高所得者から見える世界に好奇心はそそられるけれども、上記のような意味ではあまり自分の世界に取り込まないほうが良い場合もあるのではないかと思う。
逆に、事故や事件、裁判の経過など、人の不幸が垣間見えるようなニュース。これは見ることでネガティブになったり、悲観的になったりするように思うかもしれない。しかし、悪意はないが、こういったニュースを材料に構成された世界を通して見える相対化された自己評価にはポジティブな影響になるはず。「あー世界にはこういう紛争や戦争で大変な思いをしている人がいるんだぁ」というニュースや、国内のご近所トラブルや芸能人の自殺報道、こういった内容は、あくまで自分の幸福度を調節するという意味合いでそういう側面もある。
今までは、いかに有用な情報を見つけるかという点が筆者にとって一番重要であった。しかし最近は、自分の幸福度をどのように保つかというという点の重要性が大きくなってきており、その意味で何か情報ソースを開く直前に上記のような視点で自問自答することが多くなってきた気がする。
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