花火

花火

大村と夏越し祭り
この時期になると大村市では8月に行われる夏越し祭りがそろそろ話題になって来る。夏越し祭りは8月1日~3日に開催され、1日は花火が打ち上げられる。近隣の町からも毎年この花火を見にやってくる人も多く、大村を代表する夏の行事の一つである。

長崎県内各所でも大規模な花火を上げる祭りは行われる。
◆7月25日 諫早万灯川祭り
 630人もの犠牲者を出した昭和32年の諫早大水害を鎮魂する祭り。本明川に多くの灯篭を流す様子が美しく、他の祭りとはやや趣が異なる。

◆7月26日~27日 長崎みなと祭り
 長崎の開港(1571年)を祈念する祭り。県内でも最も大規模に行われる花火のひとつ。
◆8月27日 島原温泉ガマダス花火大会
 ガマダスは島原方言で「がんばる」。雲仙普賢岳大火砕流の被害からの復興を記念して開催されたのが由来。
◆夏休み期間中 ハウステンボス
 花火師の競技会として夏休み期間中に開催される花火大会。
など、大小合わせると20か所近くで花火大会が開催される。
http://hanabi.walkerplus.com/list/ar1042/

花火と焼夷弾
幼い頃、夏の花火に家族で出かける際にも、祖母だけは絶対に行くことはなかった。「花火の上がる音が焼夷弾の音にそっくりだから。」というのがその理由であった。
第二次世界大戦当時、日本は本土空襲の被害を受けていた。戦争末期の昭和19年ぐらいから激しくなり、昭和20年には佐世保大空襲で1,200トンの焼夷弾が佐世保市に降り注ぎ、1,200人の死者、65,000人もの罹災者を出した。佐世保市はほぼ壊滅状態となる。

空襲は戦闘ではない。一方的な攻撃をただ受けるだけであり、その最大の被害者は非戦闘員である一般市民である。私の祖母がどこで空襲を受けたか確認していないが、ただただ何時間も続く焼夷弾の雨の中を幼いころ逃げ回った経験があり、その音を思いだすと数十年たった時でも身が縮む思いだったのだろう。「花火の音が嫌だ。」と言う時の祖母の様子は忘れられない。目を伏せて、本当に体が震えていた。

戦争と原爆と語り部と
長崎は最後の原爆投下地であり、その当時の様子を語る「語り部」という人がいる。実はこの夏、海外からの留学生に原爆の時の様子を話していただこうと、「語り部」を独自に探した人がいる。ところがなかなか見つからなかった。以前は比較的見つけられたらしいが、原爆投下から70年が経過しつつあり当事者の高齢化が進んでしまった。
当時10歳であっても、すでに80歳という事になる。もう10年もすると実体験として原爆や戦争を語ることのできる人がいなくなってしまう。

「焼夷弾の音が怖い」「銃を向けられるのが怖い」
こうした実際に体験した”恐怖”が実は戦争を避ける最も有効な共通認識だったのかも知れないなどと思う。
さて、これから10年~20年後の日本では、この恐怖のイメージを持たない国民だけが存在する国になる。どのようにして戦争への道を回避し続けるのか、真剣に考える時期にあたっているのかも知れない。

夏、花火の時期が近付くと、なぜか最近は特に祖母の事を思い出してならない。

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