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音偽バナシ/DECO*27 父娘の歌と思っている

いろんな考察があったのですが、
私は「死んでしまった父親」が、娘にしばらくのサヨナラをした歌だと思いました。

公式レーベルのPVはこちら。再生しながら読んでいただけたら嬉しいです。
歌詞もYouTube概要欄に載っているので、ここでは一部引用のみです。

歌詞の考察

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・「今日も寝れない」「寝ても覚めない」のは、すでに死んでいるから。
 幽霊は眠ることができない。仮に眠れても、現実で目が覚めることはない。

・「僕」が行きたがっている「今日と昨日の間」は、夢の世界。
 夢でなら、生きている人とも、会うことができるから。

・「君が何度も現れて~」は、たぶんお通夜。
 娘が何度も、自分の顔を見に来ては、泣きながらサヨナラと言ってる。
 それを見るのがつらくて、「どうか」と「僕」は願う。
 生きていたころに、戻りたいと。どうか。

・「妙に痒い夜」は、痒い=生きていると思えそうですが、
 「灰」とあるので、遺灰のことと考えると…死んでいる。

・「誰かにしがみ付いても~」の部分。
 PVから考えるに、娘は母(=「僕」の妻)にしがみついている。
 無理をして「僕」がいない明日を生きようとしているけれど、
 娘は娘で、妻は妻。少しずつ「僕」のいない日々を受け入れて、
 少しずつ前を向いていってほしい、という願いなのかなと思いました。

・落ちサビで「どうか どうか…」という歌詞があり、大サビに。
 おそらくここで願いが叶って、「僕」は娘に会えたんだと思います。
 「今日と昨日の間」=夢の世界で。
 会えたことで、「僕」はようやく、前を向くことができた。
 だから、またきっと会おうと約束をして、おやすみと言えたのではと。

・そして最初と同じ「妙に熱い夜です」の歌詞に戻ってくる。
 でも「空も飛べる夜」「どこへ行こうか」と前向きになっています。

なぜこの曲が好きなのか(自分語りです)

私の中で「父親の死」は、大きな出来事でした。
学生時代、漫画家を目指していたとき、こんな話を描いたことがあります。

父親を亡くした主人公が、陸上で棒高跳びをしている。もっと高く飛べば、会えるかもしれないと。バカバカしいと思いながらも、地面を蹴らずにはいられない。
そこへ、とある人物が助言をしにやってくる。正体を明かさないけれど、父親の親友で、遺言を伝えにきたという話です。

「音偽バナシ」のPVに、空をあおぐ「僕」のシーンがあるのですが、ここを見たときに、その漫画のことが浮かびました。
自分の漫画と、立場は逆ですが、もう会えない、届かない人に思いをはせる、という意味では、似たものを感じて、勝手に、胸を熱くしたのでした。

もうひとつ。
演劇ゼミに通っていたことがあり、脚本を書いて演出もするハードな授業がありました。テーマは「再生」。

このときも、私は、最愛の人が死んだ人を主人公にした話を描きました。

彼女の死を止められなかったと嘆く「僕」に、姿を変えて彼女が現れます。
そして、前を向いて生きてほしいと伝え、やっと「僕」は吹っ切ることができたという話です。
シロップ16gの「Reborn」をBGMに使用し、クラスメートにはキャラメルボックスみたいだったと感想を言われて嬉しかった記憶があります。

なのでこういう、死んでしまった人と、もう一度ちゃんと会って、お別れをして、前を向いていく話が、好きなんだと思います。
どうかどうかと願って、あきらめなかったから、最後に会うことができたというストーリーも、とても好きです。

この曲を知ったキッカケ

にじさんじ所属Vtuber、三枝明那の歌枠で出会いました。
明那の歌が、本当に大好きです。

25分18秒から聴けます。 

大サビで、ひとつひとつの言葉を大切に歌うような、タメてタメて歌っていて、それがとてもドラマティックだったんです。
「心臓の音」の歌い方と、音のユレも、「この心臓の音さえも…」というような、感情の揺れに感じて、とてもぐっときたのでした。

こういう切ない曲に、明那の声が似合うんだなぁ。

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