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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に行った時のメモと今

フィンランド留学中の冬休みは北極のロヴァニエミから去って、太陽を求めるように東ヨーロッパを無駄に重いリュックを背負って周っていた。

今回は最近のGazaで起こっていることを見た時の心情と一年半前にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ行ったすぐ後の心情と似ているな、
と思って一年半放置をしていたメモをシェアしてみる。

当時は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ行った時のことはSNSではあまりシェアをしていない。ねぜなら、なんとなく生々しい心情を人にシェアする気持ちになっていなかったのか、はたまた自分の考えもあまりまとまっていないかと思っていたからなのか。

以下の文章は厳密にいつ書いたかは忘れてしまったが、確か旅行した1月中くらいに書いたかと。

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2023年1月2日アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ行った。

正直自分はヨーロッパへ来てから世界史が本当にわかっていないなと思うことが多い。完全にこの時代の歴史をわかっているか?と言われるとあまり自信はない。けど、アウシュヴィッツへ行った。

教科書やドキュメンタリーで少しナチスやホロコーストについては知っていたけれど、行くとただ、ただ、悲しかった。
何万人と人の命を奪ったガス室はその場所が悲しくて、もう早歩きで過ぎ去って行った。

そこの場所が呪われてる、怨念がある。
なんてそんな気持ちにすらならない。
きっと辛かった
と思うから、安らかに眠ってほしいとしか思わない。

気持ち悪いほど、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は広かった。
そこまで広い地でジェノサイドが起きていたことが信じ難いと思った。

広い、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

アウシュヴィッツの展示で亡くなっている人の写真があった。
写真によっては正直今のウクライナの戦争の報道を連想していた。

2022年からインスタに亡くなってる人の写真が流れてくるようになった。これは、ウクライナの戦争の状況を報道してるジャーナリストをフォローしているから。

ジャーナリストが撮影をした死体の写真を見ると、最初は目にできていなかったけど最近は「映画のグロイシーンではなくて、これが現実で普通の人の日常…そっか…。」という風に捉えて、見ている自分がいる。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の遺体の写真を見て、前の自分ならばきっとすぐに目をきっと逸らしてた。

だけど、今の自分は日頃の報道の写真を見ているからか、死体の写真はすぐに目をそらさずに見れるようになっている。
そんな事実、許されるものじゃないと思う。
それに気づいた自分も悲しかった。

広すぎて、本当に気持ちが悪かった

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アウシュヴィッツへ行った前後の2023年元旦の1月1日と3日だったかな、少しだけウクライナの難民のボランティアに顔を出していた。

22歳になる数日前で21歳でまだ世界のことを何も知らない自分にとっては2023年、21世紀に目の前に戦争による難民がいることがよくわからなかった。

クリスマスの後では一人旅をしていたからアウシュヴィッツの後の夜行バスは考え込んで全然寝れなかったな…。

行き場のない私の気持ち〜〜

何十年も前に既に戦争やジェノサイドがもう起こっているのに、今の世の中でなんでこういうことが起きているのかが理解できなかった、というか今もよくできない。

23歳になった今、変わらず知らないこともまだ多い。
でも、また違う地域(ガザ)で多くの死傷者が出ている。2023年の今も私のSNSには変わらずなぜ、争い、ジェノサイドで人が死ぬところ、亡くなっている写真が流れてくるのだろう。

とてもおかしいと思う。

将来私らがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ行った時には無惨な写真はどう見ているのだろうか。

慣れた目つきでなんて見たくない。


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