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覚えている夢って数えるほどしかない。

ユニークな夢ってそうそう見られないし、起きてからもショックを受けるようなものしか残らない。

現実と認識してる覚醒した状態の記憶が強いのかとも思うけど、それを超える非現実はなかなか私の元にはやってきてくれないのが残念だ。

それに覚えてる気がするだけで、起きた後に整理してるのではないかという気がしているのだけど、それすらも忘れてしまうことが多い。

いつも夢の中で起こってることはカオスなはずのに、なんとなくカオスを受け入れている自分がいたりするのも訳がわからない。

同じ夢を何回かみているから忘れてる、または受け入れているのかと思うけど、その境目はすごく曖昧だ。

よくよく考えてみると未だに学生のころの夢とかみるし、こんなにいじくってるiPhoneが夢に出てきた覚えがない。

時計や新聞、本とかの文字も踊っていて読めないし、焦点が合わないのは何故なんでしょうか。

食べ物の味とか、美味しいと思う感覚はあっても普段のようには味わえない。

すけべな夢も肌触りや粘膜の感覚がある気がするけど、感じた瞬間にすぐにぼんやりとして違う場面にいたりする。

そんな私でも一度だけ匂いのした夢を見たことがあります。

マキタスポーツの運転する助手席でカーチェイスのすえ、階段を駆け降りたらウサギの死体の匂いがした夢だ。

実際に嗅いだことあるウサギの死体の匂いは強烈で、覚えてるからこそ夢にあらわれたのでしょうか?

それから粘土を延々と食べ続ける夢や、気持ちよく歌うとビームが出る夢なんかもあったけれど、これが自分が見た夢なのか、母が見たと言って聞かせてくれた夢なのか記憶があやふやだったりする。

それくらいに認識と記憶とごちゃ混ぜになる夢の世界がたまらなく好きだし、明晰夢に気づけた時は、なんとも言えない至福に酔うことができる。

覚醒した状態で、これは夢で見たなと直感するデジャヴとか正夢とかも、どこかで夢と現実が繋がってるんじゃないかと思えてワクワクする。

こういうあべこべで時間感覚とかにも切り離された世界というのは、LSDなどでたまに体感できたりするのも不思議でたまらない。

人の顔が老けたり若返ったり、植物の呼吸を感じたりすることができるのは、夢の状態と大差ないのではないかとも思える。

その状態の時に帰ってきたような安心感があるのも恐ろしさだったりもするけれど、誰でも見るものだから必要なことなのかもしれない。

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