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元スタッフの願い

某U社の件、まずは原告団に対する全面的な賛同と心からの支持を表明する。正直に言うとニュースやSNSでA氏の名前を目にするだけで不安定になり混乱してしまう。退職してとても長い時間が過ぎ、全く別の環境に身を置きながらも、そこがどこであれ私はいまだ映画館に行くことができない。映画館で映画を見るというかつての私の多くの部分を占めた大切な生活様式は損なわれてしまった。権威を権力を恐れ、口をつぐみ、深刻な問題を知りながらそこから逃避せざるをえなかった私に代わり、原告団は大きな負担と脅威に直面している。いま私は声を上げなければいけないのかもしれない。

原告団は何を求めているのか
SNSやWeb上で「元従業員は映画館をつぶしたいのか」「落としどころはどこにあるのだろう」「どうしてマスコミやインターネットを使って騒ぎを大きくするのか」「事態を静観したい。」という声を散見する。声明でも明確にされているとおり原告団の求めているものは一貫して『謝罪』と『賠償』である。そしてA氏は現時点でこのどちらも果たしていない。パワハラを公表し、人々の意見を募ったのはそれが原告団にとりうるほぼ唯一の戦略だったからである。実際に、公表によって多くの人が声を上げた結果、これまで30年もの間、黙殺され握りつぶされてきたU社でのパワハラをA氏は認めている。

A氏はだれに謝罪したのか
謝罪の直接の対象となったのは映画館に来るユーザーと取引会社である。映画館という性質上、不特定多数のお客さんに来てもらわなければ経営自体が成り立たず、早急にパワハラの事実を認め、改善案を示すことでユーザーに対して選択肢を用意し、またU社に対する評価を保留する効果を狙ったのではないかと思う。その狙いは奏功し、インターネット上では“映画愛”を踏み絵にした映画ファンの分断が起こっている。また、取引会社によってはU社とは比較できないほどコンプライアンスが厳格化されているところもあり、取引の解除や再検討はA氏が最も避けたかった事態のひとつであろう。

原告団への支持
できるだけ多くの人に原告団への支援、賛同の声をあげてほしい。私たちが思っているよりもずっと早くニュースは消費され簡単に過去のものとして忘れられる。これ以上、原告団を矢面に立たせ、再び傷をえぐり出して世間の目にさらすということをさせてはならない。それは自らのはらわたを引きずり出し、陳列し、人々の耳目を集めるのに似ている。そのような行為の繰り返しに原告団の心身が長く耐えられるとは思えない。ネット上にあふれる不用意な意見は原告団の精神に暗い影を落とす。繰り返すがU社でのパワハラをA氏は認めている。それは事実としてそこで起きているのだ。

裁判について
A氏は原告団との協議の席についてほしい。上記の理由で長く厳しい裁判に原告団の心身や経済面に多大な消耗が強いられることは明らかである。事実関係は別としてパワハラ裁判はひとつひとつの事案の証明が非常に難しく、慰謝料の相場も50~100万円程度でかける労力に対して相応とは思えない。多くの人が考えているより原告団の立場はずっと弱い。対応を見るにA氏は可能なら1円も払いたくないと考えているのではないか。「認めているのに」、「謝罪しているのに」なぜと思うだろうが、この辺りの感覚はA氏のもとで働いた経験がないとちょっと理解しづらいのではないかと思う。

今回の提訴について
私の知る限り原告団による提訴の動きは、コロナで世の中が騒然とするより前にすでにA氏に通達されていたはずだ。おそらく2月ごろだったのではないかと思う。その時点では原告団は現職も含め10名を超えていたと聞いている。私は原告団が半数にまで撃ち減らされ、実際の提訴がこのタイミングになった理由のすべてを把握しているわけではない。しかし青天の霹靂のように被害が公表され、A氏によって“ふつうの企業では考えられないほど迅速に誠意ある謝罪”がなされたわけではないということは記憶に留めておくべきであろう。どのような対応をするにせよ、A氏には十分な時間が用意されていた。

映画業界について
この事件に対して業界内部の声があまりにも少ないという意見がある。特にU社のように配給だけでなく劇場チェーンを所有している場合、個人の感情はどうあれ立場を明確にするのは自殺行為に等しいと考える関係者は多い。また、今後、原告団を雇用する関係会社は一社もないだろう。原告団だけがただ独り、事実上キャリアを絶たれ血を流し続けている。だからこそ彼女ら、彼らは人々に訴え、賛同者を募る以外に方法がないのだ。U社ほどではないにせよ業界のいくつかの事業者が同様の問題を抱えており、頬かむりをし、首をすくめ、とにかく一刻も早くこの嵐が過ぎ去るのを待っている。

やりがい搾取について
U社では長い間、「〇〇の仕事を任せる」「がんばれば社員に登用する」という甘言を餌に、従業員を文字通り馬車馬のようにこき使ってきた。社員はもとより比較的実務能力の高いアルバイトスタッフも、いつも考えられないほどのタスクを抱えている。それでも「能力なき者、弱き者は去れ」式の社風から自らの限界以上の労働と奉仕の結果、心身ともに疲弊し、または実際に病を得て、短いスパンで使い捨てられた人が入れ替わっていく。そしてひとたび求人の募集をかけると何十人もの若者が押し寄せ、代わりはすぐに見つかる。A氏が「働かせてやっている」と考えるゆえんである。

現職スタッフについて
現職スタッフがパワハラ被害の声を上げることは非常に難しいと思う。キャリアを引き換えにするにはリスクが高すぎるし、単純に職を失うこと自体も怖い。それ以前に日常業務に忙殺されて戦う気力は残っていないかもしれない。またベテランスタッフはいわゆるサバイバーであるため、社歴の浅い若いスタッフたちと意識を共有することはできない。ただ、彼らが働く場所、そこに地雷は埋まっている。中には当人のA氏でさえどこに埋めたのかわからなくなっている地雷もあるかもしれない。原告団はいまなお地雷原で働き続ける元同僚たちのことも心から心配しているのだと思う。

A氏について
A氏のもとで働いた経験からA氏が変わるのは容易ではないと感じる。実際にこれまで30年間だれがなにを言ってもA氏のパワハラは改められなかった。例えばA氏が社員のだれかを大声で罵倒するとしよう。ガンガンと机を叩き、繰り返し執拗に詰問する。怒鳴られているだれかは抗弁できずひどく嗚咽し過呼吸に陥りその場に倒れ込んでしまう。A氏は「オレの言い方が悪かったのかな」と数日は静かになるが1週間もしないうちに別の誰かの背中に「おい、いまなにしてる!」と詰め寄る。繰り返しだ。だれかが吊るし上げられているとき4階のオフィスはまるで無人のように静まり返る。異様な光景である。

私が願うこと
勇敢な、ほんとうに立派な原告たちと違い、私は名前を出すことも顔を出すことも怖くてできない。ただ、カメラに写った彼女たちの姿を見るたびに胸が張り裂けそうになる。業界を変えたいとか、世界を変えたいという大きなことの前に、まず、なんとか原告団の損なわれた尊厳を回復させてあげたいと思う。U社を離れ心を病んだまま苦しんでいる元従業員もいる。原告団の尊厳の回復が、そのまま同じ病苦を抱える人々の救いになるかもしれない。このテキストがこれを読む人の判断材料や行動選択の一助として使われることを願います。パワハラは重大な人権侵害だ。いついかなる場合でも許されてはならない。

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