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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12709-12714:2024年5月18日(金)

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「サイケデリック唯識ラジオ」の配信をしています。

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タイトル一覧

12709. 唯識学を扱う今日からのゼミナールに向けて

12710. 今朝方の夢

12711. 生・死・命への関心の高まり

12712. 軽度の火傷からの学び

12713. 今朝方の夢の続き

12714. いよいよ始まった唯識学を扱ったゼミナールの初回のクラスを終えて

12709. 唯識学を扱う今日からのゼミナールに向けて

時刻は午前5時を迎えた。今日も午前4時半頃に目を覚まし、その時にはもう小鳥が鳴き声を上げ始めていた。今うっすらと辺りが明るくなっていて、遠くの空には朝焼けがほんのり見える。少し雲があるようだが、ここから雲はどんどんと晴れていき、今日も良い天気に恵まれるとのことである。来週の火曜日にはまたしても最高気温が25度を超えるようだが、それ以外の日は20度を少し上まるぐらいなので非常に過ごしやすい。今日は22度まで気温が上がる予報が出ている。

今日からのゼミナールでは、いよいよ待望の唯識学を扱っていく。唯識学を扱う告知をして以降、嬉しいことにゼミナールに復帰された方々が何名かいらっしゃり、また新しくお迎えする方も何名かいらっしゃるので、新しい風がゼミナールに吹くだろう。唯識学を1人で学んでいくのは非常に困難であるから、今日からのゼミナールではお互いに助け合い、叡智を結集させながら唯識学の研鑽に励んでいければと思う。ここから15回かけて第1タームとして最初の課題図書にじっくり取り組み、第2タームからのさらに深い学びに繋げていきたい。そこから第3ターム、第4タームと学びと実践を継続していけば、唯識学の習得がさらに確実なものになるだろう。イメージとしては、今日からの第1タームでの学びは、日本語をこれから学んで日本語を活用したいと思う人においてはひらがなを習得する感じであろうか。これから数学を学んで偏微分方程式を解けるようになりと思う人おいては九九を習得するイメージであろうか。それくらいに基礎から学びを始め、およそ3ヶ月間の第1タームをもってしてもまだひらがなや九九を習得したレベルであることは肝に銘じておきたい。しかしながら、ひらがなや九九を習得したことによってできることは多く、心の成長に向けた実践が豊かになることは間違いない。この点についても受講生の皆さんに伝えておきたいと思う。それ以外に何か今日からのゼミナールに向けて書き留めておくことがあるかと考えてみたときに、皆さんなりの目標設定を尋ねてみたい。まずは第1タームが終わる時にどのような自分でありたいかを尋ねてみる。そこからさらには仮に唯識学を継続して1年間学んだ後の自分としてどのような自分になっていたいか、さらにはこれから一生涯かけて唯識学を学んでいった場合の最終的な目標としてどのようなものがあるかを尋ねてみたいと思う。唯識学の学びの果てにある最終的なゴール設定。それはとても大きなものになるだろうが、第1ターム終了後と1年後のありたい姿という短期目標の設定と合わせて、そうした長期的かつ大きな目標を設定することは学習動機を維持する上でも、そして大きな成長を実現する上でも重要だろう。ゼミナールを通じた今日からの長きにわたる唯識学の修練の旅の始まりに大きな期待を寄せる。フローニンゲン:2024/5/18(土)05:25

12710. 今朝方の夢

早朝の小鳥たちの鳴き声が一旦やみ、彼は少し休憩に入ったようだ。その代わりに鳩が遠くの方でホーホーと鳴いているのが聞こえてくる。午前5時半を迎えて辺りは随分と明るくなり、ひんやりとした空気が2階に漂っている。気温はそれほど上昇していないが、熱を逃して空気の入れ替えの意味もあって、2階の二重窓の内側を開けている。そうすると、窓からの隙間風が2階に流れ込み、2階の気温を下げてくれる効果と空気の入れ替えの効果がある。そして何より、小鳥たちの鳴き声がより鮮明に聞こえてくるという嬉しい効果もある。そのように述べていると、休憩を終えた小鳥たちが鳴き声をまた奏で始めてくれた。

今朝方は1つ少しばかり恐怖を感じる夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない部屋の中にいた。そこはどうやら自分の家のようだが、見慣れない感じがあった。そんな家の部屋で小中高時代の友人(YK)と話をしていた。彼としばらく話をしていると、今から大学の講義に出席することになっていることを思い出し、大学に向かうことにした。授業は午後からだが、午前中の早い段階で大学に行っておこうと思ったのである。すると、彼もその講義に出席したいとのことで、一緒に大学に向かうことにした。どうやら彼の祖母が車で迎えに来てくれるようで、その申し出は有り難いが、彼の祖母に迷惑になるような気がしてので返答を一瞬渋った。返答する前に洗面所で歯磨きをしようと思ったところ、彼はどうやら一晩うちに宿泊していたようで、洗面所に彼の化粧品が並んでいた。どうやら彼は私の歯磨き粉を大量に使っていたらしく、その痕跡が残っていた。随分と一晩で減った歯磨き粉のチューブから歯磨き粉を絞り出し、歯磨きを始めたところ、彼も身支度を始めた姿を確認した。正直なところ、大学には1人で行きたかったという思いがある。というのも、1人で歩きながら考え事をしたいテーマがあったからである。彼と一緒に大学に向かっていると、きっと彼と話をすることになるであろうから、大事なテーマについて1人で考え事ができなくなってしまう恐れがあった。とは言えもう彼は大学に行く気満々なので、身支度を済ませて一緒に出発した。いざ出発してみると、見知らぬ番号からの着信があった。着信音が鳴っている最中のスマホの画面には、小さい悪魔のキャラクターが真っ暗な部屋の中で踊りを踊っているという不気味な姿が映っていた。私は着信拒否をしたが、何度も同じ番号からかかって来て、どうしようかと思った。すると自分の脳内に突然、電話の主である悪魔の声が聞こえてきたのである。何やらこれから悪魔のところに行き、悪魔と決闘する必要があることがわかり、さてどうしたものかと思った。その時にふと、小中高時代の友人(AF)と高校時代の友人(HH)が悪魔退治に協力してくれるかもしれないと思って、2人に協力要請をすることにした。高校時代の友人は速やかに協力要請に応じてくれ、小中高時代の友人に電話をすると、最初別の友人の母が電話を取り、間違った番号にかけてしまったかなと思ったが、友人と別の友人の母が今一緒にお茶をしているとのことで、番号は間違っておらず、彼に事情を説明したら、彼も協力要請に応じてくれることになった。4人で悪魔と戦えば、なんとか悪魔を打ち負かすことができるのではないかと思ったが、当面は2人が駆けつけてくれるまで、まずは今一緒に歩いている友人と2人で悪魔と戦わなければならないと思った。2人でどこまで戦うことができるか、それは少し気掛かりであったが、この機会に悪魔を完全に撃退しておきたいと思った。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/5/18(土)05:44

12711. 生・死・命への関心の高まり

この人生の意味。生や死の意味。そうした意味を問えるというのは、ひょっとしたら贅沢なことなのかもしれないとふと思う。そうした意味を問えないような絶望的な状況に今の自分はいない。むしろそうした意味を問える希望の中にいるような気さえしてくる。もちろん絶望の最中にあってもそれらの意味を問える人もいるのだろうが、絶望の極に差し掛かった時、おそらく意味を問うという行為は消失してしまうのではないかと思えてくる。しかしそんな状況にあっても、自分は積極果敢に意味を問うていきたいと思う。意味を求め、意味を構築する生き物としてのこの人間性を全うしたい。そんな思いがふとやって来る。ここのところはどういうわけか、人生の終わりについて考えることがよくある。そもそもなぜ人間を含めた生命は誕生し、死んでいくのだろうかということについて昨夜も考えていた。生命は他の生命によって支えられ、多くの場合日々他の生命の命をいただきながら自らの命を持続させていく。命の果てしない連鎖の中に私たち人間もいるということ。それについて今一度自覚的になってみた時に、どのようなことを私たち1人1人が思い、考えるか。それは何かとても大切なことのように思える。

おそらく命への関心が高まっているのは、隔週で行っているシロシビン・セッションによるものかもしれない。実際に、ここ数回のセッションの中で命が主要なテーマに挙がっていることがあった。また、毎回のセッションでは死と再生を必ず経験するため、それが生や死の意味に敏感にさせているのかもしれない。生や死の意味に対して大きく開かれている自分がいること。命に対して大きく開かれている自分がいること。この開かれがまた何かとても大切な新しいことを自分にもたらしてくれるような予感がしている。ちょうど明日はまたシロシビン・セッションを行うことになっている。これまでは午前10時からのスタートであったが、明日からは正午からの開始とする。1日ファスティングを兼ねて、昼食と夕食を食べることなく、2週間に1度のこのセッションはファスティングの実践にもなっているので一石二鳥である。2週間に1度胃腸を完全に休めることは、筋力トレーニングにおける超回復と同じぐらいに重要なことかと思う。胃腸が十分に休まれば、また栄養の吸収が良くなり、ファスティングの翌日から摂取する栄養がまた健全な身体を作り上げていくことに一役買ってくれるだろう。フローニンゲン:2024/5/18(土)06:11

12712. 軽度の火傷からの学び    

さて、朝の活動に弾みをつけてくれるお茶を淹れ終えたので、ここから午前中の取り組みに正午まで打ち込んで行きたい。時刻はまだ午前6時半を迎えたばかりなので、ここから5時間半ほど探究活動や実践活動に打ち込んでいくことができる。自分にとってはもはや探究活動と実践活動は分けられるようなものではなく、両者は相即の関係性にある。便宜上の区別として、唯識学の探究と英語のスピーキング能力の向上実践の2つをひたすら行ったり来たりする形で正午まで時間を過ごしていく。

昨日夕食を作っている最中に、不注意から右手の人差し指に軽度の火傷を負ってしまった。茹で野菜をいつものようにオーブンで作り、それを取り出してサランラップを外した時に熱気を浴びてしまったのである。いつもはオーブンでの調理が終わり、しばらくしてからオーブンから取り出してサランラップを外すのだが、ここ最近は食実践にも変化を加えたので調理の時間が短縮され、レンジが終わったらすぐにオーブンから取り出してサランラップを外すことが続いていた。レンジをかけて高温になった器から漏れてくる熱気は相当に高温になっていて、ラップを外した瞬間に右手の人差し指にその熱気を浴びてしまった形となる。この件について少しばかり考えていた。幸いにも大きな火傷につながることはなかったが、そもそも自分はレンジをかけた食べ物を取り出すことに関する真理に暗かったのだと思った。こうした日常の些細な事柄の中にも真理は常に潜んでいる。レンジをかけた器の中には熱気が充満しているという真理、そしてラップを外した瞬間には外側との気温差から一気に熱気が外に流れ出るという真理、それを防ぐためにはオーブングローブをつけままラップを外せば良いという真理など、実に様々な真理がある中で、昨日の自分はいずれに対しても無自覚であった。熱気を指に帯びた瞬間に、ものすごく熱かったのでこれはすぐさま冷水で冷やさないといけないと思い、その行動に出たが、結果的に火傷をした瞬間の応急処置としてそれは正しかったようだ。火傷の応急処置について調べてみると、そこには手当に関する真理が記述されており、その真理に対して明るくない場合には火傷からの回復が遅れたり、火傷による跡が残ったりする。冷水で冷やした後にはワセリンを塗り、指から皮膚の再生に向けた浸出液が少し出てきた。ワセリンを塗ることによる湿潤効果を最大限に活かすために、以前にも不注意で手を怪我してしまった際に購入した絆創膏を指に巻いて就寝した。この一見取り止めもないような出来事からも意味やメッセージを汲み取っている自分がいる。大きな怪我につながらなかったことは本当に幸いであり、日常生活の至る所にまだまだ自分の知らない真理が隠されていることに改めて畏怖心を感じる。唯識学、筋力トレーニング、英語のスピーキング能力の向上実践、食実践など、今の自分が意識的に取り組んでいる学びと実践だけに限ってみても、まだまだ未知なる無限の真理がそこにあるのだという謙虚な姿勢を持って毎日を生きたいと思う。昨日の一件はそのようなことを改めて思わせてくれた教師的な役割を持つものだった。フローニンゲン:2024/5/18(土)06:54

12713. 今朝方の夢の続き

午前9時を迎えたタイミングで、近所の教会から時を告げる鐘の音が聞こえてきた。土曜日の休日の朝の世界に鳴り響く教会の鐘の音は、小鳥たちの鳴き声と同じく美しい。

起床してから今のところ、朝の創作活動に従事し、英語のスピーキング能力の向上実践に集中的に取り組んでいた。今使っている学習教材の1周目を早々に終え、今日から2周目に突入した。ここから2ヶ月弱を目処にして、少なくとも6周ぐらいこの教材を繰り返していくつもりだ。唯識学に関する文献においても6読目を今から始めようとしているが、短期間にそれくらい繰り返すことによって知識が記憶に定着し、記憶に定着した知識は実践に足るものになる。記憶に定着してから実践に活用していくというよりもむしろ、学習過程の中で常に知識を実践的に活用しながら知識を体現化させていくのが好ましい。そうした形で6周ぐらい繰り返し学習していると、体でそれを覚えてくるようになる。まさにマッスルメモリーにそれが刻まれる形となり、そうすれば考えることなしに自然とその知識が日常で活用できるようになってくる。唯識学の学びにおいても、英語のスピーキング能力の向上実践においても要領はほぼ同じである。

そう言えば、今朝方の夢の世界の中で、ドイツのプロサッカーリーグで活躍する日本代表のある選手をおんぶしている場面があったことを思い出した。その選手は現役の日本代表選手で、次期リーダーとして目されている選手である。その選手はまだ20代後半でこれからさらにキャリアを積んでいくことになるが、若手選手への面倒見が良く、リーダーとしての器もある選手である。そんな彼と一緒にランチを共にしたところ、彼は昼からワインを飲み、程よく酔っ払ってしまった。昼食を済ませてレストランを出ることにはかなり酔っ払ってしまっていて、1人では歩けない状態になっていた。まだシーズン中で、本当は昼からお酒を飲むことは控えるべきだと思うのだが、私との会話が盛り上がり、ついつい調子に乗ってワインをたくさん飲んでしまったのである。私は一切アルコールを口にせず、シラフの状態だったので、彼を家まで送っていくことにした。レストランから彼の家までは幸にして歩いて行ける距離だったので、1人で歩けなくなった彼をおんぶして家まで送り届けることにした。その街はドイツの中規模の都市で、品があって雰囲気が良かった。ちょうどその日は休日だったこともあり、街で寛ぐ人たちの姿は一様に幸せそうだった。普段から筋力トレーニングをしていることによって、自分よりも体格に優れたサッカー選手の彼をおんぶするのはさほど大変ではなく、ゆっくりと歩みを前に進めていきながら彼の家に向かった。彼の家に到着すると、そこで彼はようやく目を覚まし、鍵を渡してくれた。鍵を手に取ってドアノブを回したところで夢の場面が変わった。一体彼の家の中はどのような感じなのだろうかという興味が湧くが、それは今となってはもう見ることのできない景色となっている。元々その選手は今自分が住んでいるオランダのサッカーチームにも所属していて、どこか親近感が湧く。彼が夢の中に現れるのは今回が初めてだったが、それは何を示唆しているのだろうか。フローニンゲン:2024/5/18(土)09:13

12714. いよいよ始まった唯識学を扱ったゼミナールの初回のクラスを終えて  

 

時刻は午後3時半を迎えようとしている。天気予報では午後から少し雲が出てくる予報だったが、雲はほとんどなく、見事な青空が広がっている。今目に映る青空と同じぐらい素晴らしい時間を先ほどのゼミナールの第80回のクラスで感じていた。今日からいよいよ唯識学を本格的に扱う回となり、ここから8月末までを第1タームとする形で多様なバックグラウンドをお持ちの受講生の方々と唯識学に関する学びを深めていく。兎にも角にも唯識に「ついて」学ぶということを超え、唯識に「なる」というところまで学びと実践を深めていけたらと思う。

今日のクラスの中で取り上げられた事柄についてはたくさん印象に残っていることがあるが、まずは唯識学というものが本来は言葉で語り切ることのできないものを言葉で扱おうとしているという点に絶えず自覚的になり、言葉の罠に囚われないようにすることが重要かと思った。唯識学の教えは言葉を通じた方便なのであり、指月の指なのだ。月を指す指は月そのものではなく、あくまでもそれは月を指す指でしかないのである。しかしながら、私たちは月を指で指すからこそ月を認識することにつながるという点を忘れてはいけない。すなわち、本質的に言葉からこぼれ落ちてしまう真理を言葉を通じて語ることには限界があるが、しかしながら言葉で語るからこそ気づける真理があるのである。例えば、諸行無常という言葉を当ててくれたからこそ、縁起の理という言葉を当ててくれたからこそ初めて立ち現れる真理に気づく必要がある。さもなければ、真理も言葉もたらいの水と一緒に赤子を流してしまうという事態になりかねないのである。言葉の虚構性と限界に気付きながらも、言葉のエッジに果敢に挑戦していき、言語的虚無主義に陥ることなく言葉を通じて真理を照し、その光を他者や社会に共有していくのである。そのような心構えを改めて持った。

もう1つ今日のクラスからの学びを挙げるとするならば、言葉の限界に気付きながらも、改めて唯識学が持つ奥深い言葉の世界に意識的に入っていくということだろうか。唯識学は一見すると取っ付きにくい難解な言葉で溢れているように思えるが、ゆっくりと着実にそれぞれの言葉と向き合ってみると、1つ1つの言葉がまるで個性を持っているように、その言葉の輝きに気づく。そしてその言葉の背後には豊かで広大な世界が広がっていて、他の言葉との関連によって言語ネットワークが作り出す無限に広く深い言葉の大海あるいは宇宙に気づく。そしてそれを通じて、自らの言葉の世界という言語阿頼耶識に自覚的になり、自らの言葉の世界と宇宙がまた新たな輝きを持つ。そうした気づきを得て、ここからの1週間、受講生の皆さんと最後に決めたアクションプランの1つであるここからの1週間において印象に残っている言葉にはどのようなものがあり、それに対してなぜそれを印象的に思ったのか、そして可能であればその言葉の輝きの背後にある世界に自覚的になるという実践に取り組んでみたいと思う。フローニンゲン:2024/5/18(土)15:40

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