高見 洋平(たかみ ようへい)の自己紹介
noteのアカウントを開設して8年。
開設した当時に少しだけこれまでのことを書きましたが、「そういえばちゃんとしたプロフィール記事を書いたことないな」ということを思い立ち、「noteをがんばろう」と思った今年だからこそ書いてみることにしました。
簡単な自己紹介
1985年12月22日午前6時40分生まれ、O型、丑年、宇治市在住38年。
「有名人になりたい」という妄想から、大学4回生でブログを開設。
初めて書いたブログのタイトルは「思いやり」
いまとは全然違って、文章がツンツンしてて「俺」とか書いてます(笑)
けど、内容はまともでよかった😅
龍谷大学法学部卒業後、2009年からはASDのハンディから就職や人間関係がうまくいかず、京都障害者職業相談室で2年間の就職浪人生活をおくります。
2011年2月から地元・宇治の就労継続支援事業所「就労ネットうじ ゆめハウス」で福祉事業所利用者として、内職・清掃・接客・イベント運営と幅広く作業経験を積みました。
2022年4月から大阪の就労移行支援事業所「キズキビジネスカレッジ大阪校」(現・大阪梅田北校)で、自らのマイナス思考を克服するための「自己理解」と得意分野の「ライティング」の勉強をスタート。
2023年5月からは地元・京都の就労継続支援事業所「DHC四条烏丸ラボ」に移り、給与計算の入力業務、求人広告サイトの執筆、広報誌の執筆・編集を担当。
好きなことは、おいしいコーヒーを飲むこと、WEBコミュニティでいろんな人の話を聞くこと、文章を書くこと。
幼少・保育園〜大人になってからゆめハウスに通うきっかけができた時期〜
母の出身地、京都市内で生まれ、宇治市で育ちました。
1歳の頃、人にアイコンタクトしない私を母が不審に思い、検診をしたところ、学習障害の診断を受けました。(当時は日本に発達障害の概念がなかった)
そこで週1回、地元・宇治の「宇治おもちゃ箱」とという障害を持った子とその親がおもちゃで遊ぶサークルに通うようになりました。
これがのちにゆめハウスに通うきっかけにもつながります。
小学校〜T先生に「わからないことは聞こう」と言われた思い出〜
満を持して入学して、数人友達はできたものの集団行動と勉強が苦手だったのと、落ち着きがなかったです。
休み時間はよく職員室にいたり、朝から先生のお出迎えに行ったりしていました。
また療育は「松心園」への通所に代わり、宇治市の他の小学校にある「ことばの教室」へと場がうつります。
ここでT先生との出会い、朗読や国語の問題集に取り組みました。
僕がわからないことは人に相談せず、自分で解決したい性格のため、ある時、わからないことがあるのに一切質問をしないでモジモジしていると、「ようちゃん!こういうときはちゃんと自分から聞かなあかんねんで!」と注意してくださったのがT先生との最大の思い出です。
中学校〜近畿大会出場のバレー部のマネージャーに〜
校区が同じため、小学校の同級生の半分が、中学校の同級生にもなりました。
そんな中で、またもや先生と出会いました。体育のK先生です。
先生のやさしさとかっこよさに惹かれて、運動はできないわ、バレーのこと知らないわ、なのに、先生が気に入ったという理由だけでバレー部に入部しました。
バレー部には小学校時代からの同級生もいれば、やさしそうな先輩、こわそうな先輩、いろんなメンバーがいて、土日も関係なく、府下大会、近畿大会を目指して中学校の体育館での練習、他中学校・高校の体育館での練習試合と、練習・練習・練習の日々。
僕は運動ができなくて、選手になるのはむずかしいため、K先生のはからいでマネージャーにしてもらいました。
同級生との付き合いはむずかしかったのですが、口が利く強い先輩にも守ってもらって、年月の積み重ねで理解してもらえるようになりました。
チームは3年生の春は近畿大会に出場。
日々の練習通い、練習の準備やボール拾い、選手の出場リストを書かせてもらったのはいまも財産です。
高校〜山楽部部長をつとめる〜
高校では1年生のときの担任のY先生の呼びかけで山楽部に入部。部長に就任しました。
7月までに他の山で慣らして、8月には富士山に登っていました。
初めての急斜面の登山道に、山小屋に、ご来光。
部長のくせして、疲れて頂上で高山病になり、ハアハア言いながら急斜面の下山道を降りました。
3年生ラストの南アルプス登山まで、びわこバレエや奈良の霧氷がきれいな高見山などなど、Y先生には毎月1回いろんな山に連れてもらいました。
毎日の学校生活では話せないことを先生やメンバーと話せたし、それぞれの人となりを理解しあえた3年間のホッとするひとときでした。
大学〜発達障害の卒論を書く〜
J高校の3年間、成績を稼いで、指定校推薦で龍谷大学法学部に合格。
世の中のニュースを見るのが好きなので、現代日本の政治と日本政治史が学びたくて入学したところ、H先生と出会います。
月3回は読者習慣をつける目的でゼミ生みんなで本を朗読しつつ、月1回は卒論の進捗を発表していました。
卒論はテーマに迷いましたが、「発達障害の政策と現場」に。
自分の力だけでは書き切れず、他キャンパスの社会人学生のKさんに手伝っていただきながら、発達障害の方が雇用されている会社にも取材に行きました。
就職浪人時代
大学卒業後はハローワークが運用する「障害者職業相談室」に通いました。
人のペースや仕事のルールに自分をあわせる自信がなく、紹介してもらったおみやげ屋さんの品出し、博物館の清掃など、すべて3日で辞めました。
母と離別した父からは「早く仕事を見つけ!」と言われ続け、親に申し訳なく悩ましかったです。
ゆめハウス
ある日のこと、母から「江嵜さんに仕事のこと相談してみたら」と言われました。
江嵜さんというのは僕の幼少期・保育園のころの「宇治おもちゃ箱」を立ち上げられた方です。
(↑江嵜さんのインタビュー)
江嵜さんに早速2年間、就職浪人状態になっていることを話し、そこから11年間、内職、お風呂掃除、カフェ接客、野球ボール修繕、団地の草刈り、イベント運営もさせていただき、たくさんの「人のつながり」を与えていただきました。
キズキビジネスカレッジ大阪校
ゆめハウスの次は本格的にライティングの勉強がしたいと思い、京都から大阪まで通い出しました。
毎週月曜日の自己理解講座で自分の価値観の確認や不安・怒りの対処の仕方を考えながら、毎週木曜日のライティング講座でSEO記事の執筆をしました。
キズキでの生活をとおして、ライターとしての心の整え方を多くのスタッフのみなさんに教えていただきました。
DHC四条烏丸ラボ
キズキビジネスカレッジ大阪校のあとは事務に特化した地元・京都の「DHC四条烏丸ラボ」に2024年8月現在も通っています。
社会保険労務士事務所が母体で、給与計算・入力や就業規則のチェックだけでなく、広報誌作成や求人代行などもお仕事です。
最初の半年ぐらいは入力系の総務チーム、その後は求人代行の仮文章を褒められ広報チームにいます。
以下、制作した求人サイトです。
また事業所の広報誌にも携わっていて、社会保険労務士さんのお仕事の解説ページの執筆、他事業所さんとのコラボインタビューの編集もしています。
これまでの人生とこれからの人生について
大学のときのカウンセラーの先生に「高見くんは出会い力があるね」と言われたことがあります。
本当にそうで、ここまで振り返ってみても学生時代は素晴らしい先生に支えていただきました。
キズキビジネスカレッジ大阪校やDHC四条烏丸ラボもライターとして駆け出すきっかけを与えていただいています。
日々、今日や将来の生活に悩み、行く場所もない障害・病気のある方が何万人もいる中で本当に恵まれていることだと思いますし、感謝を絶対に忘れないでいたいです。
・・・と同時に、推しのラジオDJのレモンさん(山本シュウさん)にも言われたことですが、「ようへいくんには同じ障害や悩みを持った人のトップランナーになって、いつか本を出してほしいな」ということ。
↑レモンさん(山本シュウさん)についての記事
おこがましいながら、それが出会い力を持って学ばせてもらってきた自分のこれからの役割だと思っています。
「ようへいさんのおかげで楽しい毎日をおくれるようになりました」って言われる人になっていきたいです。
数年後にプロフィールを更新するときには大きい人になっていたい…
出演させていただいた番組
2010年2月 NHK教育テレビ(当時)「きらっといきる〜どうしたら就職できますか?〜」
2014年7月 NHK Eテレ
「バリバラ〜特例子会社ってなあに〜」
取材いただいた記事
キズキビジネスカレッジ大阪校で、後輩のMくんにインタビューしていただいた記事です。
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