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現代アーティストの25年の人生

始めまして!現代アートをしているYoheyです。
私は現在25歳(2022年2月現在)、今までにアートをするため海外留学をしていて、その後は東京モードを経てグラフィックデザイナー、イラストレーターに。今現在は現代アーティストとして、世界の本質を探究し、アートを通して優しい世界を作りたいと思っています。
Twitterにて発信もしております。
@yohei96s もフォローしてくださると嬉しいです!

Color series/2023

アートを通して世界のやさしさを増やしたい。

ここではまず、私自身のお話を通して、なぜ人生を通してアートをしていきたいのか。に通ずるお話ししたと思います。
少し長くなりますが、私のこれまでを、幼少期から丁寧に振り返ってみました。
理由は、作者のバックグランドを説明することで作品やプロジェクトに対して、表面的には見えない思想の様なものまで感じて頂かけるのではないかと思ったからです。


自己紹介

1996年生まれの25歳です。(2022年2月現在)
私がなぜアートをするのかを、どんなふうに書こうかなとすごく悩みました。
そこでまず、私の性格を作ったであろう幼少期から思春期の話をするのがいいと思い少し書かせていただきます。

私のアートのモットーになった経験

最初のきっかけを振り返ると保育園児の私までさかのぼるように思います。

幼少期から高校生

小さいころから何でも自分で作る子供でした。
よく覚えているのは5歳くらいの時に封筒をイチから作ったこと。
当時、保育園の友達と手紙交換をしていて封筒を切らしてしまい、その時にしっかり封筒っぽい色まで塗って仕上げました。この世のものは何でも作るものと思ったし作れると思っていたんですよね。

そんなかわいい私の幼少期からの夢は画家か歌手でした。
今も鮮明に覚えていることは、おばあちゃんの家のテレビの前で郷ひろみのアーチーチーを見たときに、歌ってお金がもらえるのはすごいな、ということ。それと絵を描くことが何よりも好きだったので画家という職業を教わった時それがよく聞かれる「あなたの夢は?」のお決まりの答えになりました。

小学生のころは剣道と習い事に夢中になり、小学生にしては忙しくあまり友達と遊ぶ時間がなかったのが記憶に強く残っています。
遊ぶとしたらひとり家で絵を描いたりパソコンを使って要らないものやカード、フィギュアを父とオークションに出品したりしました。小学生にしてはかなりコレクションすることにこだわりがあり、それらをトレードしながらお小遣いを稼いでは昆虫飼育に夢中になりました。
クワガタムシが大好きで小学校の読書の時間には論文をよむほどに熱中していました。家に帰るとまたパソコンを開き掲示板やブログを読み、ネットの中でクワガタ好きな大人と交流を楽しみました。

この時NARUTOやドラゴンボールも大好きで、漫画を買ってはたくさん模写しました。私にとって漫画本がよかった点は買って読んだだけで終わらず、絵を描くことで一人遊びが出来てしまうそんな夢の様なものでした。

将来の分岐点である高校生活は自分のために時間を使わないといけないと思いました。
本を読み、映画を毎日見ては感想文を書きました。
バイトは掛け持ちでしましたし、毎週音楽のライブや美術館に通いました。田舎に住んでいたのですが東京へは高速バスで1時間半ほどで通っていました。

そんな中も自分のやりたいことは何かな?と常に考え続けました。
インスタグラムもそのころに丁度出てきて、フィードをスクロールし始め、たくさんの関心がその中にはありました。
絵を描くこともそうですがクリエイティブなパワーの強さに自分は救われたと思います。

何かを作ることは、唯一自分の心を満たしてくれる時間になりました。

影響を受けた二人

突然なんですが影響を受けた二人のレジェンドの話を挟みたいと思います。今振り返るとですがこの二人が『現代アートをしたい自分』へのきっかけになったように思います。

イーロンマスクになりたい/自分らしく社会と関わるには

深夜のテレビを見るのも好きで高校性のころは録画を放課後に見漁っていました。
その日見たのはイーロンの特集で、彼はビジネスと同時に世界を変えるプロジェクトを進めていることを知り、あこがれの存在になりました。

それまで高校二年生位の私は、教育を世界に届けたいなと考えていました。というのも、世界の貧困を授業で聞きますが、お金や何かしらの寄付が根本的な解決に繋がるとは思えなかったんです。
そこでそもそも教育を提供することが貧困脱却へのきっかけになるのではと、当時はぼんやり考えていたところでした。

昔からヒーローに憧れていた私はイーロンのエピソードに酔いしれたんです(笑)
上記に書いた教育もイーロンはアプリのコンペ等をしながらリアルに現実を動かそうとしている。こんな人がいるんだな、と。嬉しくもなり自分もイーロンになりたいと思いました。

保育園のころ、からかわれている同級生の見方をしてからかっている子たちを追い払ったことを思い出します。小学生の頃も自分が悪くないと思えば友だちの肩をもち、仲のいい友達とは絶縁してしまいました。
小さいころから自分の正義があったように思います。

その行動が正しいかは分からいけれど、気づいたら助けたい気持ちが勝ってしまうことが多くありました。
話がそれましたが、イーロンのエピソードが衝撃的でこの世に光を感じた瞬間のようにも思えました。私にとってはイーロンは赤レンジャーみたいなものです。
どうしたら自分もヒーローになれるか考えました。そうすると自分が得意でいて人が必要に感じてくれていることがクリエイティブな領域ということに気が付いたんです。

学校は小さな社会なのでそれぞれの個性に役割が与えられやすい環境です。その中でもありがたいことに分かりやすく自分の個性は浮いていました。
そのことから気付きを経てクリエイティブで世界を笑顔に出来る人になろうと思えたんです。

村上隆/海外に行く決意。

同時期(18歳ころ)に私は村上隆の本を手にします。ブックオフで見つけてなんかこの人の名前聞いたことあるな!?と手に取り、読み始めました。

そこには芸術のいろはと日本でアートをすることは難しく、英語が必須であり、美大にいってもアーティストにはなれない様なことが書いてあります。(ざっくりです)
なるほどと。これは長い道のりだなと思いました。というのも私は画家になると言い続けていたのですが、アーティストに関する情報が周りに少なく画家になることしか頭になかったのです。

でも現実はまず英語からということになり、高校生の一大イベントである進路選択は海外に行く。で決まったのです。

高校生の頃の私はGLEE(アメリカのドラマ)に相当な影響を受けました。価値観やジェンダーに関して、他人をリスペクトをすることをドラマを通して学び憧れました。
そうして海外に行ったとなれば話は早いのですが、そんな資金は田舎の高校生にはありません。シングルマザーの母親もその日の暮らしが精一杯です。

まずは就職しました。
新卒採用で働き翌年10月、20歳の私は憧れの映画やドラマの様な世界に飛び込んだのです。
自分の貯金を全部使いオーストラリア留学をしました。ブリスベンという街で1年いかないくらいを過ごします。

留学生活から今

オーストラリア留学

よく勉強していた図書館からの景色

楽しくて大変で苦しくてうれしい生活でした。
まず仲間の様な感覚の友人たちに出会えたこと。
高校までは大体そうですが田舎の小さな街で価値観の合う友達や仲間はそう見つからない。
海外に出るとみんながフラットで仲間意識があり心地よかったです。

この生活ではたくさんの刺激と、価値観と人生のコンパスになるような体験をしました。

当初の目的は英語と海外の雰囲気を感じること。それだけでした。

アーティストになるために海外にいる日本人の20歳、は現地では珍しくたくさんの人が興味を示し、優しく支えてくれました。
お金をあまりにも節約していたので画材を持っていくことはできませんでした。
そんな中でも周りが絶対にオーストラリアで絵を描くべきだと押しに押してくださり、母の支えもあり日本の画材を少し送ってもらいました。

ある日台湾からきたカップルがバスキング(ストリートでパフォーマンスをすること)をしていて、これやってみようかなと思い、すごく勇気がいりましたが次の日にストリートに段ボールで作った看板を置いて座りました。

観光地ではなかったのですが、たくさんの人が興味を持って絵をかかせてくださりお礼にチップをくださります。
お金の話にはなってしまうのですが、チップもある程度の最低ラインは提示していますがそれを超えて頂ける。
正直かなりお金のない日々でしたのですごく助かりました。

自分的には、たかがバスキングかなあ、なんて思っているとフラットメイト(シェアハウスの住人)は『安売りするな』と当初考えていた1枚あたりの2倍の値段で書いておくように言われました。
実際にストリートで座っていると、それでも描いてほしいといってくださったり、予約までしてくださいます。
正直、なんだこれは!と思いました。

今振り返るのであれば、かなりアーティストや技術のある人への考え方が違うなと感じました。

そういった制作を通してギャラリーに絵を飾ることになりました。
住んでいた地域ではローカルでやっているギャラリーがたくさんあり、当時オーストラリアではポートレート(人物画)のギャラリーが人気で、飾っていただくことになったんです。
その後はオートラリアのコンペにも参加し、絵をかかせてもらった留学生活になり、この様にも感じました。

必然的に絵筆はやってきて、まわりに回って絵を描く環境を周りが作り出してくれたように思うんです。

嬉しかったな。

写真を撮るのも好きでスナップが好きです

その後帰国前に1か月ほどメルボルンに立ち寄りました。
そこでもたくさんの出会いがありましたし刺激がありました。
その中で一人の方が応援したいとおっしゃってくださり、やりたいことがあれば出資したいとおっしゃってくださいました。
最初は新手の詐欺かと思いましたが、そんなことがリアルにありました。
その後その方は自分に転機を作ってくださり、帰国後東京モードのグラフィック化に入学しました。

帰国後、グラフィックを学ぶ

え、グラフィック?と思った方、自分もです(笑)
オーストラリアにすんでいた時のフラットメイトのひとりがグラフィックデザイナーでした。
そのころは正直デジタルに価値なんてあるの?まで思っていて
フィジカル至上主義的な感覚ですかね。モネに憧れてたんです。

ですがたくさん考える中で自分の可能性を広げる事、クリエイティブという本質を考えたうえで自分に必要な技術と時間だと感じました。
東京モードで学んだあとインハウスデザイナーとして、フリーランスとして活動しました。
その後海外にもう一度行こうと決心し、23歳の時に改めて英語を勉強しないとならないと思いました。今回の海外はしっかりローカルの方とコミュニケーションを通して自分の可能性を広げることが目的でした。当然英語力はもっと必要です。
そこでフィリピン留学へ3か月行くことにしました。
海外留学生なら知っている方もいるかと思いますが、フィリピンでの語学留学はある意味地獄のようなものです(笑)相当きつかったです。
朝6時から夜の12時まで分刻みでずっと勉強でした。今思うとすごいなと思っちゃいます。それくらい大変で、いとおしい思い出が出来たあと、世界はコロナ渦へと突入しました。

再び海外へ、、、行けませんでした。

その時私は友人を頼りにオーストラリアで過ごす予定を立てていました。
本当に空港まで行ったのですが、搭乗受付スタッフの方に『行ったら帰ってこれないかもしれないので緊急でないのであれば行かない方がいい』と言われ、悔しくて空港で涙が止まりませんでした。
わがままに行動できる状況ではないことを理解していましたが、感情が追いつきませんでした。
その時は焦りの様なものがあり、早く行動したくてたまりませんでした。

コロナ渦で悔しい思いをしたのはきっと、私だけではなかったですよね。
この期間、私たちは頑張ったと思いますし、少し成長できたと思います。

そうして24歳の私はクライアントから少し仕事を受けつつメンタルヘルスを優先させながら勉強する日々を過ごします。

ここから本格的に様々な分野での勉強生活が始まりました。
科学リテラシーの向上、基礎的な学び、コンテンポラリーアート
振り返ると大きく成長したと思う。

2023/08追記

今、何を、なぜ勉強をしているのか。

最後に今の興味や学びの内容と理由を話して私の長い自己紹介を終えようと思います。(2022年2月現在)
まず簡単に今学んでいること、興味のある分野をお話しします。(順不同です)

・現代アート・社会・ストリート・カルチャー全般・ウェルネス・ファッション・環境問題・デザイン・メタバース/WEB3・心理学・脳科学・哲学・政治

上記は大きくジャンル分け出来る内容であったり今思いつく限りになりますが、様々なことに関して深く探求する癖があるので今後も知見は増えていくと思われます。

そもそもの勉強をする目的から話すと、1人の人間として成長したいと思うのが学びの本来の目的です。

周りから相談を受けることが多くあり、その際にいつもこの人を幸せにしたい、笑顔になってほしいと心から思います。
言葉にすると安っぽいですが案外相手の話を聞いている私の本心です。
どんな話を聞いていても、人間の本質的な悩みは変わらないように思います。
一言でいいましたが、もちろんそこには相当な深さがあると思いますし、当然話してくれる人の人生観も組みとってあげる必要がある。そうするとやはり、いろいろなことを学ぶ必要があることに気づきました。

なぜ、成長したいのか

ヒトは完璧ではない。
そこには成長という過程があるだけ。
成功を図る術もない。

海外に行けず、私は自分自身のメンタルヘルスと戦っていました。
小学校を卒業するタイミングで、親の離婚を機に私のメンタルは安定しない日々が続きました。来る日も来る日も揺れる橋を必死に支えているような気持でした。
コロナ渦の生活で、たくさんつらい考えが頭を爆発させようとしていて、このままではダメだ。と思ったんです。もしこれから先、YOHEYという人間が生きていくのであれば生きる決意の様なものがいると思いました。
そうして私はたくさんのことを学ぶ時間をたくさん作るようになりました。

私は完璧主義でした。今もその思考癖は抜けきれていません。
小さいころから曖昧な事が難しく、ジョークにも本気で反応していました(笑)
クリエイティブにおいてはこの細部までこだわり抜く要素が長所になりますが、私生活では自分を追い込むこともあるんですよね。

学び続ける日々が続き、ある日の夕方、ふと思い浮かんだ言葉が上記の言葉です。
皆完璧ではないし、どんな日々も成長の過程だと思えたんです。
今では、曖昧さも大切でバランスが一番重要であるように思います。

私にとって成長は旅をすることに似ていて、新しい自分に気づかせてくれたり、大切な人を思いやる優しさを学ぶきっかけになり、愛をもって世界を見る目にもなってくれます。

そうして話がようやく最初に戻ることになりますが、
私が学ぶ理由、そして今までの人生が、世界や人との関わりに愛や優しさをもってつながりたい事に繋がってきたのです。

クリエイティブで世界のやさしさを増やしたい。

アートならそれが叶うかもしれない。

誰が人の価値を作るのか。
私の思いに共感や価値を感じて頂けたのであればぜひYoheyを応援していただきたいです。
今お読みくださっているあなたが私の価値の代弁者で価値を作る『誰か』です。
これからもよろしくお願いいたします!!

本当に最後まで読んでくださり、ありがとうございます!


作品についてはWEBサイトをチェック!

https://yohey-art.studio.site/

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