R6司法試験憲法再現答案

第1 規制①
1 規制①は、犬又は猫(以下「犬猫」という)販売業者の犬猫を販売する自由を侵害し違憲とならないか。
(1)職業選択とは、自己が従事する職業を選ぶことをいうところ、上記自由はまさに自己が犬猫販売業に従事するという選択そのものであるから、職業選択の自由として保障される。また、法人も社会的に存在する一個の実体であるから、性質上可能な限り保障されるところ(三菱樹脂事件参照)、上記自由は性質上法人にも保障される。
 したがって、上記自由は保障される。
(2)規制①は都道府県知事から免許を受けない限り、犬猫を販売することを禁止するものであるから、上記自由は制約されている。
(3)もっとも、上記自由も公共の福祉(12条後段、13条後段)による制約を受け得るが正当化されるか。
 上記自由は、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値と不可分の関連を有し重要な権利ではあるが、社会的相互関連性が大きいため、公権力による規制の要請が強いことから、重要性は相対的に低下する。
また、許可制という規制は、許可を受けない限り犬猫を販売することを禁止するものであり、規制態様は強い。
 さらに、制約目的を積極目的と消極目的とに二分する考え方もあるが、目的が並存することも多々あるから、単純な二分論は採用できず、専ら積極目的と認定できる場合には、立法府の裁量を尊重する。犬猫の販売業の適正化等に関する法律第1を見ると、本件の制約目的は、人と動物の共生する社会の実現を図ることにある。これは、社会的、経済的弱者保護の目的とはいえないから、積極目的とはいえない。また、本件法案の目的は、犬猫販売業の経営安定という積極目的、犬猫由来の感染症等による健康被害防止という消極目的のいずれでもない。そのため、専ら積極目的とはいえず、裁量は尊重されない。
 そこで、中間審査基準、具体的には、①目的が重要で、②手段が目的との関係で実質的関連性を有する場合に正当化される。
(4)これを本件についてみる。
ア まず、目的であるが、前述の通り、規制①の目的は人と動物の共生する社会の実現を図ることにある。たしかに、近年の動物愛護の精神からかかる目的の重要性は高まっている。しかし、個人の人権に資するとまではいえない。
 もっとも、本件法案は動物愛護管理法の特別法であり、その目的を共有しているから、同法の目的についても検討する。同法1条によると、「人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止」することをも目的としている。これは、人の財産権(29条)や個人の尊厳(13条後段)に資する重要な目的である。
 したがって、規制①の目的は重要である(①)。
イ 次に、手段についてみる。
(ア)規制①は許可要件を3つに分けているからそれぞれにつき検討する。
 まず、犬猫の販売頭数に応じた飼養施設を設けることが必要である点であるが、飼養施設の限界を超えた場合、犬猫が遺棄されるおそれがあるから、適切な飼養施設を設けることは上記目的に資する。
 次に、犬猫の需給均衡の観点を考慮する点であるが、供給が過剰であると売れ残る犬猫が出てきてしまい、その結果犬猫が遺棄されるおそれがある。これに対し、売れ残ること自体ではなく、売れ残った犬猫を適切に扱わないことが犬猫の遺棄の直接の原因であるから、かかる要件は適合性に欠けるとの反論も考えられる。しかし、売れ残りが出なければ売れ残った犬猫の取扱いが問題となることはないのであるから、需給均衡を考慮し売れ残りを抑制すること自体が上記目的に資する。
 そして、犬猫シェルター収容能力の観点を考慮する点は、飼い主による犬猫シェルターへの持ち込み増加に伴いシェルターの収容能力を超えた場合、犬猫を遺棄せざるを得なくなるのだから、この点を考慮することは上記目的に資する。
 したがって、適合性が認められる。
(イ)犬猫の過剰供給や無理な販売を事後的に規制するという代替手段も考えられる。しかし、犬猫は日々成長するから、後になって規制しても遺棄を防ぐことにはつながらない。したがって、より緩やかな代替手段が存在せず、必要性も認められる。
(ウ)犬猫飼養施設に関する要件は、犬猫の体長等に合わせたケージや運動スペースについての基準及び照明・温度設定についての基準がそれぞれ満たされる必要がある。これは現行の基準より厳しくなっているから、過度な規制とも思える。しかし、諸外国の制度や専門家の意見を踏まえて設けられた基準であるし、国際的に認められている基準の範囲内であるから、必ずしも過度とはいえない。
 また、需給均衡の要件に関して、売れ残ることを危惧して需給均衡を考慮するのは過度とも思える。しかし、日本では生後2、3か月の子犬や子猫の人気が高く、体の大きさがほぼ成体と同じになる生後6か月を過ぎると値引きしても売れなくなる。そのため、犬猫の供給が過剰になり、売れ残りが出ること自体を抑制する必要性が高い。したがって、この点も過度とはいえない。
 もっとも、需給調整により供給が十分だと判断された地域においては、犬猫販売業を新たに営むことが事実上不可能となるから、過度な規制とも思える。しかし、そのような地域で新たに犬猫販売業を営んでも、供給過剰により販売はうまくいかないと考えられるから、被る不利益は小さい。したがって、この点も過度ではない。
 さらに、犬猫シェルターは、販売業者からの引取りを拒否できるから、売れ残った犬猫については終生飼養するか、自己に代わりそれを行う者を、責任を持って探すことになる。そのため、飼い主による持込みが増加するとしても、直接は犬猫販売業者の責任ではないから、犬猫シェルターの収容能力を考慮することは過度な規制とも思える。しかし、売れ残りを減らそうとする販売業者による無理な販売も、飼い主による犬猫シェルター持込み増加の要因となる。また、犬猫シェルターの適正な運営のために、収容頭数が現在飼っている頭数を超えないようにするための方策を検討してほしいとの要望が多くの都道府県から寄せられている。そうだとすると、免許の付与の段階でシェルターの収容能力を考慮する必要性は高く、過度な規制とはいえない。
 犬猫販売業免許の制限は、既存のペットショップの上記自由をも制約する。たしかに、ペットを飼っている者のうち、犬は31%、猫は29%と犬猫の割合は多い。しかし、犬猫以外の多種多様なペットを飼う人も増加傾向にあり、現在その割合は50%近くになっている。そうだとすれば、仮に免許を取得できなかったとしても、それ以外の動物や観賞魚を販売することによりペットショップの営業の継続は可能であるから、規制①は既存業者に対しても過度な規制とはいえない。
 したがって、相当性も認められる。
(エ)よって、手段が目的との関係で実質的関連性を有するといえる(②)。
2 以上より、規制①は合憲である。
第2 規制②
1 規制②は犬猫販売業者の犬猫のイラスト、写真、動画を用いて広告をする自由を侵害し違憲とならないか。
(1)21条1項は「一切の」表現の自由を保障している。「表現」とは、自己の内面を外部に表明する行為をいうところ、上記自由は販売業者が広告をするという内面を外部に表明する行為だからこれに当たる。また、情報の送り手と受け手が分離した現代において、表現の自由を受け手の側から再構成するため知る自由が同項によって保障されるところ、営利的表現は国民の知る自由に奉仕するものである。そして、性質上上記自由は法人にも保障される
 したがって、上記自由は表現の自由の一環として保障される。
(2)上記のような広告は規制②により禁止されるから、上記自由は制約されている。
(3)もっとも、上記自由も公共の福祉による制約を受け得るが正当化されるか。
 まず、表現の自由は、自己の人格を発展させるという自己実現の価値と、民主政の過程に資するという自己統治の価値を有する重要な権利であるが、営利的表現には自己統治の価値は存在しない。もっとも、前述の通り、上記自由は国民の知る自由に奉仕するから重要である。
 また、規制②は、犬猫のイラスト、写真、動画を用いた広告という表現方法に着目した内容中立規制であるから規制態様は強度とはいえないとも思える。しかし、そのような犬猫のイラスト等を内容とする広告を規制しているのだから、内容規制というべきである。
 もっとも、それ以外の広告は自由に行えるから、規制態様は必ずしも強度とはいえない。
 そこで、中間審査基準により判断する。
(4)これを本件についてみる。
ア まず、目的については規制①と同様に重要である(①)。
イ 次に、手段についてみる。
(ア)動画等の情報は直ちに問題のある情報とはいえないから、これらを規制することは目的につながらないとも思える。しかし、そのような広告は購買意欲を著しく刺激し、その結果十分な準備と覚悟がないままの購入につながる。そうすると、犬猫を飼う能力がない者によって遺棄されるおそれがあるから、これを防ぐために上記広告を制限することは目的に資する。したがって、適合性が認められる。
(イ)購入希望者に対面で適正な使用に関する情報提供を行う際に、飼い主の飼養能力を担保させる仕組み、例えば過去の飼養経験の有無や現在の資力を誓約書によって担保する方法が代替手段として考えられる。しかし、結局は飼い主の任せることになり実効性には疑問が残る。そのため、目的を達成できる限度でより緩やかな制限とはいえず、必要性も認められる。
(ウ)たしかに、広告に際して犬猫の品種や月齢等は文字情報として用いることは可能である。また、前述の通り対面での情報提供もなされ、かつ現物を確認させることが動物愛護管理法と同様に義務付けられているのだから、制約の程度は小さいとも思える。しかし、上記広告は購買意欲を著しく刺激することから禁止されているところ、広告の目的は消費者の購買意欲を刺激する点にあるのだから、そのような結果は広告の本来的効果の現れといえる。そうだとすれば、規制②は広告としての効果が乏しい広告しか認めないというものであり、犬猫販売業者の上記自由の制約は大きい。
 さらに、ウェブサイトやSNSに上記広告を掲載されることも禁止されるが、昨今のSNSの発達からすると、これらを使った広告は業者にとっては効果的な宣伝の手段である。そうだとすると、これを禁止することによる制約は大きく、過度であるといえる。
 したがって、相当性は認められない。
ウ よって、手段が目的との関係で実質的関連性を有するとはいえない(②)。
2 以上より、規制②は違憲である。
以上


感想
・5.5枚
・過去問を解いてみて、とにかく議事録さえ書き写せれば合格ラインに乗ると感じていたので、規制①は議事録を書き写すことに専念して独自色を出すことは控えめにした。
・二分論の扱いや目的の重要性のところが雑になってしまったが、ここはかなり大きい論点だったと思う。時間内に規制②まで書き切ることを考えると仕方がなかったと思う反面、憲法の勉強を疎かにしてきたツケが回ってきたと感じた。
・規制②は規制①と異なり議事録が薄かったので、広告の独自性やSNSの性質に言及して相当性のところで切った。「内容中立規制に見せかけて内容規制なのではないか」という問題意識は司法試験委員会が大好きなところなので、一応言及してみた。
・法人の人権共有主体性の判例は八幡製鉄所事件らしい。調子に乗って判例名を書こうとするとこういうことが起きるから気をつけよう。
・合格ラインには乗っていると信じたいがどうか。

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