ちょっと淋しそうな子だったけど ぼくはハッピーと名付けた
2021年になっても自粛モードは完全解消とはいかない日々。二度目の緊急事態宣言も出された。
そんな中気持ちだけでも小田急線に乗って下北沢へ行ってしまうような気分に不意を突いて飲み込まれた。
「Sometime In Tokyo City」
曽我部恵一が2020年5月、配信リリースした一曲。
https://www.youtube.com/watch?v=gvc-WQao1KE
心地よい”外”への意識。
平穏で晴れた休日の午後の感。
シンプルなアコースティックギターで鳴らされる優しいコード進行とメロディー。そこに乗せられる日常に寄り添った叙情詩。
音楽活動の停止を余儀なくされたコロナ禍における心境も含まれているのだろう。
家の中で目に映る光景を歌ってるのに、外の空気を大いに含んだ心地よさが聴く心にそっと触れてくる。
”ちょっと淋しそうな子だったけど
ぼくはハッピーと名付けた”
なぜかこのフレーズが自分の記憶の中から想い出したかのような言葉となって思索の一部になる。
http://www.sokabekeiichi.com/news/sometime_in_tokyo_city.php
ライブハウスは苦境に立たされている。
医療機関は限界。
我々はなんとか危うい平穏を守り、しかしそれでも前に進まねばならない。
stay home 的な感情、思考でありつつ、それでも外に出たくなる。人との
繋がりを緩やかに欲する。
この曲の後ろ盾の空気感となって含まれているような、これくらいの感覚にリアルタイムの今の暮らしに繋がるヒントがあるのかもしれない。
リアルな暮らしのことで言えば、マクロでは日本経済は失われた40年になりかねないと叫ばれる面もあるようだ。
https://president.jp/articles/-/42238?page=
政府貯蓄の不足傾向と民間の貯蓄過剰。
家計と事業者が貯め込んでいるものが動かず経済が回らない現状という事。
もちろんこの状況下ではやむを得ない現状の推移なのだろう。
身近では厳しい経営状況、生活環境が目につき、社会全体としても出口はまだまだ見えない状況。
もうこうなっている以上無理やり前を向くとか、ポジティブシンキングでいくとか、そんなことではなく、やれることをやっていくのみ。
そして進みながら最善策を全方位から探し出していくしかない。
また哲学的視点を取り込むのならば”アンガージュマン”という考え方、行動様態が一つの指針として誰もに当てはまる行動選択のヒントになるかもしれない。
https://uteimatsu.com/engagement/
ジャン・ポール・サルトル(1905-1980)。
フランスの哲学者で小説家、劇作家。
アンガージュマンは彼の残した思想である。
解釈としては、人生を芸術作品のように前提から自由に創造し、自分の意思によって選択し行動することができる。
またそのような社会に生きているという事は行動選択と意思決定は社会に対しても自分自身に対しても責任を取る必要もある。
という考え方。
今の状況と重ね合わせた時に自然と前に進む材料となって染みてくるのではないだろうか。
厳しい状況に見えるけど今こそ世界と自分を現実的に繋げて思考し言動を変え、本質的に自分がよりハッピーな生き方を手に入れるチャンスだという事
。
”ちょっと淋しそうな子だったけど
ぼくはハッピーと名付けた”
家から見上げれば、快晴、抜けるような青い空。
心地よい風が吹いている。
ほんとはそれだけで充分なのかもしれない。
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