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預言時計の針を正しく見極める-70週の預言についての考察

70週の預言についての考察

「お前の民と聖なる都に対して七十週が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し幻と預言は封じられ最も聖なる者に油が注がれる。
エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから油注がれた君の到来まで七週あり、また、六十二週あって危機のうちに広場と堀は再建される。
これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから油注がれた君の到来まで七週あり、また、六十二週あって危機のうちに広場と堀は再建される」ーダニエル9:24,25

まず最初に、この預言の意義と目的を考慮しておくことにしましょう。
そうした目的がすべて果たされていなければ、未だ成就の途上にあるということになります

この70周年の預言は「メシアの到来時とその果たす役割」を示すためだけに与えられたものではありません。
この預言のそもそもの目的は「お前の民と聖なる都」つまりユダヤ人とエルサレムに関して定められた事柄を示すものですから、メシアについてだけでなく、例えば少し後の「都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。」(9:26) というような事柄も含んでいます。

この預言に含まれる事柄を列挙しておきますと
「逆らいは終わり」「罪は封じられ」「不義は償われる」「とこしえの正義が到来」「幻と預言は封じられ」
当然のこととして、この預言が成就したなら、これらの事柄がすべて、成し遂げられていなければなりません。
そして続く部分はこうなっていますので、それらのこともすべて現実のものとなっていなければなりません。

「その六十二週のあと油注がれた者は不当に断たれ、都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼は一週の間、多くの者と同盟を固め半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」ーダニエル9:26.27

この預言を簡単にまとめると
■69週年後に 油注がれた者「ヘ語:メシア」が到来、その後断たれる。
■「荒廃をもたらすもの」がエルサレムと神殿を滅ぼす
■最終部分で洪水がり、戦いもそれまで続き、「荒廃」不可
■彼は1週の間契約を保ち、犠牲を廃止する
■彼も絶滅させられるが、定められている事柄が、その者の上に注がれる

文脈を見る限り、メシアに関する言及は26節の前半で終わっています。
その後は荒らす者に関する言及です。
27節で「彼は一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。」と記されています。
文脈から言えばこの「彼」は明らかに「荒廃をもたらす指導者の民」を指していますが、中にはこの「彼」を「メシア」に適用して、キリストのあがないが「犠牲を絶えさせた」と説明しているものもありますが、これは明らかに間違いです。
「荒らすもの」に関するダニエルの他の預言はどれも一貫してこの者が「いけにえと献げ物を廃止する」張本人であることを示しています。

「彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。」(ダニエル 11:31)「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。」ダニエル12:11

確かに、エルサレムを立て直せという命令(西暦前455年)が出されてから69週を経た年【(7+62)×7】483年後、すなわち西暦28年前後にメシアが到来し、そのまま継続して残りの1週が続く、つまり、70週がとぎれることなく預言がすべて成就するものと捉え、その線上で「一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する」という表現を見ると、一見してメシアの役割に言及していると錯覚してしまうかもしれません。

しかし、メシアが到来し、そのまま継続して残りの1週が続く、つまり70周年である490年間がとぎれることなくすべて成就するものとすると、当然、西暦35年前後までに記された事柄(預言された神の目的)がすべて完了していなければなりません。

しかし、「荒らす者」がエルサレムと神殿を滅ぼしたのは西暦70年であり、70周年の間に完了していません。さらに、「荒らす者」もその後、「破滅」させられてはいません。
この者が個人的に誰を指すかはさておいても、歴史的に見て「荒らす者」=「ローマの軍隊」ということになるでしょう。
しかしローマ帝国は徐々に衰退し、1806年にナポレオンが制定したライン同盟に組み込まれる事によって完全に歴史から姿を消した。というのが歴史の一般的な見解です。

そして、さらに、この本来の目的である「逆らいは終わり」「罪は封じられ」「不義は償われる」「とこしえの正義が到来」「幻と預言は封じられる」という事柄についても、確かに西暦1世紀にキリストの贖いはこれらをもたらす基礎を据えましたが、それによって完全に逆らいは終わったわけでも、罪が封じられたわけでもありません。それは依然続いています。
それが実際に成就するのは、キリスト再臨後裁きがあり、千年王国が開始する時でしょう。
従って結論として、70周年の預言のほとんどは西暦1世紀には成就、完了してはいないことは明白です。
これらの事実から、ダニエルの70週の預言は、69週後のメシアの到来とその後断たれる、という内容と、「荒らす者」による1週からなっていると言えます。

70週の預言時計の針は「あと1週分の成就を待って」停止したままだということです。

では、その1週つまり7年は「いつか」ということになりますが、荒らす憎むべき者が据えられ、神殿を汚し、そして絶滅させられるという内容から、終末期の2つの「3時半」を含む時期以外にこれを当てはめられる時は他にありません。
しかし、そうなると69週目から最後の1週まで2000年ほどの空白が生じることになります。そのようにみなして良い根拠を見いだせるでしょうか。

ガブリエルがダニエルにこの70週の預言を告げる際に言われた(イミシンな)セリフに注目してみましょう。

「彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。・・・この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。」(ダニエル 9:22‐23)

「ガブリエルは2度に渡り「理解する」よう強調しています。
「理解」の一般的な意味は「知ること。また意味をのみこむこと」などとなっていますが、ここで使われている「理解(ヘ語:ビーナー)」は「明敏さ 識別力 洞察力 悟り」とも訳されています。

例:「あなたに悟りを授けるために出て来た。・・・幻を悟れ。」新改訳

「明敏さや識別力を要する」「よく考えて理解を得る」必要があることを強調しているということは、幾分変則的な要素があり得ることを示唆しているように思えます。
この70週の預言がメシアの到来から、そのまま継続して終わるなら、語られた預言は、ことさら、「洞察力」や「よく考える」必要があると言えるほど、不可思議でも不可解でも難解な内容でもないでしょう。

余談になりますが、黙示録の666の数字について、岩波翻訳委員会訳はそこをこう訳出しています。

「ここに、知恵〔を働かせるべき必要〕がある。理性のある者は、かの獣の数字を数え〔て、それ にどんな意味があるのかを考え〕なさい。」

ダニエルの預言にも同様のロジックが働いているように思えるのですが、「エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから油注がれた君の到来まで」という表現から、どこまでいってもこれは、メシア到来までの期間に関わる情報ですから、区切られた最初の7週も「メシア到来の時期」に無関係ではなく、むしろ重要な意味があるはずと普通考えるでしょう。

ある文献には、この「七週」つまり49年間は、都市の再建にかかる期間であろう、とされ、「西暦前406年までにある程度の都市の再建が完成したのではないかと思われる」というのを見つけましたが、単なる推測で明確な根拠は見いだされませんでした。
正確に「7週」と述べられており、その年は西暦前406年ですが、この年にこの預言に関わる何かがあったかは確認できません。
この預言はユダヤ人とエルサレムの「完全な復興」がテーマなので、ある程度の(不完全な)神殿域の復興の出来事を間に挟むべき尤もな理由を見つけるのは難しいでしょう。

メシア到来と半週後に絶たれるというタイミングの他、何ら詳細は語られず、むしろ「荒らす者」に関する情報の方がはるか多いのです。 こうした簡潔な記述と預言の目的から考えて、7週後の出来事に意味があるなら、それなりに極めて重要な出来事が生じたはずです。
この最初の「七週」が区切られている理由について聖書は何も言及しておらず、明確な根拠や歴史的な出来事は特定されていません。
つまり「メシアまでに六十九週」と表現して、何も不都合なことはないように思えます。

私としては「69週」を一旦「7週」で区切って「危機のうちに広場と堀は再建される。」という挿入は、どう考えても他の重要性とバランスが取れないので、情報から悟りを得るように諭されたガブリエルの何かしら意図のある「フェイント」などではないのだろうかとさえ思えます。

69週に関する記述が伝達する必要のある要素は三つだけだからです。
すなわち、目的はメシアの到来、いつから数えて、何年後か。ということだけです。
にも関わらず、敢えて「69」を「7と62」と表現したのはなぜなのかという私なりの「悟り」をご紹介してみようかと思います。

69は7+64ですよ。ということは70=64+1ですよ。つまり足し算をして合計が70です。と言うように七〇週を捉えることを「洞察」するためかも知れません。
そうであれば、最後の一週が連綿と続くのではなく、のちの時代のいつか、約2000年後の成就であって良いことになります。
いずれにしても、歴史上未だにこの最終的成就を見ていないわけですから、「荒らす憎むべき者」の登場によって来たるべき終末期に残りの1週が成就すると考えて間違いないでしょう。

この預言時計の針の動きを読めないために聖書時代から、終末期までの長い隔たりに関しては、様々な憶測、解説がなされています。
ローマからヨーロッパやローマ・カトリックの歴史上の出来事を、この空白のタイムライン上に構築しようという試みは少なくないようです。

その間に登場したとされる反キリストや「小さい角」などなどの解説はすべて視点がずれているゆえの無駄な努力であることに気づくべきです。


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