歴史は見方によって良し悪しが変わる?

歴史は見方によって良し悪しが変わる、そういう声を最近よく聞く。時代が移りゆく中で、人それぞれの考え方がありどれも正解、ということが受け入れられる世の中になってきたからだと思う。もちろん学問に関して言えば、脱ヨーロッパ中心主義的の動きも大きく関係しているだろう。

それでは本当に歴史は変化するものだろうか?例えばナチスは良いこともしたのだろうか?例えば植民地政策は、例えば奴隷制は、良いことだっただろうか?多くの人々は、公の場では「いいえ」というだろう。しかし例えばナチスが子供支援を積極的に行っていたことを部分的に知っていたら、ナチスは良いこと“も”したというかもしれない。そしてそういう断片的な事実を集め、自分の手で組み立てて、「ナチスは実は良い組織であった。」「これが正しい歴史だ。」という人がいる。これは間違いであり、歴史を研究しているとは私は思わない。

歴史を巨大な多面体とする。私たちは小さい存在なので、一人ではたくさんの面を一度に見ることは難しい。たまに優れた学者が、人よりも多くの面を見る。歴史という多面体は、他人から観測されていようとなかろうと変化しない。なぜならすでに過去に起きたことであり、その事実は変化のしようがないからだ。私たちがいくつの面がわかっていようと、図形の形自体に変化はない。歴史を探究するというのは、この巨大な多面体が一体どういう形であるのか、正確に表すことができるようにすることだと思う。間違っても都合のいい面だけを見て、図形の全貌を推測してはいけない。ましてや面を図形から剥がし、自分で組み立てるなんてもってのほかである。

歴史学において、歴史の見方において、みんな違ってみんないいはない。起きたことの原因や影響は無数にあるが、起きたこと自体はパラレルワールドの話をしていないのなら一つしかない。そしてそれはどんな世の中になっていっても本質自体は変わらない。批判的な目で物事を見ることは非常に大切で、有効な学問的アプローチである。しかし、本質を見誤ってはいけない。悪は悪でしかない。

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