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別れ


どうしてだろう。

喜びよりも痛みの方が身体の中にある心の居場所を明確に教えてくれるのは…。

地図なんて当てにならない!と思った2020。

もう、Googleマップで心の場所を検索する手間が省けたと思えばブルーライトを見る時間も減って、スマホっ首も解消されるし、リアルな青を見上げながら、この道を清々しく歩いていけるんだと、何故か安堵した。

心と繋がっていた沢山の糸がプツりぷつりと切れていく音が鼓膜の奥の方をやけに研ぎ澄まさせた。

必要だと思っていたものほど要らなくなったし
大切にしてきたものの見直しを図る必要があった。

この1年を振り返ると自分の脳裏に浮かぶ景色は世の中の流れとリンクしているかのように荒れ果てていて
望んでもいない言葉ばかりが、たったひとつしかない私の口から騒音のように無限に放たれていった。

新たな時代の幕開けだなんて、こんな時に星達はまた要らない気合いをガツンと入れてくれたもんだ。
だけどどうしてか、
どんな時も時というのは不思議と過去と化していく。

今が必ず過去になってくれるという法則のお陰で私は前を向いていられるような気がした。



こんばんは

"愛しか知らない"

asukaです。

私はいつも、次こそはキラキラした記事を書きたいと望んでいる。
これを読んで下さる皆さんが、なんかこう、パッと明るくなるような、、、。
街中に嘘みたいに輝くクリスマスツリーのような、、、そんな文章が書きたい。

だけどどうしてか、今日もその想いとは裏腹にエモーショナルな香りを纏ったアロマキャンドルみたいな灯火になってしまっていることを此処にお詫びし、
今年はサンタクロースに煌びやかな記事が書ける様になる事を願っておこう!


2020.12.22
今日は、なんと時代の変革期だそうだ。
グレートコンジャクション
グレートミューテーション。
地の時代から風の時代へと土星やら木星やらやら惑星達がせっせかせっせかと、新年を待たずして新たなフェーズへと移行しまくった。

そんな天体や世の中が騒がしい時程、いつになく冷静というか、冷ややかな瞳をしているのが私の子供の頃からの性分で、(世の中に踊らされてたまるもんか!的なw)
なのにも関わらず人生における一大イベントが意図せずして、天体の流れと重なってしまうのも、これまたどうも、私らしい。

何か大いなるものに、GPSを付けられているとしか感じられないので、
もう、星占いは要らないと思う。

そんな風の時代の幕開けを素直に且つ、ひっそりと胸の奥深い部分で祝福している。

皆さんは、どうお過ごしだろうか?
ゆっくりお茶とか飲んでられたら、もうなんかそれで良いと思いますよ。私は。笑


多様な方面からの断捨離は2020.12.22に向かってもう既に完了していたみたいだ。

人も環境も、物もエネルギーも全てが揺さぶられた2020を過ごした方は、きっと少なくはないだろう。

そんな中、

"別れ"

を経験した方も多いのでは?
と感じている。

別れにはいくつか種類があるように思う。
望んだ別れと、願ってもいない別れだ。

望んだ別れというのは、その折に自分にとって最善の道を切り拓いてゆく時の選択に過ぎないだろう。
きっと、その時誰もが"未来"を想像しているはずだ。


願ってもいない別れ、これは突然に訪れたり、予感が的中したり、する。喪失感がセットで付いてくるような、そんなこと。
未来のミの字も思い描けずにいる。自分の意思に背くように電池が切れ、止まった時計の針と同じだ。

年齢を重ねていくと、誰もが別れを経験する事も増えていくものだろう。

別れ(つまり、痛み)とどう向き合ってきたか、みたいな所になんというか、その人の放つ色気みたいなものを私は感じたりもする。

向き合うというのは、乗り越えるとはまた違う。

まだ、その別れを乗り越えられていなくってもいい。残りの人生の全てをかけて記憶にしていっても問題はないはずだ。
それがその人の人間味とか、深みというものになるのだから。私はそう信じたい。

目の前にある、隣に居たはずのリアルが、さっきまで感じられた温もりが、記憶になってゆく過程は、別れた相手にどれだけ愛着を抱いていたのかによって様々な曲線を描いていく。

愛着というのは、愛の癒着。だと私は思っていて、愛着と愛は、どうも違うらしい。

そして、別れて初めて相手に向けていた自分の愛の輪郭が、くっきりと濃ゆくなっていくのではないだろうか。

その人と自分の間にある隙間を埋めていたのは、果たして愛着( 愛+執着 )だったのか、愛だったのか。

それがハッキリと見えてきてしまったりして、認めたくなかった現実を叩きつけられた感じがして苦しくなったりもする。

そう。
願ってもいない別れというのは、自分の内にあった、ピュアな愛を知る経験でもあり、愛の癒着を知る経験でもあるのだ。


それは筋膜と似ていて、骨に癒着する事で身体中のあらゆる流れが滞る。
癒着を剥がしてリリースすると、はたまた滞っていた流れが巡りだすといった感じだ。

人生は、くっついたり離れたりして巡っている。

大好きだった相手に別れを告げられたとき、
(大好きだけど、別れを告げる場合もあるよね。)
その現実をすんなり受け入れられる人ばかりではないはずだ。
現代ではあのアンドロイドですら、恋をするらしいのだからそれで当たり前。??

恋愛面においての意図しない別れに遭遇した場合、ここぞとばかりに強がって、潔さなんかを突然に相手へ見せつけたい気持ちが脳裏を空回り、本来生まれてきた本当の感情にまで辿り着けない場合があったりもする。

そのくらいショックや衝撃的なことがあったときは我を見失って当然な事だと思うし、感情と行動に時差が生じる事だってあるはず。

厄介なのは強がりは、一瞬だけ心を見失わせてくれるのだけど、胸の痛みがご丁寧にまた全てを教えてくれることだ。

こんな記事を書いている最中に、携帯が鳴った。もうしばらく連絡を取っていない友人から、離婚したという電話だった。

どうしてこんなにも全てがシンクロしていくのか、自分でも怖いくらいだ。


冒頭の方でも伝えたように今は必ず過去になる。

大切なのは今、毎瞬毎瞬をどう感じて決断していくかではないかとシンプルに思う。
相手がどうとか、周りにどう思われるかとか関係なく、どうか自分自身の気持ちに素直に。そして最善の決断をして欲しいと願う。

"別れ" というのは、決断。
それからその決断を自分なりに噛み砕いて、ゴツゴツとしていたモノをまぁるく削っていくことなのではないだろうか。
何かと何かが離れていくことでもあり、はじまりでもある。


今は、受け容れられなくても良い。

だだ、今は必ず未来にもなる。

という風に私は捉えている。

この際だから、"しゃがんだ分だけ、ジャンプ出来る!"って在り溢れたフレーズに気持ちを乗せて、今を過去にすることを苦しんだ分、それ以上に今から未来に向かって軽やかに飛んでいけたらどんなに気持ち晴れやかだろうかと想像してみたりした。

どんな別れを経験したとしても、それはいつか思い出になっていく…。
そして、いつでも新しい風は今ここに吹いてるよ。

中々離れていかない気持ちも、愛でていたい記憶として、誰かを想いやれる自分の温かな体温に変えていけたら、新鮮な空気も悪くない。


新たな時代の幕開けと
別れをキッカケに美しさにより一層磨きをかけられたりするbeautiful ladiesに乾杯!

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