マガジンのカバー画像

〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

89
このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
運営しているクリエイター

2021年9月の記事一覧

「子に口づけせよ」に見る創造者なる神の想いと願い

先ずタイトルに関係する詩編2篇を引用しておきましょう。 ここで、主に「仕えよ」と訳されている語は、ヘ語:アバドで「労働、耕す」などとも訳されていて、信仰を持つとか、信者になるということではありません。 例えば、創世記2:15には「人をエデンの園に置き、そこを耕させ(アバド)」という記述があります。 無理に訳せば、アダムを、エデンの地面に【仕えさせ】た。ということになります。 ですからここでの「仕えよ」は、神の目的に順応してその計画に協力するようにと言う要請と考えられます

改めて「イエス・キリスト」とはどんな存在なのかを論考する

キリストに関して、様々な解説、神学上の捉え方が、数え切れないほど沢山あるようです。 「イエスは神です。ヤハウェと同質です」 「イエスは偉大な預言者ですが、人間に過ぎません」 「地上で過ごした時が、イエスで、天においては天使長ミカエルのことです」 初めにお断りしておきますが、これから記すことは、無論ひとつの捉え方にすぎません。 しかし、私はHPやブログなどのプロフィールの中で「前代未聞の聖書研究」と謳っていますが、この記事こそ、その謳い文句の究極的なものだと自負しています。

「天国」への憧れを抱く方々へ ー「裁き主」になる用意と覚悟はできていますか。

あなたクリスチャンとして、次のキリストの言葉にも留意しておられることでしょう。 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」マタイ7:1,2 言うまでもありませんが、これは、人を裁かないようにしていれば、世の法律上でも、神からの裁きも免れるということではありません。 自分勝手な基準で他人を裁定してはいけない。ということでしょう。 ともかく、「クリスチャン」たるもの、この態度は肝に命じるべき

神の怒り」の表明の真の目的と成し遂げられる事柄

ハルマゲドン、大患難の際に数え切れないほどの人、クリスチャンとならなかった何億人もの人が無残な仕方で死に絶えるというイメージを持つ方も少なくないかも知れません。 実際、ほとんどのキリスト教会はそのように宣教(宣伝)してきたからです。しかし私はそれを明確な聖書的根拠を持って全否定します。 次の3部作からなるPDFをお読みください。

再生

ハルマゲドンは戦われる事無く終了すると言う聖書的根拠

聖書記述の表面上の食い違いに関する論考:パウロ編

最近、あるきっかけがあって、パウロの回心時の聖書の記述に矛盾があるという指摘に触れまして、調べてみましたので、忘備録としてここに置いておくことにしました。 それはおおよそ次のような展開です。 《旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。 わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。  『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスで

あなたは本当に救われようとしていますか

キリスト教の教派(宗派?)は何千どころか、小さな違いを考慮すると3万ほどのそれぞれ異なる「キリスト教」があるとも言われています。 それぞれに他と異なっている故に、そうした状況が見られるわけですが、同じ教団、宗派の中でも違いがあるということは、厳密にいうと、聖書のメッセージは一つですから、そうした異なる教えの中に本物は1つしかないか、もしくは[0]という可能性もなくはないというのが事実です。 自分の属している、自分が教わったものだけが、誤りのない確かなものだと思いたいのは誰でも

永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しないー律法の成就からの観点

この記事は前回の「不正の富」の例えの次の部分に関するものです。 そしてその後に続く「金持ちとラザロ」の例えの間に挟まれた僅か3節だけの短い部分ですが、ここもまた、今一つ、分かるようでよく分からないと言う声をよく聞きます。 しかし、この点が明確になると、「誰が永遠の命を享受するのか」というテーマにもう一つ別の側面からの光が差してくると言えます。 では、まず、その部分を引用しましょう。 《律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理に

「最も難解、不可解な記述の一つ」と言われている、ルカ16章の「不正の富」に関する考察

 学者や牧師などが、最も難解、不可解な部分の一つと評するのが、ルカ16章の「不正の富」に関する例えです。 今回はこの「難解なたとえ」に取り組んでみたいと思いますが、この「たとえ話」は、「永遠の命」に関わりのある記述なのですが、先ず、なぜこの話が「難解」なのか、多種多様な解説が飛び交っているのかという理由について、初めにお伝えしておきましょう。 この「たとえ話」は、「永遠の命を得ることはクリスチャンになることとは別問題」だということが理解できなければ、決して、正しく理解するこ

「狭い門」を求め、捜し、叩きなさい。そうすれば与えられる マタイ7:7,8の考察

(この記事は 『「狭い門」とは』 と第する記事の続編という位置づけになります。) 聖書に関心のある方々ならば、必ず耳にしたことがあるであろう言葉に「反キリスト」という単語があります。 原語をカタカナ表記すると「アンティ クリストス」ですが、アンチと聞くと「反対」という意味に取られる方がほとんどでしょう。古くから「アンチ・ジャイアンツ」なんてのもありますが、ネットで検索すると「アンチとは、英語の「anti」を語源とする、「反対・対抗・排斥」などの意味を表す言葉です。 アンチウ