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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12680-12685:2024年5月13日(月)

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タイトル一覧

12680. 今週末からのゼミナールに向けたゴール設定

12681. 今朝方の夢

12682. 創造的実践としてのスピーキング能力の向上実践

12683. 能動的な創造的スピーキング実践の方法

12684. 徹底的な反復練習を通じた発話の自動化に向けて

12685. 健全な形での緩やかな体重増加に向けて

12680. 今週末からのゼミナールに向けたゴール設定 

時刻は午前5時半を迎えた。辺りはもうすっかり明るく、そよ風が優しげに吹いている。穏やかな朝の世界の中に、小鳥たちの清澄な鳴き声が溶け出している。それはとても甘味的で、甘美的な感覚をもたらしてくれている。自然な了解。自然に頷かれてしまうもの。真理とはそのようなものなのだろう。真理は自然と頷かれてしまうものなのだ。真理とは、自然に了解されてしまうものなのである。今日もまた真理の探究に乗り出していこう。すでに船は漕ぎ出されている。真理の大海にすでにいるということ。真理の大海の中で船を漕ぎながら、究極的な真理に辿り着くこと。それを楽しさと喜びの感情の中で実現させていきたい。

今朝方起床した時にふと、「今週末からのゼミナールがとても楽しみだな」と呟いている自分がいた。今週末のクラスからいよいよ唯識学を本格的に扱うタームが始まる。第1タームは8月中旬までの予定で、すでに自分の中ではカリキュラムとして、第2ターム、第3ターム、第4ターム以降の課題図書の剪定を済ませており、何を扱っていくかは決まっている。すでに大きなカリキュラム設定は先先までなされているが、とにかくまずはスタートの第1タームをどのように過ごしていくかを大切にしたい。そこでどのような学びを実現していくかが楽しみである。きっと1人では辿り着けない世界を見れるだろうし、第1タームが終わる頃にはきっと1人では辿り着けないところまで辿り着いているだろう。そうした形でここからいくつものタームを積み重ねていった先に見える景色が本当に楽しみである。それは景色だけではない。唯識学を学ぶ私たち自身がどのように変化しているかが重要なのであり、それがまた楽しみなのである。唯識学は間違いなく私たちを変える。良い方向に私たちを変えてくれる力を持っているのが唯識学である。唯識学の潜在能力を引き出しながら、同時に私たち自身の潜在能力を引き出していくこと。唯識学に関する学びと実践を続けていった先に、きっと仏の成就が待っている。それを信じている自分がいる。願わくば、唯識学を学ぶ各人がそれぞれの仏性を目覚めさせ、開花させる形で各人固有の仏が成就することを期待したい。学びを共にする全員で仏になっていくこと。どこまでも広く深い智慧と慈悲を獲得して、この世界に貢献していくこと。そんなゴール設定を自分は持っている。フローニンゲン:2024/5/13(月)05:49

12681. 今朝方の夢

小鳥たちの澄み渡る鳴き声を聞きながら、そして朝焼けが輝く朝空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っていた。今朝方も昨日の夢に続いて踊りに関する夢を見ていた。昨日は小学校時代の女性友達から波打ち際で舞を教わっていたが、今朝方の夢の中では学校の教室の中で舞を誰かから教わっていた。舞を教えてくれていたのは男性とも女性とも言えないような、性別不詳の顔の見えない人だった。顔だけではなく、シルエットがかろうじてあるかのような形で、人と言えるのかわからない人の雰囲気を持ったその雰囲気の物質体から舞を教えてもらっていた。その存在は日本語を話すことができ、性格はとても優しかった。声の響きはどこか女性的で、性格も女性的な感じがした。総じてその存在体は女性性を豊富に携えているように思えたのである。しばらくその存在体から舞を習っていると、元宝塚の大女優が教室にやって来て、私に元気一杯に声をかけてきた。どうやら私たちは知り合いのようで、その方曰く、今から体育館で舞をステージの上で練習しようとのことだった。それを済ませたら近くのレストランに行って一緒に食事をしようと誘ってきたのである。私はすでに教室で舞の基本的な稽古をしたので、早速ステージの上で踊ってみようと思った。なのでその方の申し出に従うことにし、一緒い体育館に向かった。そのような場面があった。

この夢の流れを受ける形で、再び学校の教室にいる場面があった。そこで私はせっせと和菓子を作っていた。教室には生徒が他におらず、教室全体がどこか理科室のような雰囲気を放っていて、さまざまな実験器具があった。同時に、家庭科を習う教室のような雰囲気もあって、実際に調理器具も合わせてたくさんあったので、和菓子作りに困ることはなかった。鼻歌を歌いながらご機嫌で和菓子作りに没頭してしばらく経つと、とても美味しそうな和菓子がたくさん出来上がった。それは1人では食べきれない量だったので、教室に友人たちがやって来たら友人たちに振る舞おうと思った。そこからは調理器具の片付けを始めることにし、その作業の中で唯識学についての学習をしていた。脳内でこれまで学んだこと、特に直近で学んだことを復習している自分がいたのである。その振り返りの学習の中で、また新しく浮かんだ疑問や洞察などがあり、テキストが手元になくてもいつでもどこでも勉強することは可能なのだということを再確認した。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/5/13(月)06:04

12682. 創造的実践としてのスピーキング能力の向上実践 

朝日の輝きが美しさを増してきた午前6時半。庭側の木にいた小鳥たちはどこかにいなくなり、その代わりに1羽の小鳥がキッチン側の木にやって来て、今美しい鳴き声を上げている。朝日を浴びてそよ風に揺られる木々の葉はとても美しく、その姿を眺めているだけでこちらの心が自ずから穏やかなものになってくる。自ずからの導き。それこそ真理の特性であり、真理を体得するというのはそれを感じることなのだ。

英語学習のフェーズが大きく変化したこと。それについてはすでにここ数日の日記の中で書き留めていることではあるが、この相転移現象には自分でも驚く。それもまた自ずから生じた真理の導きなのだろう。日本法相唯識学を欧米社会に宣揚していく使命を担うこと。そのためには英語の発話能力を今の次元を離れ、別の次元に行く必要があるということが英語学習との向き合い方を根本的に変えた。これまでの自分は留学の実現に必要な英語の試験で要求されるスコアを取得することだけに目が向かっていたように思う。もちろん欧米での生活の中で、スコアの取得を超えた形で英語の学習は継続していたが、それは何か目的を持ったものではなかったし、鍛錬もまた意識的なものではなかったように思う。目的を持たず、意識的に行わない鍛錬はほとんど何も成果をもたらさないのである。仮に何かしらの成果をもたらしたとしても、それは明確な目的を持って意識的に取り組んだときの成果と比べると雲泥の差が生じるのである。ここからの英語学習はもはやインプット系の学習ではなくて、完全にアウトプット系の学習に切り替えていく必要がある。もうこの13年間の欧米での生活において、さらには中学校からの英語学習を出発点にして、そこからこれまでの英語学習の中でインプットは膨大な量になっているのだ。ここからは自分の内側に豊富に蓄えられたインプットを活用していくアウトプットへと学習の在り方を明確にシフトさせていく時期である。そこでの取り組みとしては、これまで使っていた例文が豊富な単語学習アプリを有効活用していき、そこに掲載されている例文を受動的に音読するのではなく、能動的な音読をしていく。いや、それはもはや音読というよりも、自分でセンテンスを再構築していくような学習になるだろう。自分がその単語やイディオムを使っている情景をありありと想像しながら、感情を込めて例文を自ら即興的に作成していく楽しみを味わいながらスピーキングの実践を積んでいく。それは先ほどカリンバでの即興演奏作曲を行ったのと同じであり、即興的に例文を創造していくという創造的な営みとしてそれを楽しみたい。そうなのだ。英語のスピーキング能力の向上実践は自分にとって、音楽や絵画を創作するのと同じぐらいに創造的な営みなのである。それは言葉を用いた造形的創造実践なのである。そのように思うと、日々のスピーキング能力の向上実践がますます楽しいものとなり、創造的なものになっていくであろう。自分は言葉を用いた造形師なのである。フローニンゲン:2024/5/13(月)06:48

12683. 能動的な創造的スピーキング実践の方法

早朝の穏やかさは見事としか言いようがない。天晴れな朝空と呼応するかのように、天晴れな平穏な世界が辺りに満ち満ちている。そんな中で、朝の創作活動や英語のスピーキング能力の向上実践に組んでいた。朝の最初の活動して、その日にやるべきノルマを最初にこなしてしまうことが肝要である。唯識学の探究において言えば、それはアウトプットとしてのレクチャー動画の作成になる。まずは自分で設定した基準量のレクチャー動画を作成してしまうことに尽きる。このレクチャー動画の作成そのものが創造的な営みである。朝のスピーキング能力の向上実践においては、早々と一日のノルマをこなしてしまうことによって、気持ちはさらに軽やかになり、そこからは好きなだけ唯識学の研究とスピーキング能力の向上実践に取り組める。スピーキング能力の向上実践は創造的実践としての意味合いを帯びたことを嬉しく思う。まさか英語学習が創作実践の一環として行えるとは思っても見なかったことである。英文詩の作成のような形であれば創作活動としての側面はわかりやすいが、まさか英語のスピーキング能力の向上実践すらもが工夫次第で創作活動と呼べるとは予想外のことであった。ここからはこの実践の振り返りをしばらく書き留めていきたいと思う。何を意識して取り組んだかということを中心に、惰性で音読をしていなかっただろうかという項目を常に振り返りたい。もう自分はインプットからアウトプットに大きくシフトする段階にいるのであるから、受動的に音読をしていては何の意味もなく、学習教材に掲載されている単語や例文を用いて、自らの例文を作っていたかという能動度合いを絶えず確認したい。こうした確認を逐一行なっていくことは大切である。なぜなら、これまでの自分の音読学習は受動的なものだったからであり、その習慣から脱却する必要があるからである。過去の習慣から脱却するためには、とりわけ実践の初期においては言葉にして書き出していくという振り返りが極めて重要になる。過去の習慣は言語阿頼耶識に種子が格納されており、その種子を断じていくためには、新たな言葉を通じて種子を新しく言語阿頼耶識に薫習させていく必要があるのである。そうすれば過去の習慣から脱却でき、より成長につながる新たな習慣が獲得されるだろう。

ここからのスピーキン能力向上実践においては、順番としてはまず、学習教材に掲載されている例文の音声を聞き、その後に音読をする。それはこれまでの受動的な音読実践と変わらない。これまではそれを何度か繰り返すことで終わっていたが、ここからは繰り返しの中で例文から目を離して短期記憶を通じて例文を言えるようにしていくことを行う。そしてここからさらに能動的なステップとして、自分で単語を入れ替えたりする形で自分なりの例文を即興的に作って口に出すということをひたすら行なっていく。この能動的な創造的スピーキング実践をこれから毎日徹底的に行なっていこうと思う。フローニンゲン:2024/5/13(月)08:48

12684. 徹底的な反復練習を通じた発話の自動化に向けて

午前中の穏やかな時間が心地良く自分の心の世界の中を流れている。これからは日々英語のスピーキング能力の向上実践を地道に継続していくことに加え、唯識学の古文書の読解力も毎日着実に高めていきたいと思う。現代語訳ではなく、漢文・訓読文・書き下し文の3つの形態の文献に対する読解力を地道に高めていく努力を継続していく。日本から届けられた唯識学の種々の古文書は自分にとっての財産であり、それは最良の学習教材となる。現代語訳の書物を読むこと以上に、日本の法相唯識教学を発展させていった奈良時代から昭和時代にかけての学僧たちの残した書物をこれからもひたすら毎日読み進めていく。その分量は毎日少しでもいい。しかし毎日必ず彼らの文章について触れるということをしていきたい。

現在、英語のスピーキング能力の向上に向けて、再度改めて基礎的な単語や表現、さらには文法事項に取りこぼしがないかも確認するようにしている。それらの基礎の基盤を今一度堅牢なものにしていくために、それらを用いたアウトプットの反復練習を行うように心掛けている。基礎を大切にすること。初心を大切にすること。それは何もスピーキング能力の向上だけではなく、唯識学の探究においても大切にしたいことだ。基礎の確固たる習得が真理の道を切り開くのだから。

九九を暗唱することによってわざわざ一桁の掛け算を頭の中で計算しないでも答えが算出できるように、基礎的な語彙と表現が何も考えずに口から出てくるようにしていく。九九の暗唱やプロ棋士の詰将棋の徹底的な暗記と要領と同じである。プロの棋士は、何度も様々な詰将棋を幼少期から徹底的に解いてきた経験をもとにして、考えなくても手筋を思い付くようになっていく。当然重要な局面においては思考を巡らせるのだが、そうではない局面においては何も考えなくてもいいように、すなわち大切な場面でしっかりと思考力を発揮できるように、徹底的な基礎の反復練習を通じて省エネモードでいられる時間を増やすことが重要になる。それは英語のスピーキングでも全く同じである。一瞬考えるというのはまさに将棋のプロ棋士で言うところの熟考モードのそれであり、何も考えなくてもスラスラと言葉が出てくると言うのが詰将棋で培った思考の省エネモードに喩えることができるのではないかと思う。いずれにせよ、九九と詰将棋のメタファーを常に念頭にながら、基本的には何も考えなくても言葉がスラスラと表現豊かに自由自在に出てくる次元にまで英語のスピーキング能力を高めていこうと思う。その境地に辿り着いている自分の姿はもうありありと具体的にイメージできている。あとはそこに辿り着くための鍛錬を日々楽しみながら行うだけであり、そして実際にそこに辿り着くだけである。フローニンゲン:2024/5/13(月)10:04

12685. 健全な形での緩やかな体重増加に向けて

時刻は間もなく午後5時を迎えようとしている。つい先ほどジムと買い物から帰ってきた。いつもジムからの帰りにはオーガニックスーパーに立ち寄り、必要な食材を購入している。ここ最近目覚めた肉体改造において、最も重要なことは体重を健康な形でゆっくりと増加させていくことである。今日ジムで体重を測ったところ、服を着ている状態で55kgほどしかなかったので、ここからやはり少なくとも10kgを焦らずゆっくりと質の高い食材を摂取しながら増加させていこうと思う。何かを付け足していく実践ではなくて、シンプルになっていく生活とは逆に、体重はあえて増やしてみる。減らしたものがあることとバランスを取るかのように体重は増加させてみるつもりだ。その鍵を握るのは炭水化物であり、これまでは主食を一切摂取しておらず、炭水化物が圧倒的に不足していた。健全な形での体重増加に向けて増やした食材としては、穀物パン、さつまいも、ピーナッツバターである。いずれもオーガニックのものであり、まずはそれらの炭水化物が豊富な食材を積極的に摂取していこうと思う。特に雑穀パンとピーナッツバターにはタンパク質も豊富に含まれていて、朝食にはたっぷりピーナッツバターを塗ったパンを150gほど食べることにした。これまでは朝食に固形物を摂取していなかったこともあり、こうした食事を朝に摂取すること自体が大きな変化である。無理をせず、焦らずゆっくりと体重を良質な食事を通じて増やしていくことが懸命な道であり、その中で筋力トレーニングをしていくことになるので、きっと筋肉量もそれに応じて増えていくことが期待できる。単純に10kg体重を増やすのではなく、筋肉を今よりもつけていくようなイメージである。炭水化物の摂取によってタンパク質の合成も良くなったようにすでに感じており、それは肌質の改善にすでに現れている。ここからも、エネルギー源としての炭水化物の様々な効能を実感する。ここからも観察を続けていく形で、身体と相談しながら筋肉量を増やしていく食実践を行っていく。

今日からのジムでの筋肉トレーニングでは、もはやトレーニング前後の有酸素運度をやめた。そもそもジムの行き帰りで合計30分歩いているので、片道15分のウォーキングがすでに有酸素運動の役割を果たしている。そこにジムで追加で有酸素運動をしてしまうのはやり過ぎであり、筋肥大を促すトレーニング効果を打ち消してしまう。有酸素運動をせず、準備運動がてらに軽い重さから徐々に扱っていく形で今日のトレーニングを始めていった。基本的にバーやダンベルなどのフリーウェイトトレーニングを主にし、マシーンを使ったトレーニングは今日は一切やらなかった。今日ジムで鍛えることをしなかった上腕三頭筋やふくらはぎの筋肉については明日自宅で鍛えることにしたい。そうすれば水曜日は休息日とすることができ、木曜日にまた全身をジムで十分にトレーニングできるだろう。今日のトレーニング内容もエクセルでしっかりと記録しておこう。フローニンゲン:2024/5/13(月)17:05

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