(なぐりがき)多様性と善悪について考えてみた

多様性を考えることと善悪を考えることは切っても切り離せない。なぜなら「多様な考えを認めるならば悪も認めるのか?」という問題にぶつかるからだ。

まるで解決不能なパラドックスが存在するようにも思える。「悪を認めてはいけないから、多様性を認めようというのはおかしい」と考える人もいるかもしれない。

などと眠れない夜になんとなく考え始め、ますます眠れなくなってしまったので、自分なりの考えを整理して書いてみようと思う。

なお、私は偉い人でも専門家でもないので、この先にあるのは正しい答えではない。どっかの誰かがこんな事言ってた、それだけだ。

まず、「多様性」と「善悪」で混乱が生じているわけだが、どちらも曖昧な言葉だ。分かるようでよく分からん。そこでまず、「善悪」について考える。

いきなりお題をぶち壊すような事を言うが、「善悪なんてものはそもそもない」というのが私の立場だ。漫画でよくある「勝った方が正義」というのも違う。「私が勝ったから私が正しいんです」という主張には無理がある。「私が勝ったから私の好みのスタイルでやらせてもらうね」と言うべきだろう。結局変わんないじゃんと思うかもしれないが、これは全然違う。自分の好みに過ぎない事を世の中全体の「正義」にしてしまおうという、なんともおっそろしい考えである。

しかし「善も悪もない」となると、「人を苦しめることは絶対的な悪ではないのか」という疑問がわく。考えてみたが、私の答えは「悪ではない」だ。このままだと人間性が疑われそうなので補足するが、私は人を苦しめる人間は嫌いだ。スーパーマンになってやっつけてまわりたいくらいだ。ただ、その場合にも 「自分が正義で相手が悪」というのは違うと思っている。例えば、私は「人が助け合う世界が美しい。そうあって欲しい」と思っているけれど、相手は「争い合う世界の方が好きだ、そうじゃないと息苦しい」と思っているのかもしれない。そこにあるのは善悪ではなく、相反する2つの価値観だけだ。私が彼をやっつけたとして、自分の価値観に反する相手が気に入らなかっただけで、どちらが善も悪もない。もし「私が世界共通の善だ。真理だ」と言えるとしたら、自分が神様の場合くらいだろう。

少し極端な話を長々としてしまった。そろそろタイトルの「多様性と善悪」について自分の考え(好み)をまとめる。

まず、上記のように共存不可能な事柄はあるので「全ての多様性を守ろう」は諦める。
だからといって「完璧には無理だから全部やめちゃおう」じゃなく、「多様な価値観が可能な限り共存できるよう、できる限り尊重・理解すべく努めよう」が基本スタンスだ。
ただそれでも、ある価値観を救えない、もしくは潰さないといけない事もあるだろう。その時に、それを善だと考えるのはやめよう。たとえ最大多数の最大幸福に繋がったとして、それが善というのも一つの価値観(好み)にすぎない。変に正義だとか思っちゃうと、ズレが蓄積されておかしな事になっていく。

今日考えたのはここまで。

本当はもう一つ、自分が救われない側、たとえばマイノリティになった場合を考えてみた。ただその時に、気持ちを上手くイメージできない事に気づいた。人から理解されなくて寂しいくらいの事はよくあるけど、社会的なマイノリティーとして逆風にさらされた経験はない。なのでちゃんと考えられず、自分の言葉で書くこともできなかった。

自覚はなかったが、自分は比較的のほほんと生きてきた頭の中お花畑人間なのかもしれない。せめて、「自分が知らない気持ちを相手は感じているのかもしれない」ということだけは忘れないようにしよう。

【22/8/16追記】
前回書き殴ってから1週間くらい経ち、少し整理できそうな気がしたので追記。

(1)多様性を認める風潮の是非について
  多様性を認めるというのは各人の自由を尊重すると同義と思っている。もちろん専門家にはツッコまれるだろうが、私も含め一般人の認識はそのくらいだろう。私は多くの人が自由な世界が好きなので、人の多様性を愛すべきだろう。

(2)問題になるケース
  宗教の対立が最たる例だ。推し論争でもいい。どうすれば対立しないか?私はこれが好きであなたはこれが好き、を認めれば良いだけだが、なぜ出来ないのか?それは、こっちの方が尊いとか、唯一の真実で他は偽物だと信じているからだ。要するに、自分の好みではなく、絶対に正しい世界の真理だと思っているから、他人に強要したり、他を認められなくなってしまう。まぁその生き方も多様性の一つなので、私に害がなければ好きにすればいい。もし害があれば当然認めず戦うを選択するので、私は完全な多様性を認める気はさらさらないということになる。

3)パラドックスに気づいた
「多様性を認めよう」という時点で、「多様性を認めない」という多様性を否定しており、結局のところ自分が正しいと思う価値観を押し付けているだけにすぎない、というパラドックスが生じる。

ふむ。混乱してきた。時間が経てばまた頭が整理されるだろうか。ただの言葉遊びな気がして興味が失せてきた感覚もあるが、ひとまず寝かせてみよう。今日の追記はここまで。


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